「週刊誌を訴える」芸能人続出が暗示する"臨界点"
デヴィ夫人が自身のインスタグラムで、『週刊文春』と一般社団法人AMITIE SANS FRONTIERSの関係者を名誉毀損および信用毀損の罪で刑事告訴したことを発表した(画像:デヴィ夫人の公式Instagramより)
2月27日、「芸能人が週刊誌を提訴」というニュースが相次いで報じられました。
まずデヴィ夫人が自身のインスタグラムで、『週刊文春』と一般社団法人AMITIE SANS FRONTIERSの関係者を名誉毀損および信用毀損の罪で刑事告訴したことを公表。これはデヴィ夫人が代表理事を務めていた慈善団体「アミチエジャポン」の資金を持ち逃げし、他の理事とトラブルになっていることなどを『週刊文春』が報じた記事に対する訴えでした。
デヴィ夫人は記事の内容を「事実無根」「断定的な表現で私を貶めようとするもの」「極めて悪質」などと断罪。さらに「様々な謂れのない誹謗中傷を受け、私・娘・孫の心は深く傷つき」「私は、このまま社会から抹殺されるのではないかとの恐怖感も覚えました」などと刑事告訴に至る経緯を吐露しました。
同日、2022年10月に交通事故で亡くなった仲本工事さんの妻で歌手の三代純歌さんが都内で会見を開き、『週刊新潮』、『女性自身』、『週刊女性』に対して名誉毀損による損害賠償を求めた提訴を発表。
損害賠償の請求額は、『週刊新潮』(新潮社)が2200万円、『女性自身』(光文社)が4400万円、『週刊女性』(主婦と生活社)が1650万円の計8250万円で、三代さんは「全然違うことを書かれて、しかも『収益のために週刊誌がこんなに書くのか』と本当に私は許せない気持ちでいっぱいです」「ねつ造してるんだと思います」などと怒りをあらわにしました。
文春との訴訟経験者も積極的に発信
「芸能人が週刊誌を提訴」と聞いて思い起こされるのが、松本人志さんによる『週刊文春』(文藝春秋)の提訴。これまで名誉毀損による損害賠償請求額が5億5000万円であるほか、第1回口頭弁論が3月28日に東京地裁で開かれることなどが報じられています。
また、昨年末の12月29日にもX JAPANのYOSHIKIさんをマネジメントするジャパンミュージックエージェンシーが『女性セブン』(小学館)の記事に対する名誉毀損の損害賠償を求めて提訴。2月19日に第1回口頭弁論が東京地裁で行われ、小学館も争う姿勢を示したことなどが報じられました。
現在はこのような「芸能人が週刊誌を提訴」という流れが生まれているだけではなく、下記のようなさまざまな発信が飛び交い、週刊誌報道について議論が交わされています。
日々ネットニュースをにぎわせているのが、東国原英夫さん、橋下徹さん、木下博勝さん、せいやさんら過去に『週刊文春』との訴訟を経験した人たちによるSNSでの発信。
さらに、『週刊文春』『文藝春秋』元編集長の木俣正剛さん、『週刊現代』『FRIDAY』元編集長の元木昌彦さんらが週刊誌の内部事情を知る立場から記事を書くなど情報が錯綜し、そのたびにSNSや記事のコメント欄がヒートアップする状態が続いています。
一連の週刊誌報道に対する動きにはどんな背景があり、どんな問題が潜んでいるのでしょうか。芸能人と週刊誌、それぞれの事情を知る立場から、公平な目線で掘り下げていきます。
週刊誌報道を疑問視する声が浮上
松本さんに関する報道が過熱した1月中旬から下旬にかけて、ネット上に「風向きが変わりはじめた」というムードが生まれました。
それまでは「被害者女性を第一に考えるべき」「さすが文春」「もう松本人志は復帰できないのでは」などと報道に肯定的な声が大勢を占めていたものの、一転して「文春はやりすぎ」「週刊誌が力を持ちすぎるのはどうか」「松本人志が不利すぎるのでは」などの声が浮上。この背景には、性加害とは別次元のプライバシーにかかわる続報が多かったことや、実際に松本さんが出演番組から姿を消しはじめたことなどがありました。
松本人志さんは1月に文藝春秋を訴えている(画像:吉本興業HPより)
同様に27日から28日にかけてデヴィ夫人や三代さんの記事が報じられた際も、そのコメント欄には下記のような週刊誌報道を疑問視する声があがり、多いものは数万単位の「共感した」が押されていました。
「この件についての真実は別として、断片的、表層的な事実を誇張し、誌の売上のためにスクープと称して報道する週刊誌の姿勢には疑問を持たざるをえない。(中略)このような悪質な商売を野放しにしてはならないし、報道の自由をかざした暴力に抑止力をもうけなければならない」
「この件の良し悪しは別にして、確かに最近のマスコミは利益第1主義で表現の自由を盾にやりたい放題感はある。このような訴えが増えてくれば週刊誌も考えるようにはなるかもしれない。(中略)人権侵害を報道していたマスコミが人権侵害をしていることにはあまり矛先が向けられていなかったのでこのような訴えが増えることは望ましいことかもしれない」
