NHK元記者が見た「カンボジア医療」超過酷な現実
NHKの記者だった藤田陽子さんは国際医療NGO「ジャパンハート」に転職した。記者としての経験を活かして活躍している
今の日本で自分が本当にやりたいこと、好きなことを仕事にしている人は果たしてどれほどいるだろうか。
NHKの記者という報道の最前線から国際医療NGO「ジャパンハート」に異色の転職を遂げた藤田陽子さんは、自身の本当にやりたいことを追求し、今、カンボジアの地で働いている。
記者としての経験値を活かした「ジャパンハート」での活動を伺った。
*この記事の前半:NHK辞めた「30歳女性」収入激減も"手にしたもの"
国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」
「小学生の頃になんとなくですけど国際的なところで働くのがカッコイイなと思っていました。今、こうしてカンボジアで『ジャパンハート』のスタッフとして働けていて、本当に毎日が充実しています」
国際医療NGO「ジャパンハート」。医師である吉岡秀人氏によって2004年に設立された国際医療ボランティア団体。
カンボジアの病院の入口、道路沿いに掲げられている看板
現在、ミャンマー、カンボジア、ラオスで活動を展開し、貧困により医療が受けられない人たちに対して医療ボランティアを続けているNGOである。
そんな「ジャパンハート」がカンボジアで運営する病院「ジャパンハートこども医療センター」で広報として活動するのが藤田陽子さん(30歳)だ。
藤田さんは現在、カンボジアでの小児がんの子どもたちへの医療ボランティア活動の周知や募金の呼びかけなどの広報活動を主な仕事としている。
それだけ聞くと志の高いNGO職員となるのだが、実は藤田さんの前職は「NHKの記者」という経歴の持ち主なのである。
カンボジアの病院で働く元NHK記者の藤田陽子さん
「それまでの生活とは一変しましたね。まず朝6時30分に起床して、そこからスタッフみんなで掃除をして朝食をとります。仕事は8時から17時30分までです。そもそも、定時があるっていうのもこれまで経験がなくて、そこから新鮮でした」
NHKでは記者として福井支局で5年間、東京では警視庁担当記者として2年間活動した。
報道の最前線で記者として活動する中では当然、事件や事故が起これば現場に駆け付けねばならない。いわゆるフレキシブルな働き方をしてきたので、このギャップに驚いた。
それにも増してカンボジアでは、時間もゆっくりと流れている感覚になるという。
大人の診療も無料、だけど外来は野外
「ここ(ジャパンハートこども医療センター)では小児がんの子どもたちの治療がメインですが、大人の診療も無料で行っています。でも、外来は野外なんですよ。施設の中庭的なところで診療していて、日本だと考えられないですよね」
病院の外来と待合室は野外にある。カンボジアの年間平均最高気温は30度近い
診療を受けに来る人たちはこれまで医師にかかったことがない人も多く、自身の健康状態すら把握できていない。
貧困もあるが、カンボジアでは医師不足も大きく影響している。
少し補足となるが、カンボジアではいわゆる「カンボジア大虐殺」と呼ばれる1975年から1979年に行われたポル・ポト派による非人道的な大虐殺により、多くの医師が殺害されてしまった。
それにより、経験豊富な医師がいなくなり、現在ようやく若手の医師が少しずつではあるが育ってきているという歴史的な背景がある。
だから、「ジャパンハート」に診療に来る人の中には、貧困に加えて、これまで診察を受けたことがない人も多く存在している。
「小児がんの治療」日本では8割以上治る一方で…
「小児がんは、日本では8割以上が治ると言われています。けれども、ここカンボジアでは2割程度で、約半数は診断すら受けられていないと考えられています。『ジャパンハート』の病院では手術や抗がん剤治療で救える命が増え、現地の医療者も育ってきていますが、まだまだ厳しい状況です」
生後半年で小児がん(神経芽腫)と闘う女の子
国全体で病院も医師も不足していて、「ジャパンハート」の病院に来た時点でかなり症状が進行しているケースも多く、亡くなってしまう子も少なくない。数多くの事件や事故を取材してきた藤田さんでも、心にくるものがある。
「昨日まで楽しそうに話していた子どもが亡くなったり、ここでなくても手術して退院した後に亡くなったことを聞くこともあります。やっぱりつらいですね」
ただ、それでも広報として、「自分たちの活動をカンボジア国内でより多くの人に知ってもらい、『小児がんは治るものだ』と伝えたい」そんな想いが強くある。
卵巣の腫瘍の摘出手術を終え、術後ケアを受ける女の子(12歳)
ここに藤田さんが作った1本の動画がある。小児がんを患った14歳の子どものドキュメント動画。
