半身マヒの91歳男性「人生で最後の帰省」のリアル
佐々木看護師(右)と介護タクシーの運転手(左)と奥田さん。「人生最後かもしれない」帰省は、とても充実したものになった(写真は上山浩司さん提供)
ツアーナース(旅行看護師)と呼ばれる看護師たちの存在をご存じでしょうか?
「最期の旅行を楽しみたい」「病気の母を、近くに呼び寄せたい」など、さまざまな依頼を受け、旅行や移動に付き添うのがその仕事です。
連載第5回は前編に続き、脳梗塞の後遺症で半身マヒを抱えながら、東京都中野区にある特別養護老人ホームから妻が眠る岐阜まで墓参りに向かった91歳の男性のエピソード(後編)をお送りします(本記事は「日本ツアーナースセンター」の協力を得て制作しています)。
特別養護老人ホームから送られる診療情報提供書
日本ツアーナースセンターに登録する佐々木昭看護師(61)の経歴は少し変わっている。54歳まで、海上自衛隊で、自衛官看護師として活動していたのだ。
高校卒業後、自衛隊横須賀病院准看護学院に入校した佐々木看護師は、22歳から自衛官准看護師として、定年までを勤め上げた。55歳になった6年前には、神奈川県の介護施設に再就職し、看護部門の主任として活動した。そして、還暦を迎えた2022年、ツアーナースの仕事を始めたのだった。
2023年10月某日、東京から岐阜県まで、1泊2日のタクシーの旅に、佐々木看護師は同行していた。
利用者は奥田源三さん(91歳・仮名)。脳梗塞の後遺症から右半身が不自由で、車いすの生活だ。本人たっての希望により、生まれ故郷の岐阜県にある妻のお墓参りのために、ツアーが組まれた。
現在、奥田さんは東京都中野区の特別養護老人ホーム(特養)に入居している。ツアーの数日前、佐々木看護師の元に奥田さんの診療情報提供書が届いていた。担当の医師が既往歴などについて細かく記した書類である。
これに目を通せば、ツアーの最中にどういったことに注意を払えばいいのか、大まかな計画をたてることができる。
「尿道カテーテルを使っているようなので、道中これの処理が必要になるだろうな」
そういった、医療者の目線でのチェックだ。
ほかにも、高齢であること、右半身にマヒが残っていること、口から食べることはできるが、時々むせることがあることなど、佐々木看護師は診療情報提供書を丁寧に読みながら、ツアーの全体像を頭の中で組み立てた。
介護タクシーでも、長距離だと負担は決して小さくない
東京から岐阜まで、主に中央高速道路を使う片道約400キロメートルの旅だ。
今回は、車いすをそのまま積み込むことができる介護タクシーでの移動となる。
高齢者や病気を持つ人の送迎に慣れている介護タクシーとはいえ、車での長距離の移動は、利用者に大きな負担だ。
「休憩を多めに取りながら、無理のない旅を」
と佐々木看護師は考えていた。
地図をにらみながら、
「中央自動車道を使って、休みなしで向かえば、5時間ほどの行程だけど、途中最低でも4回は休憩を取りたい」
91歳の奥田さんが東京から岐阜まで移動した福祉タクシーの車内(写真はケアミックス提供)/外部サイトでは写真をすべて見ることができません。本サイト(東洋経済オンライン)内でご覧ください
そう考え、いくつかのサービスエリアをピックアップし、駐車場の広さや、レストランの使い勝手などをチェックした。ただ、実際のところは、利用者本人に会ってみるまでわからない。
ツアーそのものを計画したのは、奥田さんの成年後見人である司法書士の上山浩司さんだ。上山さんと日本ツアーナースセンターを結びつけたのは地元の社会福祉協議会の関係者だった。
「もし長距離の旅行をするなら、こういうサービスがあるよ」
と紹介されたのだ。上山さんは、すぐに日本ツアーナースセンターに連絡をし、事務局と連絡を取りながら、ツアーの日程を詰めた。
「不安もあったのですが、出発の当日を迎えることができ、まずはホッとしました」(上山さん)
2日おきに尿道カテーテルの洗浄が必要
ツアーの当日、午前7時に、ツアーの主役である奥田さんの住む中野区の特養に集合だ。佐々木看護師が現地に到着すると、介護タクシーはすでに駐車場で待機していた。佐々木看護師はドライバーの飯田さん(仮名)と名刺を交換し、行き帰りの行程について打ち合わせた。
しばらくすると、特養の看護師と上山さんに伴われ、車いすに乗った奥田さんが駐車場までやってきた。簡単な挨拶を済ませると、特養の看護師から奥田さんの日常生活に関する申し送りが行われた。
「脳梗塞の後遺症でマヒと膀胱機能障害が見られるため、奥田さんは自力での排尿が困難です。尿道カテーテルを使っているのですが、2日おきに、洗浄が必要です。昨晩洗浄したので、明日のどこかで、500CCの持続還流洗浄をお願いします」(洗浄の詳細については後述)
佐々木看護師はメモを取りながら、その説明を聞き、自分からも質問する。
「昼食は通常、何時に摂られていますか」
「だいたい、11時半くらいですね」
数時間に及ぶ車の旅は、奥田さんにとって非日常だ。しかし、生活のリズムをなるべく壊したくない。昼食はいつもの時間通りに食べられるよう、佐々木看護師は頭の中に地図を広げ、
「談合坂あたりで一度休憩して、昼食は諏訪湖サービスエリアくらいかな」
と、行程をイメージした。