デヴィ夫人のコメントには、まさにこうしたネット上のムードを追い風にするような下記の文章がありました。
「最近は、一部の週刊誌が強い権力を持ち、一般の方が週刊誌に情報を提供し、週刊誌が他方当事者である著名人の言い分を公平に載せることなく著名人を貶め、社会から抹殺している事象が、多数見受けられます。そのような報道姿勢は、表現の自由、報道の自由に名を借りた言葉の暴力と申し上げざるを得ません。昨今、言葉の暴力が、人を死に至らしめたという痛ましい事件も発生しております。社会の公器たる報道機関が、むやみに言葉の暴力を振りかざすことを持て囃すかのような最近の風潮は、極めて危険であり、直ちに改められなければなりません。また、一般の方が、紛争解決のため、正規の手続に拠ることなく、週刊誌を使って著名人に追い込みをかけているとすれば、それは、報道機関が持つ権力を笠に、言葉の暴力を利用する共犯者というべきであり、そうした姿勢が正しいかどうかも、十分に検討されなければなりません。そのような思いから、今般、刑事告訴に踏み切る決断をした次第です」
これは自身に関する記事だけでなく、週刊誌そのものの報道姿勢を「言葉の暴力」と考え、「世間に問いかけたい」という強い意志を感じさせるコメントでした。
さらに「私は、事を荒立てず鎮静化を待つのが良いのか、あるいは、人がさらに離れて行くリスクも負いつつ法的措置に及ぶのが良いのか、熟慮を重ねておりました」とつづっていたことも示唆に富んでいます。これまで多くの芸能人は、週刊誌に記事を書かれ、それが真実とは異なっていても「事を荒立てずに沈静化を待つ」という選択肢を採るのがセオリーでした。
その背景には「反論すると『人気商売なのに器が小さい』と言われ、タレントイメージがさらに損なわれる」「『相手にしたら相手の思うつぼでこちらの負け』とみなされてきた」という昭和のころから続く芸能界ならではの考え方によるところもあるのでしょう。
短期間で人々のリテラシーが急上昇
しかし、時代は変わり、SNSで集中的に攻撃を受けてしまうほか、一連の情報が半永久的にネット上に残り続けてしまうデジタルタトゥーの問題などもあって、「事を荒立てずに沈静化を待つ」という方法では乗り切れなくなりました。つまり書かれた芸能人は週刊誌を訴えるなどのアクションを起こさなければ、「報道が正しい」とみなされて人々の攻撃を受けるほか、数年過ぎたあとも忘れてもらえず、再度の攻撃を受けてしまうリスクが残ってしまうのです。
報道の真偽こそわからないものの、松本さん、デヴィ夫人、三代さんに共通しているのは、「週刊誌報道の是非を世間に問いたい」という姿勢。特に松本さんの連日に及ぶ報道を踏まえてコメントする形ともなったデヴィ夫人と三代さんは、世間の風向きが変わりはじめたこともあってなのか、堂々と週刊誌報道の是非を問う姿勢を見せた感がありました。
これまで芸能人は自分を守るディフェンスすらさせてもらえず、「事を荒立てずに沈静化を待つ」という、黙って耐えるのみの対応が多かっただけに、ようやく反論体制が整いはじめたのでしょう。週刊誌を提訴した芸能人たちは訴訟によって自身の名誉回復はもちろんのこと、週刊誌報道が変わるきっかけになってほしいと願っているのではないでしょうか。
そしてもう1つ、「芸能人が週刊誌を提訴」という流れが今後も続きそうな背景として挙げておきたいのが、名誉毀損の訴訟における人々のリテラシーが短期間で飛躍的に上がっていること。
『週刊文春』による松本さんの報道をテレビやネットメディアが連日報じ続けていることで、世間の人々は多くの情報を得て日に日に理解度を上げています。
たとえば、裁判のポイントが「世のためになる記事か」を問う公共性・公益性、「記事の内容が真実と立証できるか」を問う真実性、「裏付け取材をどれほど行ったか」を問う真実相当性の3点となること。あるいは、訴訟にはどんなステップがあって、どれくらいの年月がかかるのか。損害賠償の請求額はいくらが妥当で、勝訴したらどれくらい支払われるのか。
これらを世間の人々が知ることで、訴える芸能人にとっては「損害賠償の金額が低かったとしても、もし勝てなかったとしても、自分の苦しい立場や週刊誌に有利な不公平さを理解してもらえるかもしれない」というかすかな希望が生まれています。
週刊誌の処分が少ないという不満も
もちろん現在も週刊誌報道に肯定的で、「被害を訴える人々の味方であり続けてほしい」「もっともっと不正を暴いてほしい」などと考えている人も多いのは間違いないでしょう。ただ、現在はその肯定的と思われる人々ですら、「できれば政治家の不正を暴いてほしい」「芸能人にここまでやる必要性はないかもしれない」などの声が目立ちはじめています。