骨肉腫と闘う女の子のドキュメント動画(動画:ジャパンハート公式・吉岡秀人創設/YouTube)先行してFacebookにアップされた動画はカンボジア国内を中心に60万回以上再生された。
ただ事実を伝えるのではなく「自身の思い」をのせる
「カンボジアでは小児がん患者へのインタビューは珍しいと聞いています。だから余計に関心を集めたというものあると思います。でも、この動画を見て、少しでも私たちの活動を知ってもらえたら嬉しいですね。小児がんは治せるんだとわかってもらえたらと思います」
「伝えること」に関しては、これまでもNHKで記者として行ってきた。もちろんこの動画にも、それらの視点や伝え方など藤田さんの技術が詰まっている。
だが、それ以上に、ただ事実を伝えるのではなく、「自身の想い」をのせていることが、これまでとは大きく違うことだろう。
そして意外にも、医療現場の取材は、これまでほとんど経験したことがなかったという。
「福井でも、東京でも、NHKでは医療現場の取材はあまりしてこなかったんです。だから、カンボジアに来てはじめて知ることばかりで、日々勉強しています。もちろん映像の編集も自分自身ではやったことがなかったので、それも試行錯誤しながらやっています」
院周辺には血液センターがなく、スタッフが院内で献血することも
環境はもちろん、待遇面でもNHKにいる頃とは大きく変わった。
「ジャパンハート」は基本的にボランティアスタッフに支えられている団体であり、常駐のスタッフといえど、もらえる給料はわずかばかり。
施設内の宿舎に寝泊まりしているとはいえ、収入が大きく減ったのは紛れもない事実だ。
それでも藤田さんが「今の仕事を続ける理由」はなんなのだろうか。
「死と向き合って伝える」ということ
「やっぱり亡くなってしまう子も多いので、常にどういう風に伝えたらいいのか悩んでいます。ただ、自分が取材をして動画などで伝えることには意義があるし、何よりも『喜んでもらえる』のがモチベーションですね。その子が生きていた証を残すっていうこともあります」
腎臓のがんと闘う女の子(3歳)。両方の腎臓の腫瘍摘出手術を受けた
NHKという大きな組織に所属していたからこそできていたことや受けた恩恵を離れたいまだからこそ、わかったことも多い。
「たとえばNHKにいた頃、周りはみんな記者で、チームとして同じ方向を向いていて、自然と大きな仕事に携わってたりしたんですが、今は自分から動かないと何も起きません。それに、『ジャパンハート』は寄付金がなければ活動できませんし、医療が最優先なので、どうやりくりするかを常に考えてます」
同じ記事を書くにしても、たとえばWEBの記事がNHKから発信されるものであれば簡単に何十万というページビューとなるが、今はそうもいかない。「いかに読んでもらえるか」を考えなければ、誰の目にも止まらないものとなってしまう。
「NHK記者の肩書きを失って、いかに今まで組織に守られていたかを実感しています。これからのキャリアを自分ひとりで築かないといけないというのはすごく大変なことだし、恵まれていたことがよくわかりました」
「NHKを辞めるときは本当に周りのいろんな方から心配されましたが、いざ辞めてみると『なんとかなるな!』っていうのが正直な感想です。それこそ、金銭的にはもう大幅に下がってますけど、それ以上に今が楽しいですね。自分で好きなことをやりつつ、それで生活は成り立つんだって感じました。もちろん、将来を考えると今の待遇をずっとというのは難しいですけど」
病院近くの飲食店では、子どもたち向けに、無料の日本語教室も定期的に行われている
奉仕精神のもとで活動している「ジャパンハート」は医師をはじめ、ほとんどのスタッフがボランティアかもしくはそれに近い薄給で活動している。ゆえに、将来を見据えると現実的には長く続けることは難しい。
そのため「次なるキャリア」を考えるのは当然のことだろう。そのうえで、藤田さんは現状に満足することなく、国際的な組織で働くために「さらなる挑戦」を考えている。
「辞めてもなんとかなる」「後悔はしていない」
「将来的には、より大きな国際機関で働きたいなと考えています。そのためには、まずは修士号を取得する必要があるので、大学院で学びたいなと思っています。今の経験を活かして、さらにキャリアを重ねていきたいですね」
今はまだ転職して1年未満。経験したことのない医療現場での毎日は本当に学ぶことだらけだという。
大きな組織を離れたことは後悔してはいない。むしろ振り返ってみてありがたみを知ったことがよかったと語る。
藤田さんの人生のロードマップは、今まさに世界に向けて大きく描かれている途中だ。
編集者が取材に訪れた2024年3月には、病院の入口に大きな花が咲いていた(撮影:原悠介)
*この記事の前半:NHK辞めた「30歳女性」収入激減も"手にしたもの"
(松原 大輔 : 編集者・ライター)