日本銀行は3月18日の政策決定会合で、金融正常化の開始を決定した(写真:yama1221/PIXTA)

これまで金利が抑制されてきたために、収益性の低い投資が正当化され、日本経済の生産性が低下した。金融正常化によって、この状態が修正されることが期待される。昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。野口悠紀雄氏による連載第117回。

低金利がもたらしたのは収益性の低い投資

日本銀行は3月18日の政策決定会合で、金融正常化の開始を決定した。

これまでの金利政策は2016年に導入されたものであり、政策金利がマイナス0.1%に設定されていた。さらに、イールドカーブコントロール(YCC)によって、長期金利(10年債利回り)が0%程度に抑えられた。

今回の正常化決定によって、政策金利におけるマイナス金利を廃止して0.1%にする。また、YCCを停止する。これによって、金利が市場の実勢にしたがって上昇していくことが期待される。

これまでの金融政策は、日本経済の資源配分を大きく歪めてきた。特に問題なのが長期金利の抑制だ。正統的な中央銀行の金融政策は、政策金利だけをコントロールし、それ以外の金利については市場に委ねる。

しかし、イールドカーブコントロールは、直接的な介入によって長期金利もコントロールしようとするものだった。

したがって、本来あるべき金利体系よりは長期金利が抑えられた、歪んだ金利体系が継続してきたことになる。これによって、日本の資源配分が撹乱された。具体的には、収益率の低い投資が正当化され、資源の無駄遣いが行われてきた。

それが最もはっきりした形で表れたのは、財政支出だ。財政資金の調達コストが低下したために、国債が増発され、必要性の疑わしい支出が行われた。特にコロナ期においてそれが顕著だった。

また、ゾンビ企業が生き残るといった問題や、住宅ローンの金利が低すぎるために、タワーマンションに対する投機的な動きが発生するという問題も生じた。

最も大きな問題は、経済全体において収益性の低い投資が許容され、それによって、日本経済の生産性が低下したことだ。それがもたらした結果は、以下に見るように、さまざまな面に表れている。

日本企業の競争力が低下

スイスのIMD(国際経営開発研究所)が発表する国際競争力ランキング(2023年6月)によると、日本企業の国際競争力は、64カ国・地域中35位にまで低下した。2015年までは20位から25位程度を維持していたのだが、2016年以降、順位が低下したのだ。

アジア諸国の中では、日本は下から3番目。日本より低いのはインドとフィリピンだけという状態だ。調査項目によっては、世界最低となった。特にデジタル関係では順位が極めて低い。

日本以外の国(特にアメリカ)で、新しい分野の企業が成長したため、時価総額の世界ランキングにおける日本企業の地位が低下した。いまや、世界ランキング100位以内の日本企業は、トヨタ自動車1社のみとなった。そのトヨタも、ガソリン車を中心とするメーカーであり、今後進めなければならないEVへの移行の中で、どうなるかわからない。

国際収支でも問題が生じている。サービス収支赤字の中でデジタル関連の赤字が増大し、いまや、サービス収支赤字の8割程度を占めるようになっている。

また、日本の金利が低いために円安が進行し、外国人労働者にとって、日本はもはや魅力のある国ではなくなった。今後労働力不足が一層進む日本において、これは極めて大きな問題だ。

世界的なインフレの中で目立つ日本の「異常さ」

2021年にアメリカでインフレが発生し、FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)は、金利の引き上げを開始した。さらに2022年春のロシアのウクライナ侵攻によって、エネルギー価格や食料品価格の世界的なインフレが発生した。こうした状況に対処するため、各国の中央銀行が金利を引き上げた。

しかし、日本銀行はマイナス金利政策を継続した。このため、特にアメリカとの間で金利差が拡大し、著しい円安が生じた。そして、世界的なインフレが日本に輸入された。

これによって企業の利益は増大したが、賃金の伸びが追いつかず、実質賃金の伸びがマイナスになるという事態が発生した。

以上で見たような金融緩和・円安政策は、2016年に始まったものではなく、2000年頃から継続してきたものだ。

これは中国の工業化に対してとられた政策だ。中国は安価な労働力によって安価な製品を製造し、世界の輸出市場におけるシェアを急速に拡大した。これは、とりわけ日本の製造業にとって重大な脅威であった。

それに対して本来必要とされたのは、産業構造を改革して、中国では生産できない財やサービスの生産を中心にする産業構造に転換していくことであった。

アメリカはIT革命によって製造業中心の経済構造から高度サービス産業を中心にする経済構造への転換に成功し、新しい経済発展のパターンを実現していった。

それに対して日本は、古い産業構造を残す選択をしたのだ。

そして、2013年に大規模金融緩和が導入された。そして、国債を大量購入することによって金利を下げることが目的とされた。しかし、日銀の国債保有量が膨大になり、この政策手法に限界が生じた。これに対処するために導入されたのが2016年のマイナス金利政策だ。それがもたらしたものは、以上で述べたように、日本の生産性の低下である。

日銀は、長期金利上昇の見通しを示せ

物価上昇率2%を前提にした金利の体系を考えると、現在よりはかなりの引き上げが必要になる。それはさまざまな面で困難を引き起こす危険がある。このような混乱を防ぐため、日銀は、金融緩和的な状態を維持するとしている。

したがって、国債の買いオペを実施することによって、ある程度のコントロールを行うのだろう。

実際、今回の日銀決定の直後、為替レートは円安に動いた。金利を引き上げたのだから、本来は、円高が進行するはずだ。逆の動きとなったのは、金融正常化はすでに為替レートに織り込まれており、正式の発表で、追加の利上げは当面ないとの見方が広まったからだろう。「日銀は本格的な正常化はできない」と、足元を見透かされているわけだ。こうした見方が広がると、今後の利上げは難しくなる。

金融正常化とは、物価上昇率を2%とするなら、名目長期金利を少なくとも2%にすることだ。実質経済成長率として仮に1%を目指すのであれば、名目長期金利を少なくとも4%にすることが必要だ。

今回の決定は、こうした過程の始まりにすぎない。今後、2%や3%の金利に向かう過程をどのように進めていくのか?

日銀は、単に「当面は緩和を続ける」というだけでは、まったく不十分だ。将来の道筋を明確に示す必要がある。


この連載の一覧はこちら

(野口 悠紀雄 : 一橋大学名誉教授)