9人乗りのバンを改造した介護タクシーに、車いすに乗った奥田さんを乗り込ませる。車いすをしっかり固定し、その隣に佐々木看護師が座る。助手席には上山さんが乗り込んだ。
午前8時、車は岐阜に向けて出発した。
今回のツアーの目的は、奥田さんの故郷、岐阜県のお墓参りだ。初日に岐阜まで行き、翌日墓参りをする。現地での案内は、奥田さんの甥っ子である奥田大介さん(仮名)が買って出た。墓参りの後、親戚が集まって奥田さんの旅をねぎらう計画になっていた。
そうした旅の行程そのものを手配したのは上山さんである。最も苦労したのは、現地での奥田さんの宿泊先探しだったという。
「奥田さんは半身マヒがあるうえに、尿道カテーテルを使っています。一般のホテルに宿泊するのは難しい。現地では、1泊だけ受け入れてくれる特養を探しました。自治体の高齢福祉課に連絡し、ショートステイ(一時預かり)をやっている特養のリストをもらいました」(上山さん)
リストの上から片っ端に電話し、やっとのことで受け入れてくれる施設を確保したのだという。
美しい霧ヶ峰の景色に、奥田さんの表情も輝いた
高速道路に入り、昼食の時間が近づいた。佐々木看護師のイメージ通り、諏訪湖サービスエリアで昼食を摂ることになった。ここで1時間の休憩だ。敷地からは、諏訪湖とその向こうに連なる霧ヶ峰の雄大な姿を見ることができた。
施設に住んでいる奥田さんにとって、こうした風景を眺めること、これも非日常の体験だった。慣れない車での旅に、疲れた様子も見せず、表情は明るかった。
マヒが残っているため、奥田さんは食べ物を飲み込むときに、誤嚥することがある。異物が肺に入って肺炎を起こす、いわゆる誤嚥性肺炎は高齢者にとって、とても恐ろしい症状だ。毎年多くの高齢者が誤嚥性肺炎によって命を落とす。
奥田さんの食事は市販のソフト食が用意されていた。レストランのテーブルで、佐々木看護師が奥田さんの隣に座り、スプーンで一口ずつ、ゆっくりと食べさせた。
「奥田さんの食事介助を終わらせた後に、私は手早くラーメンを食べました」(佐々木看護師)
事前の準備がしっかりしていたこともあり、1日目は、特にトラブルもなく、岐阜に到着することができた。話を通してある特養に奥田さんを送り届け、佐々木看護師たちは岐阜駅近くのホテルに直行した。
せっかくの地方出張だ。現地の特産品を肴に一杯やりたいところだが、1泊2日のツアー全体が仕事である。酒を飲むわけにはいかない。奥田さんの状態によっては、夜中に駆けつける必要がないとも言えない。
「夕食はホテルでコンビニ弁当だけでした(笑)」(佐々木看護師)
気になるのは、夕方過ぎに雨が降り出したことだ。明日は朝から墓参りだ。雨が長引けば、その行程に支障が出るかもしれない。不安を感じながら、佐々木看護師は早めに床についた。
そして翌日。墓参りについては前編で詳述した通りだ。なんとか墓参りを終わらせた後、奥田大介さんの案内で、奥田家代々の家に向かった。
「源三おじちゃんが東京から来てるので、ぜひ会いたい」
と、親戚が集まっていた。
「奥田さんとしては、もしかしたらこれが最後の帰省になるかもしれない、という思いがあったのかもしれません。久しぶりに会った親戚たちと、始終笑顔で話しておられました」(佐々木看護師)
帰りの車の中で2時間かけて膀胱洗浄
親戚たちに別れを告げ、東京へ向かって車に乗り込んだ。
「最後に尿道カテーテルの洗浄という大きな仕事が残っています。特養の看護師から申し送りがあったように、奥田さんの場合、カテーテルの洗浄は2日に1回です。
持続還流といって、カテーテルに生理食塩水を流し込みます。これが尿道から膀胱を巡って、尿とおなじように排出され、尿バッグに還流します」(佐々木看護師)
尿道カテーテルを使用している場合、定期的に膀胱洗浄を行うことで、沈殿物や結石などによる尿路の閉塞を防止することができる。指示された生理食塩水の量は500CCだ。点滴により2時間かけて、注入する。
「流し込んだ量と、排出された量が同じになるか、観察しながら進めます。これを帰りの車の中で行いました。幸い、問題なく、持続還流の洗浄を行うことができました」(佐々木看護師)
事前の準備と、その場の機転、そして何より、参加した全員のチームワークによって91歳の奥田さんの旅は完了した。
介護タクシーの車内で会話をする佐々木看護師(右)と奥田さん(写真は上山浩司さん提供)
現在も、奥田さんは中野区の特養で元気に暮らしている。上山さんが面会すると、今も楽しそうに墓参りツアーの思い出を話すのだという。
「旅をしたい」思いにツアーナースは応えてくれる
年だから。病気があるから。もう遠出はできない。そう思い込む必要はない。ツアーナースはいつも全力で、「旅をしたい」という思いに応えてくれる。
上山さんは旅を振り返って次のように話してくれた。
「今回の旅はご実家のお墓参りが目的でした。奥田さんは北海道にも親戚があり、そこにも親しい人たちが眠っています。岐阜のお墓参りツアーの後、“次は北海道ツアーに行こう”と言ってくれたことがとても嬉しかった。私としても大冒険の旅でしたが、やってよかったと心から思っています」
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(末並 俊司 : ライター)