「親ロ心理」はあっても欧州を向くブルガリアの本音
ブルガリアの首都ソフィアにあるソフィア大学。理工系に強く、日本学科もある(写真・Lemon Tree Studio)
ロシアによるウクライナ侵略から2年。かつて「EUとロシアの狭間」と言われたブルガリアで今、政権の枠組み作りが模索されている 。
EUの一員としての地歩を固め政治も安定軌道に乗るかどうか。「ヨーグルトの国」は今どう動いているのか、現地での個人的見解を記してみたい。
かつて共産圏の優等生だった
ブルガリアは近隣国と違い、歴史的経緯から親ロシア感情が強い。第1に、オスマントルコからの解放・独立(1878年)を助けたのは、露土戦争の勝者ロシアだった。
第2に、社会主義時代に2つの近隣国であるルーマニアと旧ユーゴスラビアが「自主路線」を歩んだのに対し、ブルガリアは共産圏の「優等生」としてソ連に近いスタンスを取り、そのためソ連からの経済支援は厚く、近隣国より生活水準や技術水準が高かった。
これらロシアからの2つの「恩義」で、国民に(とくに地方は)親ロ感情が残る。ただブルガリアが北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)に加盟して20年近い。国の舵取りは明確にEU路線へとEU側に切られ、国家運営もEUの枠に沿って動いてきている。
「社会は二重構造だ。基本はヨーロッパ志向だが、心理の底、古層には親ロがある」とブルガリアの識者は言う。もっともロシアに憧れたり子女を留学させたりはせず、留学はドイツやフランスなど欧米諸国が人気だ。
「ロシアのウクライナ侵略は、そんな便宜的な“住み分け”はもう通じない、はっきりしろとの問いをブルガリアに突きつけた。ここ2年強の国内政治の不安定も、そのきしみが原因。趨勢として古層は薄れるだろう」と前出の識者は分析する。
一方で、エネルギー面ではロシアへの依存が大きい。政治面で、国内の不満層は「ドイツ、フランスなどの西欧の大国やブリュッセルのEU官僚に操られる」ことへの不満感がある。
1989年以降の体制変革で国営企業の民営化において混乱があり、それまで親ソで発展を続けてきたブルガリアは、このときは近隣国の発展を横目で見ることになった。社会主義時代へのノスタルジーを語る庶民もいないわけではない。実は、ロシアはそこを見ている。
「ヨーロッパ的発展」を共通項に持つ保守・進歩の2会派が現政権を支えるが、以前は与野党に分かれ争ったことがあり、議席を合計しても安定多数ではない。
トルコ系政党や社会党、親ロ政党が一定の勢力を持ち、2023年6月までの2年間に内閣が5回替わった。うち2回は政党協議による多数派形成ができず、大統領が臨時内閣を指名した。
内閣を「リシャッフル」する政治
2023年6月に主要2会派が連立政権として、デンコフ首相、ガブリエル副首相というツートップの内閣が始動した。2人は9カ月経てば交替し、相互のポストを9カ月務めるリシャッフル計画だ。
欧州委員を務め、「EUの星」だったマリア・ガブリエル氏は、第1党(保守)の要請を受けブリュッセルから祖国の内閣中枢に移った。EU時代に、日本の重要性を深く認識したという。
デンコフ首相(右)と筆者(写真・外務省)
「アメリカと中国の動向や欧州の景気も背景にあるが、私たちは日本が持つ大きな価値に気づいた。ブルガリアは対日関係を戦略的パートナーシップに格上げしたい。首相として訪日したい」と、2024年初に私に熱く語った。
デンコフ首相(次期副首相)は研究者時代に茨城県のつくばで1年過ごし、「娘は日本の学校に通ったんです」。教育相の経験があり、日本の学校教育に関心を寄せる。
2人とも政党の党首ではない。政党はそれぞれの思惑のうえに、連携して多数派を形成し内閣を組んだ。あまり例のない「ツートップ交替による内閣リシャッフル」が実現するか、もう一度総選挙で民意を問うか。予想されたことだが、この1カ月 、改革の方針や閣僚人事について 、内閣を支える政党間の折衝が続いている。
