「皆婚→難婚→結婚不要」社会に至る深刻なワケ
(写真:HiroS_photo / PIXTA)
2月27日に発表された厚生労働省の速報値で、2023年の国内の出生数が過去最少(75万8631人)になったと明らかになりました。さらに婚姻件数も48万9281組で、1933年以来、90年ぶりに50万組を下回った、とのこと。
「結婚は皆がするもの」から「結婚が難しい社会」、そして「結婚などそもそもしない方がリスクは少なく生活していける」社会へーー。
そう指摘するのは家族社会学の第一人者で、「パラサイト・シングル」や「婚活」という言葉を生み出してきた山田昌弘・中央大学教授です。
山田教授の新著『パラサイト難婚社会』から一部を抜粋し、「少子化難婚社会」に至った背景について考えます。
「皆婚」社会から「難婚」社会へ
「皆婚」社会は、「男皆正社員」社会と、二人三脚でした。
男性が「働いて家族を養える」収入があるからこそ、多くの人が安心して「結婚」を望み、手に入れることができたのに、「働いても、家族を養えるほどの収入が得られない」経済状態では、「結婚」は難しくなります。
雇用が安定している中間層が没落すること、つまり日本が非正規雇用社会へ移行したことで、「皆婚」社会もまた成立不可能になってきたのです。
3カ月契約、半年契約、1年契約でしか職を確保できない人が、どうして3年後、5年後、10年後の未来を安定的に予想できるでしょう。
しかも、「終身雇用制」は崩れているように見えるのに、「新卒一括採用」は崩れませんでした。大学卒業時が就職氷河期に重なってしまった2000年前後、日本には膨大な非正規雇用者が生まれました。
間の悪いことに、彼らはちょうど人口の多い「団塊の世代ジュニア」でもありました。本来ならば、この世代が結婚適齢期になったら、大量に結婚し、大量に出産するはずでした。当時の未婚者の結婚希望率は、男女とも90%以上だったのです。
少なくとも彼らが結婚し、それぞれ、2人ほどの子どもを産み育てていれば、日本の少子化はまだしもスピードを緩めることができたはずです。
ところが、彼らのかなりの部分が大学卒業時から10年を経ても、正社員になることは難しかったのです。非正規雇用は、その雇用形態が不安定なだけではなく、継続したキャリアアップが望めないという弱点とセットになっています。
各国の平均年収の推移を見ると、右肩上がりの先進諸国に比べ日本はずっと横ばいだ(画像:『パラサイト難婚社会』)
コールセンターで非正規雇用として採用された人は、1年後も3年後も同じ仕事をしていますし、事務職員として採用された派遣社員は、3年後も事務職員として変化のない仕事に従事し、任期が終わると別の会社に派遣され、またイチから同種の仕事をさせられるのです。
コンビニやスーパーマーケット、居酒屋でサービス業に従事しているアルバイトも10円単位の昇給が精一杯、しかも勤続日数を重ねたところで正社員になれるわけでもありません。
新たなスキルアップをする機会を得られない非正規雇用者は、当然昇給とも昇進とも無縁です。日本社会が「格差社会」になったのは、このように昨年も今年も来年も、上昇していくことができない非正規雇用者を大量に生み出したことに、原因の一つがあるのです。
彼らは、ちょうど1997年に私が「パラサイト・シングル」と名付けた世代でもありました。当時、「成人しても、親と同居している独身者が1000万人」いる現実を知り、私は彼らを「寄生独身者」と称したのです。
もちろん当事者たちからは、「寄生だなんて、好きでしているわけではない」「悪意あるネーミングだ」と反論も受けましたが、まさに「好きでしているわけではない」のが重要なポイントでした。
近代社会のセオリーに従えば、成人して学卒後は親元を離れ独立するのが当然で、ヨーロッパやアメリカでもそれが常識ですが、バブル崩壊後の日本では、経済的事情から独立できない若者を大量発生させてしまったところに、超少子高齢社会日本の最初の躓きが隠されていました。
要するに「結婚し、子どもを複数産み育て、成人させるだけの経済的責任を負いかねる」若者が激増したことが、日本を「皆婚」社会から、「難婚」社会へと変えていったのです。
親世代とのあまりの違いに驚く
私はここ数年、大学の学生たちに、ある宿題を出しています。それは、「ご両親に、新社会人当時の話を聞いてきてください」というものです。
