養老孟司さん(左)と春山慶彦さん(写真:『こどもを野に放て! AI時代に活きる知性の育て方』))

都市化が進み、生活空間が人工物で囲まれ、自然と直に接することが極端に少なくなっている昨今、その弊害も多く語られています。

そこで、「知性を育むには、まず自然の中で感覚を磨くことが重要」と主張する解剖学者の養老孟司さんと、登山人口の半数以上が使用すると言われる登山地図アプリを起点に、アウトドアビジネスを急拡大させているベンチャー企業・ヤマップCEO、春山慶彦さんが対談。

ChatGPTに代表される生成AIの時代に、今こどもたちにとって本当に必要なことは何かお話しいただきました(本記事は『こどもを野に放て! AI時代に活きる知性の育て方』から一部抜粋・再構成したものです)。

自然の中に身を置くだけで、こどもたちは十分学んでいる

春山 現代の日本の教育において、自然体験はそれほど重要視されていない、どちらかというと脇に置かれてしまっているような気がしています。

特に最近では、英語やプログラミングなど、早い段階から知識を詰め込む傾向がより強くなっているのではないでしょうか。

養老 明治時代に日本が学校教育をはじめたときは、野育ちのこどもたちを集めて、「おとなしく、じっと座っていなさい」という教育でした。

ところが今の子は、テレビやパソコンのモニターを見て、おとなしくじっと座っている方が多いわけでしょう。そうすると、学校で先生の話を聞いているだけで受け身になりがちです。

そういう明治以来のおとなしく座らせる教育で、どこまで学習というものが成り立つのか、疑問です。

結局、こどもを集めて静かにさせておくのが楽だからということだと思いますが、元来、こどもはじっと静かにしていられない。だから、それを無理やりやらせているという意味では、ほとんど「虐待」ではないかと思います。

極端なことを言うようですが、学校はいわゆる「遊ぶ」ところにしてしまって、学業は家でやるということにしてしまった方がいいくらいではないですか。

春山 そうですね。そろそろ、学校や教育の役割を時代に合わせて変えていく時期に来ているのではないかと思います。

たとえば、学校をもっと自然の中に開いていく。

こどもたちを学校という人工的な箱の中にずっと閉じ込めておくのではなく、教室を出て、自然の中に連れて行くようになればいいですね。

養老 学ぶというと、意識的に何かを取り入れるというふうに思ってしまいますが、そうではなくて、自然の中で身体を動かすことで無意識に教育を受けているわけです。

以前、岡山県の新見というところにある小学校に行って、こどもたちと遊んできたことがあります。一応口実がないといけないので、虫捕りを教えるみたいなふりをしてね。

雨が降ってしまったので、結局、虫は捕りませんでしたが、実際は単に遊びに行くだけなんです。こどもたちは、ほっとけば遊んでますから。

春山 先生は、小学校に出向いてこどもたちに虫の話をするということを、よくやっていらっしゃるんですか。

養老 機会があればね。それは別に虫の話をするのではなくて、できるだけ外で遊ばせてやろうと。言ってみれば、学校の邪魔をしているんです(笑)。

「遊び」と言うけれども、やはり人間も他の動物と同じ生きもので、本来はそういう自然環境の中で生きてきたわけですから、そこへ戻る、そこで必要なものをまず学んでくるということですね。

僕なんかへそ曲がりみたいにこどものときからずっと虫をやっていますから、虫の目で世界を見て、おかげさまでいろんなことが考えられるわけです。

春山 そういう自然体験を通して、自分のいのちが地球とつながっているということを身体で理解できれば、風土への思いや自然環境への感性が自ずと育っていくと思います。

まず身体性を磨くことが大事

養老 僕の知り合いに粼野隆一郎さんという人がいて、夏休みになるとこどもたちを何もない森の中に連れて行って30泊31日過ごさせるというプログラムを、もう30年くらいやっています。

僕も時々、このキャンプに顔を出して、一緒に虫捕りをしていますが、参加する子たちは、まずはスマホを没収されて、山のサバイバル生活に放り込まれます。

朝は日の出とともに起きて、100段の階段を登ったところにある水場で水を汲くみ、一から火を起こして食事をつくります。うまく火を起こせなければ、自分たちが食べるものはありません。

とにかく自分で身体を動かさないと生きていけないというスパルタなキャンプで、大人が手取り足取り教えるようなこともしない。

一食ぐらい食べられなくても、大したことはないのですが、こどもたちはそうなったら大変だと、目の色を変えて、本気で取り組みます。粼野さんは「一日やったら、こどもたちは慣れますよ」と言ってましたけどね。

