AMD、アップル、テスラを渡り歩いてきた天才エンジニアのジム・ケラー氏(撮影:今井康一)

メタのザッカーバーグCEOが岸田文雄首相と面会した2月27日。もう一人のハイテク界の大物が東京にいた。半導体業界の伝説的なエンジニア、ジム・ケラー氏だ。

AMD時代に圧倒的なコスパのCPU(中央演算処理装置)で黄金期のインテルに対抗し、倒産目前だった自社を救ったのは産業史に残る逸話だ。アップル、テスラでも独自半導体の開発を率い、「シリコンの魔法使い」とまで呼ばれる。現在はカナダのスタートアップ・テンストレントのCEOとしてAI用半導体を開発するケラー氏。エヌビディアが独占するAI半導体市場に、魔法使いはどう挑むのか?

だからエヌビディアは強い

――過去40年以上、そうそうたる企業で半導体を開発してきました。半導体産業を深く知るあなたから見て、今の業界王者であるエヌビディアの強さとは?

AIがもたらす半導体需要の「先行者利益」をつかんだことだ。ではなぜ先行者になれたのか? 技術的にはいろいろあるが、詰まるところは創業者ジェンスン・フアンの手腕だ。

私はテスラにいた当時、ジェンスンと何度か会っている。テスラはエヌビディアの顧客だからね。彼は頭が良く、そして挑戦心が旺盛な人間だ。彼の挑戦はつねに成功したわけじゃない。モバイル用のチップはうまくいかなかった。モデムチップへの投資も失敗した。ゲーム機もだめだった。

そういう数々の挑戦の一つが、高速コンピューター(HPC)用のGPU(画像処理装置)だった。

今でこそAI需要でHPC用の半導体は急成長しているが、彼が投資し始めた当時はこの市場がここまで大きくなるとは誰も思っていなかった。「GPUをHPCに使うなんて時間の無駄」という外部の声にジェンスンが耳を傾けていたら、エヌビディアが先行者利益を得ることはなかった。

エヌビディアの1.9兆ドル(約285兆円)という時価総額は、ある種の幸運の結果だとしても、HPC市場での成功は決して偶然の結果じゃない。

「顧客は自分が何を欲しいのかを知らない」と言ったのはスティーブ・ジョブズだったが、ジェンスンがCUDA(GPUを使いやすくする開発環境ソフト)を導入したのはまさしく、顧客がそれを欲しがったからじゃない。GPUを使ったHPCは伸びると彼自身が顧客より先に確信し、そのために何が必要かを見極めたからだ。

今後10年、AIは飽和しない

――そのエヌビディアに、あなたがCEOを務めるテンストレントはAI半導体の新興企業として挑戦するわけですね。

挑戦なんかしないよ。エヌビディアと競争する必要なんかない。AI半導体の市場はまだまだ10年は飽和しない。この成長市場で、私たちは全然違うやり方でやるんだ。


Jim Keller●テンストレント・ホールディングス(本社カナダ・トロント)CEO。半導体アーキテクト(設計者)。AMD時代に開発したCPUで、インテルから二度にわたりシェアを奪った。アップルでは独自プロセッサー「Aシリーズ」の初期開発に関わり、iPhoneの性能向上に貢献。テスラでも自動運転システムのプロセッサーを開発するなど、数多くの半導体設計プロジェクトを成功させた。インテル上級副社長の後、2020年にテンストレントにCTOとして入り、2023年1月から現職(撮影:今井康一)

エヌビディアであれどこであれ、巨大企業の目的はより高い株主利益を上げること。これに対して私たちはスタートアップだから、コンピューターをめぐる新たな技術と半導体を実現することが優先的なミッションだ。

たとえば私たちは、AIチップに書き込むソフトウェアをオープンソース化し、ユーザーに無償公開している。CPU技術をIPとしてライセンス提供もする。こんなことは、株主利益を重視する大企業にはできない。

AIの用途は本当に幅広く、無数の小規模なユーザーがいる。そのすべてがエヌビディアやインテルが提供する半導体に満足しているわけではない。私たちはこういった無数のユーザーに対し、AIを自由に使いこなせるコンピューター基盤を提供する。そのための半導体開発だ。

新しい技術や製品の価値を見極めるのはとても難しい。市場の変化は非常に速く、あるときに最強に見えた企業であっても簡単に地位を失い、新しいプレイヤーにとって代わられる。

――栄枯盛衰が激しい。

緩やかに衰退するか、突然消えるかの違いはあっても、あらゆる独占企業が消えた。そういう世界だ。

私たちは今、多忙を極めている。製品を出荷し、事業規模を本格的に拡大するフェーズだからだ。日本では今年、開発拠点を開く。エンジニアを採用中で、入居する不動産を物色しているところだ。開設時期はまだ言えない。

私自身は資金調達モードだ。日本の投資家とも会っているよ。

――将来的には上場しますか?それともOpenAI(マイクロソフトが出資)のように、ハイテクガリバーの傘下に入る?

上場するよ。2年後がターゲットだね。そのときには本当に大きな数字(時価総額)を出すつもりだ。

孫正義の野望は「金では実現できない」

――日本ではソフトバンクグループの孫正義氏がAI半導体のスタートアップを作ると報じられています。中東などから巨額の資金調達をするとか。

知っている。しかし実のところ新しい半導体を作るためにお金で解決できることは少ない。ある技術が巨額投資さえすれば掌握できるなら、それはもはや陳腐化した技術だ。そんな技術を使った事業には、巨額投資に見合う付加価値はない。

AIコンピューティングと半導体の技術は、これから10年で大きく変化する。そのインパクトは甚大で、インターネットがもたらした影響をも上回る。この激変局面でカギを握るのは、お金よりも人だ。

――人材が勝敗を左右する?