首をかしげながら帰宅する学生たちですが、翌週、一様にびっくりしたような顔でインタビュー結果を報告してきます。
「お父さんは、就職活動など特にしなくても就職したらしいです」
「どうやって就職したのか、最後まで教えてくれませんでした」
「お母さんには、“アッシー”、“メッシー”が何人もいたそうです。僕は、そんな言葉も初めて聞きました」
「会社から内定が出たら、豪華レストランに連れていかれてごちそう三昧だったらしいです」
「短大時代もOLやってた時も、授業や仕事が終わるとクラブでパラパラを踊ってたと言ってました。私(女子学生)はそんなところ、行ったこともないのに」
今の学生たちにしてみれば、そんな日本があったなんて信じられないでしょう。実際に彼らは、どこの龍宮城の話かとキツネにつままれたような印象でした。
彼ら自身、自らの両親の体験談でありながらも実感を持てない様子で、「ふ〜ん」「すごいね……」くらいしか言えなかった様子が窺えます。
ある意味、「昔はこんな苦労をしてね……」という戦中世代の話以上に、「昔はこんなに良かったんだよ」的な話も、比較の対象がなさすぎて実感に欠けるのです。 現在の大学生の親たちは、ぎりぎりバブル期に就職・就労をした世代が多いのです。
かくいう私自身も、いわゆるバブル期に社会人となり大学勤務となりました。一般企業のような華やかな青春時代は送れませんでしたが、それでも当時の社会的熱狂、若者の持つパワー、一種異様な金銭感覚と狂乱めいた経済感覚は肌身で受け止めていました。
「専業主婦」と「働く妻」男女の結婚観に差
あれから30年が過ぎ、今の日本経済に当時の面影はありません。現在の日本では、「子どもを四年制大学に進学させられる家庭」イコール「裕福な家庭」とは限りません。
学生自身が一所懸命アルバイトをして、学費や一人暮らしの生活費を賄っていたり、奨学金を借りて社会人になると同時に返済し始めたりするケースも珍しくありません。
そんな学生たちは、身近な先輩たちから就職のリアルを聞き出し、戦々恐々としています。
「制度的に有給休暇はあるが、すべて取得することはできない」「一年中、超過勤務だらけ」「ブラックな企業でメンタルを病んだ」「どんなに頑張っても給料は上がらない」「むしろボーナスカット続きだ」など。
今は学生の身分でも、「将来、定年まで働き続けて、家族を養うこと」はそれだけで非常にハードルの高いことだと敏感に察知しているのでしょう。
だからなのか、女子学生には「専業主婦」希望者がいまだ半数に及びます。先輩の話を聞いていて、「朝から夜まで働かされるのはつらい」という意見です。
その一方、“一家の大黒柱”と目される側の男子学生は「理想とする結婚スタイル」として、「ダブルインカムが大前提」と語るケースが多くなったのが印象的でした。
すでに20歳前後にして、男女の結婚観に大きな乖離、すなわちミスマッチが生じていることが窺えます。これは30年前に起きていたミスマッチ、つまり「男性は妻に家庭に入ってほしいが、女性は子どもが生まれても働き続けたい」とは真逆のものでもあるのです。
しかし仮に、望み通りに「働く妻」を得られ、「ダブルインカム」になったところで、かつてのような可処分所得の多い裕福な夫婦、いわゆる「パワーカップル」になれるとは限りません。
5割に迫る国民負担率が結婚を遠ざける
今や国民負担率が5割に迫る日本です。所得に占める税と社会保障負担を合わせた比率が「国民負担率」ですが、現在の学生が生まれた約20年前の2000年には35.6%だったのが、2023年には46.8%になる見通しです。
さらに上の祖父母世代に当たる1970年には24.3%だったことを考えると、その差は歴然としています。
所得の4分の1を税として納める国から、その半分が税金(プラス社会保険料)として徴収されてしまう時代へ。その結果生まれたのが「結婚不要社会」だった、というのが私の見立てです。
「結婚は皆がするもの」から、「結婚が難しい社会」へ、そして「結婚などそもそもしない方がリスクは少なく生活していける」社会へと、日本社会は変遷していったのです。
いくら「結婚」は本人の自由意志とはいえ、社会全体の前提がここまで大きく変化してしまったことは、私たち中高年世代の責任とも言えるかもしれません。
「結婚しない若者」を、「自分勝手」と評することはできないということです。
(山田 昌弘 : 中央大学 文学部 教授)