ここでブルガリアと日本との関係を振り返ってみよう。 1970年に開催された大阪万博のブルガリア館が、後の「明治ブルガリアヨーグルト」開発の契機になった。社会主義体制下で長く最高指導者だったジフコフ書記長は日本の発展に目を見張り、「日本に学べ」と各界に指示した。
ガブリエル副首相(右)と筆者(写真・外務省)
日本に関する本が広く読まれ、日本語や空手、柔道、生け花を学ぶ人は今でも多い。1990年代に始まった民主化の時代には、政治やビジネス、学術、文化、スポーツ、観光交流がさらに活発になった。ソフィア大学に日本学科が設置され、地方を含めいくつかの大学・中高校でも日本語を教えている。
「日本には憧れと純粋な敬意を持つ」
高名なテレビジャーナリストに「なぜ日本に?」とたずねた。「ブルガリア人は日本に、そうなりたくてなれなかった自分の姿を投影している。東洋と西洋の狭間で揺れ動いた近代史の200年間、ブルガリアはうまくいかず、成功した日本に憧れと純粋な敬意を持つ」という。
こちらが襟を正す答えだったが、一方で彼は「ここ10数年日本の姿が見えない」と心配もする。
かつて5大商社を含む10商社がソフィアに支店を構え、三菱重工業や東芝、大成建設といった日本の大企業も拠点を置いていた。水力・風力発電所や、ODA(政府開発援助)ではソフィア地下鉄建設、環境設備、港湾開発、文化・教育など多数実施している。
しかしODAの供与が終了し、2010年までにほぼすべて撤退した。今も矢崎総業をはじめ自動車部品やセガ(SEGA)といったゲーム関連、海運業で6500人ほどを雇用している。だが、インフラ案件に欧州各国や米中韓が手を挙げる中、日本企業の名は聞かない。
EU加盟から17年経ち、経済も政治も外交もEUとの歯車がかみ合ってきた。2025年初めのユーロ加盟を目指し、財政健全化、物価の安定が進んでいる。
ブルガリアの技術人材は優秀だ。それは社会主義時代から知られていたし、今も当地日系企業は声をそろえる。
INSAIT(インサイト、Institute for Computer Science, Artificial Intelligence and Technology)という東欧初のAI研究機関が注目されている。この研究所はソフィア大学や政府、スイスの連携で設立され、グーグルやアマゾンからの出資を受けた。
AIやロボット開発で日本企業と協力
INSAITと日本の大企業がロボット開発を進め、理化学研究所がMOU(了解覚書)を結んだ。2023年5月には日本の西村康念経産相(当時) と日本企業のグループが来訪し 、「ブルガリアは新しい風が吹いている。安い労賃の国という古い印象を改めた。技術が優秀で有望だ」と述べた。実際に、ブルガリアはバルカン半島におけるイノベーションハブへの道を歩んでいる。
「ブルガリアは経済も外交も活発な国。ODAが終わったといって大企業が撤退したのは日本だけ」というのが、現地での私の実感だ。
外国からの投資は10年間で2.6倍に増加。EU基金も活用し、近隣国との東西南北の回廊(鉄道、道路)、クリーンエネルギー、空港、港湾等の大きなEU案件が多い。ドイツ、オーストリア、イタリア、スイス、オランダ、ギリシャ企業の存在感は大きく、投資額は日本の25倍から70倍に達する。
ある大臣いわく、「インフラ案件をスペインと中国が競ったり、ドイツとトルコが組んだり、皆よく手を挙げてくれる。韓国は原発受注が確実。日本企業の名を長年聞かず、残念です」。
駐ブルガリア・アメリカ大使は、「発電、機械、医薬品、ホテル等各業界に、非常に多数のアメリカ企業がいるのがわれわれの強み」と胸を張る。中国のブルガリア進出は近隣国ほど熱心でないが、教育、メディアへの浸透を進めている。