そうだ。チームは小さくていい。私がテスラで自動運転用の半導体を開発していたとき、チームはわずか50人ほどだった。むしろ小さい所帯のほうが私は好きだ。

大事なのは、リーダーに極めて明確な目標があること。その目標を何度も繰り返し、チームに説くこと。1人1人が何をすべきか心底理解させること。そのためには、真の専門知識が不可欠だ。

そして最も重要なのは、チーム全体のエネルギーを高め、全員が勝者のように振る舞うようにすることだ。これが難しい。人間は実に面白い。自分が勝者だと思えば勝つし、逆に負け犬気分ならひどい振る舞いをする。スポーツでは負け癖のついたチームは勝てないだろう?

私がアップルで働いていたときは、チームの誰もが「われわれは最高だ、われわれは勝者だ」と感じていたものだ。

――あなたがAMD時代に開発したCPUは、インテルから激しくシェアを奪いました。当時のインテルと言えば今のエヌビディアのように市場を支配する企業でしたが、どうやって弱点を見つけたのですか。

当時のインテルの開発チームは大きすぎて、製品はユーザーにとって複雑で制約の多いものになっていた。1000人のエンジニアがそれぞれ機能を追加したら、複雑な仕様になってしまう。何から何までお金をかけすぎた結果、高い製品が生まれていた。

支配的な立場に立った企業は、徐々に販売価格を上げて高いマージン(利益率)をほしいままにする。ある時点までは自然なことだが、いずれ多くの顧客が耐えかねて、代替品を望み始めることになる。そのときに私たち小さなチームは、顧客から要望やアドバイスを聞いて、新しい選択肢を提示したわけだ。

現在、エヌビディアのマージンは非常に高く、誰もが代替手段を求め始めている。こうなってくると、顧客はサプライヤー(半導体メーカー)に協力的ではなくなってくるんだよ。

――そしてエヌビディアは誰かに取って代わられる?

未来については何とも言えない。ただあの会社にとって一つ圧倒的に有利なのは、優れた創業者がまだ健在だということだ。

ラピダスへの懸念

――テンストレントはラピダスと協業しています。しかしラピダスについて、日本の半導体業界関係者の多くは懐疑的な目で見ています。あなたはラピダスが成功すると思いますか。

私たちは半導体の製造委託先としてまずグローバル・ファウンドリーズを選んだ。来月にはTSMCを使う。その次はサムスン電子で、さらにその先にラピダスで生産する予定だ。

私が知る限り、ラピダスは他よりもスピード重視のファウンドリー(製造受託企業)だ。それが気に入った。市場が急速に変化しているときは、設計から製造までのスピードが重要だからだ。ラピダスがうまくいくことを私は祈っている。

ただ懸念は、TSMCと同じようなことをしようとしないか、ということだ。ラピダスは2ナノメートル世代の先端ラインを建設するというが、それは良くもあり悪くもある。相手と同じことをする限り、予想以上の大きな成功は起こり得ない。

――ラピダスが誕生した背景でもありますが、日本やアメリカなど各国政府は巨額補助金を支出し、半導体産業の振興に乗り出しています。

補助金のおかげで資金不安が減り、成長する企業もあるだろう。だが同時に、補助金をもらうことばかり考え、進歩しなくなる企業もある。

私はアメリカの複数の議員とCHIPS法(アメリカ国内の半導体産業に関する政策)について議論をした際、「産業全体を振興したいなら、インテルやアップル、TSMCのような大企業におカネを与えるだけではダメだ」と指摘した。新しい技術は、新しい企業が生むのだから。

歴史が教えてくれるのは、政府の産業振興策は役に立つこともあれば、そうでない場合もあるということだ。アメリカは自由貿易協定によって多くの雇用を失ったが、その割に自動車の価格は期待通りに下がりはしなかった。政策の効果は複雑であり、予測不可能だ。


1月27日、ラピダスとテンストレントは共同会見を開催し、開発・製造で協業すると発表した。左がラピダスの小池淳義社長、右がジム・ケラーCEO(編集部撮影)

制裁が中国を強くする

――アメリカは自国産業を振興しつつ、対立する中国には半導体設備の禁輸制裁をしています。この影響は?

実のところ中国にはすでに、オランダのASML(半導体設備最大手)のコピー製品を作れる地場企業が出現しており、目覚ましい業績を叩き出している。

現実としては、制裁は中国が産業における自立性を高めるきっかけになっている。同じようなことは、今まで何度も起こってきた。

――米中対立という地政学要素が世界の半導体投資を加速させています。地政学要素は企業家にとってリスクですか、好機ですか。

今、半導体への投資が活気を帯びているのは、技術の進歩と需要があるからで、地政学的対立は一つの要素にすぎない。もしある国が自国に優れた半導体企業を望むなら、補助金と制裁だけでは不十分だ。起業しやすい制度があり、新興企業に投資する有力なベンチャーキャピタルがあること。そういった複数の要素があってこそのことだ。

(杉本 りうこ : フリージャーナリスト)