大学の授業中、学生が鍋を食べる...驚きの光景にSNS賛否両論 許可した教授が明かす「自由」めぐる深い理由
大学の授業中に鍋を食べる学生が現れた――。大阪公立大学の教授がX(旧ツイッター)に投稿したそんな写真がSNSで話題になった。
投稿したのは、ポピュラー音楽研究者で同大学教授の増田聡さん。以前から「自分の授業では教室で鍋をやってもいい」と許可しているという。今回の学生の行動について「わたしは大学とはこういう場所であるべきだと思ってます」との見解を示した。
投稿に対しては、「素晴らしい取り組み」などと称賛する声が上がる一方、「これで授業が成立するはずがない」などと批判する声も上がった。J-CASTニュースは、授業中の鍋を許可する理由や大学教育のあり方について、増田さんに詳しい話を聞いた。
「迷惑をかけなければ授業中に鍋をやってもいい」
事の発端は、増田さんが2023年12月5日にXに投稿した2枚の写真だ。1枚目には卓上ガスコンロに置かれた具材入りの鍋が写っており、2枚目には学生たちで鍋を囲んでいる様子が写っている。
以前から授業中の鍋を許可しているという増田さんは、「ようやくほんまに鍋やってくれた学生(一回生)が現れました」とコメント。「大学とはこんなふうに手間暇かけて自由であることのディテールを確認する空間であるべき」との見解を示し、学生を称賛した。
この投稿は24年1月22日までに5万9000件以上の「いいね」が集まるなど話題になり、一般ユーザーからは「素晴らしい取り組みだと思う」「大学って本来こういうもんだよね」などと称賛する声が上がった一方、「これで授業が成立するはずがない」「自由を獲得したのではなく、教授に忖度しただけでは」などの批判的な意見も寄せられた。
投稿が話題になったことを受け、増田さんは同日、「わたしは大学とはこういう場所であるべきだと思ってます」と改めてコメントしている。
なぜ授業中の鍋を許可しているのか。増田さんは23年12月中旬、「他の受講生に迷惑をかける行為は禁止ですが、『迷惑をかけなければ何をやってもいいよ』と言っています。『授業を途中退出したり、立ち上がって背伸びをしたり、迷惑をかけなければ授業中に鍋をやってもいいよ』とも話しています」と取材に説明する。
「大学で授業を受ける態度は、居眠りを禁止されるような高校までの学び方とは違い、個々の学生が自発的に考えるべきであって、何が他人に迷惑をかけるのかということも自分で考えなければいけません。仮にそういうことが起こったら、その場で学生同士で話し合えばいいじゃないかと言っています」
教員が学生に指示するのではなく、個々の学生が自分で学ぶ態度を選択し、それが衝突する際には話し合って解決するべきだ――。授業中に鍋を許可する理由には、そんな背景があるという。
「具体的に可能な自由を行使していくというプロセスが1番大事」
授業中に鍋をやりたいと学生から連絡があったのは、12月5日の授業の前日だった。「他の受講者にちゃんと配慮してやってね」と伝えたという。授業当日、増田さんが教室に到着する前に、その学生は受講生にアナウンスした上で、迷惑に感じる学生がいないことも確認した。
臭いが出ないように水炊きで鍋をやったり、換気できるように窓の近くの席を選んだりするような配慮もあったという。増田さんは「鍋があることで、学生とのコミュニケーションが出来て、私としては大変教育効果が上がったと考えています」と振り返った。
批判には、「教員が授業中に鍋を食べることを許可したことに、学生は従っただけで本当の自由ではない」という声があった。こうした意見に対し、次のような見解を示す。
「自由というのは 0%か100%ではなく、常に具体的な場において、『これぐらいの範囲や程度なら良いけどそれを上回るとダメだ』ということを測りながら、見えないルールや周りの人との交渉によって、具体的に可能な自由を行使していくというプロセスが1番大事だと思います」
自由は100%の自由でなければ意味がないという考え方に対し、増田さんは「自由に対する見方が貧しい」とも述べる。「今自分が置かれた環境の中で、どこまでの範囲や程度で自由は可能なのかということや、どこまで自律的に考えて行動することは可能なのかということは、実際に具体的に行動に起こしてみないと分かりません」
「大学という場は、単に教師が言うことを学習するだけの場ではなく、色んな試行錯誤を自律的に行い、『ここまでの範囲であれば自分の能力や周囲の人との共同作業で可能だ』と理解していけるような、自由の具体的なあり方を測れる空間なのではないかなと考えています」
大学の本質的な機能として「何が出来るのかということを実際に学生が試すことができる場所」だと指摘する増田さんは、「大学には、個別具体的な状況に配慮しながら色んなことができる余地があるし、そういう試行錯誤が可能な空間でなければならないんじゃないかと思います」と話している。