芸能人は疑惑の段階で本人だけでなく家族や関係者も含めてダメージが大きいこと。一方は長期にわたって調べるのに、芸能人は短時間の回答期限を決めるなど取材の差があること。他人に知られたくないプライバシーにかかわる内容が多いこと。週刊誌には訴訟で戦うノウハウがあり、負けても賠償額は少なくダメージコントロールできること。それらのことに、肯定派の人々が気づいたからなのかもしれません。
逆に週刊誌報道の否定派には、「もし裁判で負けたら廃刊にするくらいでなければ不公平」などの強烈な声も散見されています。なかには、食品や飲食、家電や住宅、自動車や交通機関などの企業を例に挙げて、「週刊誌などのメディアだけ、商品回収、販売停止、営業停止、許可取消などの処分がほとんどないのは不公平で、だからやりたい放題なのではないか」という声も見られました。
もちろん週刊誌の編集部としては、公共性・公益性、真実性、真実相当性に絶対の自信を持って報じている」という記事も多いのでしょう。実際、文春オンラインはデヴィ夫人の刑事告訴が報じられた翌28日に「〈刑事告訴〉デヴィ夫人に『『週刊文春』』と団体理事が徹底反論 『1700万円持ち逃げトラブル』証拠文書も公開 理事は『大変驚き、恐ろしく感じている』」という反論記事をアップしました。
今後も芸能人と週刊誌サイドはこのように互いの主張をしていくでしょうし、だからこそ私たちは1つひとつの報道を冷静かつ公平な目線で見ていかなければいけないと感じさせられます。
過激な内容でシンクロする不自然さ
そしてもう1つ最後に挙げておかなければならないのは、週刊誌のみならず雑誌をめぐる厳しい状況。週刊誌や月刊誌が売り上げ減を理由に季刊誌や不定期刊行誌に変わる。あるいは廃刊が報じられるなど、雑誌をめぐる状況はさらに厳しさを増しています。
ある意味でその厳しさを象徴しているのが、「独り勝ち」と言われる『週刊文春』ですら電子版の中に“ご寄付のお願い”というページを設けていること。さらにその中で、「多くのメディアは今、取材費の問題に直面しています。実際に『現地にはいかずに電話取材だけで済ませるように』と言われている記者もいます。本格的な調査報道を断念せざるを得ない媒体は、日に日に、確実に増えています」などと事情を明かして取材費を捻出しようという動きが見られます。
筆者自身、長年にわたって週刊誌編集部にコメント提供するなどやり取りを続けてきましたが、近年は大手出版社でも「もはや紙の雑誌はフラッグシップという認識」「主力社員をオンライン版に移動させて収益増を急ぐ」などの変化を強いられていると聞いていました。
そのオンライン版はどの週刊誌も配信しているものの、新聞社系やネット専門メディアなども含めた争いは熾烈。「広告費を得るための厳しいPV争いにさらされる中、より人々の関心を引ける芸能人の記事が過激になっていく」という状態が続いています。
三代さんは会見でそんな状況に疑念を抱いていました。訴えた3誌すべてが「加藤茶さんが三代さんを叱責した」などと報じたこと。さらにそのうちの2誌が「仲本さんの所属事務所社長からもらった戒名料を三代さんが着服しようとした」などと報じたことを疑問視していたのです。
彼女は「どちらも身に覚えがないことなのに、なぜ同じ内容を書かれたのかわからない」というニュアンスで語っていました。誰かが嘘の証言をしているのか。それとも、取材せずに他誌の情報をもとに書いたのか。『週刊新潮』が「モンスター妻」、『女性自身』が「鬼妻」という近いフレーズで書いたことなども含め、週刊誌報道が過激な内容でシンクロしている不自然さや不気味さを伝えたかったのではないでしょうか。
「報じる側」も「報じられる側」も疲弊
各週刊誌の編集部と長いつき合いがあるからこそ筆者が気がかりなのは、現場の編集部員や外部スタッフの疲弊。日々、過激な切り口や見出しの記事を求められ、張り込みや聞き込みを続け、事件・不正・不倫など人間の暗部にふれ続け、他人の人生を大きく変えてしまったという罪悪感を抱かされる。
さらに最近はネット上に「編集長や記者の素行を調べろ」「記事を書いた記者の実名をさらせ」などの物騒なコメントがあがるなど、本人たちがストレスや恐怖を感じさせるような機会が増えています。
このままの状況が続けば、報じられる芸能人も、報じる週刊誌の編集部員も、「心身を病んでしまい、命にかかわる最悪の結果を招く」というリスクが高まっているのではないでしょうか。このところ記事が報じられるたびに、芸能人か週刊誌のどちらかが批判されるケースが続いていますが、両者とも危うい状態に見えてならないのです。
その意味で今回の「芸能人が週刊誌を提訴」という流れは、「命の危機というレベルまで近づいてきている」という警鐘なのかもしれません。少なくとも私たちは芸能人にかかわる過激な切り口や見出しの記事が報じられても、瞬発的に批判の声をあげることなく、落ち着いて推移を見守るというスタンスを採りたいところです。
(木村 隆志 : コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者)