ODA終了 を受け、スイスはEU新規加盟国の困難を支援する新たなスキームを作った。インフラや教育等、従来のODAと同様の支援を続けている。「EUメンバーでないスイスの貢献がブルガリア国民の目に見える、最大のツールだ」と大使が話す。みな工夫しているのだ。
ブルガリアはウクライナからの戦火から遠く離れている。ウクライナからブルガリアに入国した避難民は累計225万人。現在も5万人がブルガリア国内に残る。夏には黒海沿岸で就職の機会が増えるので8万人になる。
ブルガリア政府のウクライナ支持・支援は非常に明確だ。弾薬・軽火器を含め、ウクライナの戦闘継続を実質的に支援している。国防相はこの点を強調しつつ、「ウクライナがもちこたえて反転に転じるまで、今後1年の各国支援が肝要だ」と指摘する。
「ウクライナ戦争には中立」が約7割
一方、世論調査では「ブルガリアはこの戦争に中立たるべき」が68%、ウクライナ支持が16%、ロシア支持が9%だ(2022年10月)。また、「ウクライナへの武器供与に賛成」が17%、「すべきでない」が65%だ(2023年8月)。なお派兵はしないと政府は明言している。
ロシアによるウクライナ侵略は、程度の差はあれ中東欧各国に「EUか、親ロ並存か」の問いを改めて突き付けた。親ロ土壌が強いブルガリアが注目されるのは当然であり、日本やアメリカから見て、ブルガリアの外交戦略上の重要性は増している。アメリカ人の大使館員数は91と、日本の10倍だ。
最近、元大統領が公開セミナーでEUの歴史的意義を強調したうえで、「20年前なら、プーチンはルーマニアやブルガリアを自陣営に組み込もうとしたろう」と述べた。
ロシアや中国について「自分たちも同じ社会主義だったからよくわかる」と識者が批判的に語るのも、興味深い。死傷者が出てもロシア市民の厭戦感情を抑え込み、戦争動員を続けるロシアの手法がよくわかるという。
また、豊かになったのはすべて共産党のおかげと教育する中国のやり方もそう。かつて自分たちが経験した社会主義の特質だという。
ガブリエル副首相は「ブルガリアはバルカン半島の安定化要因になる」「アジア各国でビジビリティーが低いので向上させたい」と力説している。
かつて存在したブルガリア王国の最後の国王であったシメオン2世(1937〜)にお会いした 。第2次世界大戦中の1943年、6歳で国王に即位。ソ連が入り1946年に王制廃止、9歳で亡命(親族の処刑もあった)後、半世紀以上経って帰国し、2001年から首相を務めた波乱万丈の人生だ。
「私を含めブルガリア人はみな日本を尊敬しています。元気な日本の姿をぜひ再びブルガリアで見せてください」
今回の戦争が外交安保、政治、経済に及ぼした影響を把握するには、ウクライナだけでなく、ヨーロッパ各国の葛藤と克服努力を見たほうがいい 。親ロ心理を抱えつつ、EUのメンバーとしての地歩を固めているブルガリアは格好の例だろう。
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1970年の大阪万博で設置されたブルガリア館(左)。1979年には、上皇・上皇后両陛下がブルガリアを訪問された(写真・ブルガリア国立公文書館)
「バラとヨーグルトの国」というイメージはすでに大きく変わり、IT・デジタル人材を強化して国のリブランディングを進めているのが現状だ。
ブルガリアにとって、EU域内の人の国境移動を促す「シェンゲン協定」は2024年3月末にまず海路と空路に適用され、2025年初めにはユーロに加盟予定だ。東部EUの要の一つとして、黒海に臨む南北回廊を構想している。
日本はヨーロッパの安定的発展のためにも、再びこの国に目を向け、期待に応えた貢献をすべきではないだろうか。
(注)3月27日現在政党間折衝は続く。当初プランの内閣「リシャッフル」実現は厳しく、総選挙になるのではとの見通しが多い。
(道上 尚史 : 在ブルガリア共和国日本大使)