稲盛和夫氏が再建に尽力した日本航空は、東日本大震災という危機を乗り越え、復活を果たした Photo:SANKEI

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2024年は、能登半島地震からの復興が大きなテーマとして突如浮上した。そこで「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏が、震災などの災害にどう備えたのかをご紹介したい。さらに、震災で経営危機に陥った経営者たちを、稲盛氏がどのように励まし、再起を促したのかについてもお伝えする。(イトモス研究所所長 小倉健一)

「経営の神様」稲盛和夫氏は
災害にどう備え、どう立ち直ったか?

 能登半島地震が起きた。「備えよ、常に」とこれまで何度となく考えさせられたことをまた強く頭に刻まれたような気がする。

 この「備えよ、常に(=Be Prepared)」は、ボーイスカウトの標語(モットー)だ。「いつなんどき、いかなる場所で、いかなることが起こった場合でも善処ができるように、常々準備を怠ることなかれ」という心構えを表している。

 日本列島で生きている以上、働いている以上、人生のどこかで震災に遭うことは覚悟しなくてはいけない。戦後、売り上げ日本一になった大手小売の「ダイエー」も、平成バブルの崩壊から社業が傾き、1995年に起きた阪神大震災でダメ押しの痛手を負った(最終的には2兆円を超える債務を抱え、2004年には産業再生機構入り)。

 そして今、能登半島で復興しようと必死にもがいている人たちがたくさんいることだろう。そこで「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏や、その影響を受けたビジネスリーダーたちが、災害にどう備え、どう立ち直ったかを見ていこう。

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