このキャンプで彼らが何を学ぶかというと、一番は身体性ですね。

自然に親しむも何も、人間にとって、自分の身体は最も身近な自然です。自然というものは思うようにはならないということを、こうしたキャンプを通してあたりまえのように親しんでしまうわけですね。

春山 そのキャンプで過ごす前と後とで、こどもたちはどう変わっていくのでしょうか。

養老 粼野さんは、このプログラムを全国展開したいということで、説得材料としてキャンプに参加しているこどもたちの血液検査をしたりホルモンを測定したりしています。

今はそういうふうにデータを出さないとなかなか理解してもらえないのかもしれませんが、そもそもこどもをそうやって野山の中で自由に遊ばせていれば元気になるに決まっています。

それなのにエビデンスが必要だと言う人を説得するなんて、僕自身はやりたくないですね。「自分でやってみればわかりますよ」と。それで終わりです。

春山 確かにそうですね。データがなくても、自分で実際にやってみれば身体を使う気持ちよさや、自然の中で過ごす意義も実感としてわかるはずです。

わからないままにしておく力を身につける

養老 身体や脳のいろいろなデータを測って、それを基に教育政策を考えるのは、ちょっと危険な気がしますね。

現代の医療もそのような傾向が強くなっています。医者は目の前にいる患者の身体より、検査で出てきた数字だけを見て、その数値を正常値に戻すことが仕事になってしまっている。

でも、そんなことをしなくても、当人が元気で動いていればいいんですよ。

春山 つまり、部分部分でしか物事を見なくなっているということでしょうか。

養老 そうです。検査の数値結果から、薬を飲む、手術をする、あるいは生活習慣を改善する、などと決められていく。これから医療分野でAIの活用が進めば、ますますその傾向は進むでしょうね。データをすべて否定するということではありませんが、それだけを判断材料にするのはどうかと思います。

そう言えば、おもしろい統計があって、しょっちゅう医者にかかるグループとかからないグループで分けると、医者にかかっているグループの方が死亡率が高いのです。

もちろん、必要に応じて病院を受診することは大切です。でも、心配だからと言って何でもかんでも医者に診てもらうのは、やり過ぎです。僕はできるだけ、そういう余計なことをしないようにしています。

これは医療の話だけではなくて、教育でも、成績をデジタル管理して、個人の能力を数値化しようとしていますね。でも、自然体験で身につく力は、数値で測ることなどできません。

春山 同感です。

偏差値教育はやめた方がいい

養老 やはり、偏差値教育をやめないといけないと思いますね。また虫捕りの話になりますが、虫捕りをやれば、努力、根性、辛抱は、必ず身につきますよ。


一匹も捕れなくても、「今日はダメでも明日こそは」と、待つのがあたりまえですから。そうやってようやく捕まえたときのよろこびを、今のこどもたちにも味わってほしいですね。

虫捕りは遊びですが、農作業などで日常的に自然とつきあう必要があった昔の人は、辛抱や努力する性質を持っていたはずで、身体を使って暮らしを営むというのが、本来の姿だったろうと思います。

天気一つとっても、人間はコントロールすることができません。

思い通りにならない自然となんとか折り合いをつけるためには、地道な努力や、予測できないことを受け入れ、わからないことは「まあ、こんなものだろう」と空白のままにしておかなければならないのです。

春山 そうですね。自然と触れ合うことで、こどもたちに自分の身体で実感してほしいですね。

養老孟司(ようろう・たけし)
1937年神奈川県生まれ。解剖学者。東京大学医学部卒業。東京大学名誉教授。『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。著書に、『唯脳論』『バカの壁』『子どもが心配』など多数。日本の森林を次代に生かすための政策提言などを行うNPO法人「日本に健全な森をつくり直す委員会」の委員長を務める。

春山慶彦(はるやま・よしひこ)
1980年福岡県生まれ。ヤマップCEO。同志社大学卒業、アラスカ大学中退。『風の旅人』編集部に勤務後、福岡へ帰郷。2013年にITやスマートフォンを活用して、日本の自然・風土の豊かさを再発見する仕組みをつくるため登山アプリ「YAMAP」をリリース。アプリは2024年1月時点で410万DL。国内最大の登山・アウトドアプラットフォーム。2018年内閣府が主宰する「宇宙開発利用大賞」において「内閣府特命担当大臣(宇宙政策)賞」を受賞。

(養老 孟司 : 解剖学者)
(春山 慶彦 : ヤマップCEO)