東京・下町のリアルを描く漫画『東東京区区』。サラ(左)にセラム(中)、春太の、それぞれ出自も「区区」な3人が下町を歩く(写真・トゥー・ヴァージンズ提供)

東京23区のうち、葛飾区や江戸川区など東部に位置する地域は、いわゆる「下町情緒」を今でも残している地域として有名だ。浅草や上野、立石、小岩といった地域は、とくに下町情緒を残す。また国民的映画「男はつらいよ」の寅さんで象徴されるような、人情あふれるところというイメージが強い。

ただ、現在の下町はそんな日本的な情緒を残しながらも、実際に暮らす人たちはずいぶんと変わった。リトル外国といえるぐらい外国人が多く住み、コミュニティーを形成している。

そんな下町の実情と歴史を探索し、外国にルーツを持つ主人公たちが歩きながら、街のルーツと自分のルーツをも考えていくという内容の漫画が話題になっている。それが『東東京区区(まちまち)』だ。緻密な町並みの描写とともに、「下町らしくない」下町をなぜ描くのか。現在もWEBコミックメディア『路草』で連載している作者のかつしかけいたさんに、「本当の下町」について語ってもらった。

――漫画の主人公は3人。インドネシアと日本にルーツを持つムスリムの大学生に、両親がエチオピア人の小学生。そして不登校の日本人 中学生。かなり異色な主人公の設定ですね。

私も葛飾区の出身で、もともと町歩きが好きでした。それで地元のことを描きたいという気持ちがこの漫画が始まった動機です。確かに「下町」ではあるんですが、町を歩けばハラール食材店や中華物産店、ネパール料理屋などが並んでいます。海外からの移住者も自然に存在する街でもある。それで、海外にルーツを持つ主人公を中心に描きたいと思いました。

――ということは、ムスリムの大学生のサラにエチオピア人のセラム。彼女たちは実際にモデルがいるんですね。

葛飾区と葛飾区と隣接する江戸川区や墨田区にはモスクがあり、ムスリムの住民の方たちも多く暮らしています。ヒジャブをまとう女性の姿も珍しくありません。東京東部の現在を描くときに、サラのようなキャラクターがいることはまったく不自然ではないと感じました。

外国人と同じ街に暮らしているという感覚

日本で暮らしているとそこまでイスラームが身近ではないかもしれませんが、葛飾区ではバングラデシュなど南アジアの国々からの移住者も多く、ハラール食材店も増えています。地域の小学校にはムスリムの児童も通っています。すでに同じ街に暮らす隣人というイメージです。

――エチオピアという国は日本から遠い存在ですね。それでも、セラムの両親のように料理店を経営しながら住んでいる人たちもいる。

葛飾区の四つ木という地域の周辺には、エチオピアの方たちが多く住んでいます。東京に住むエチオピア出身者の半数が葛飾区に住んでいるそうです。

2015年から2016年ごろ、まち歩きイベントの準備で地域のことを調べていたところ、エチオピアの方たちが葛飾区に多く住んでいることを知り、私も驚きました。

漫画にも出ていますが、在日エチオピア人の生活支援や地域社会との交流につなげているNPO法人もあります。そして、セラムのように四つ木で生まれ育った第2世代の子どもたちもたくさんいます。

――偶然のきっかけで彼女たちと知り合い、町歩きをするようになった春太は、漫画ではどのような役回りでしょうか。

春太は中学生で「学校が肌に合わない」と感じ、ほとんど学校に行っていません。でも町歩きや歴史が好きで勉強熱心です。これは中学時代不登校だった私自身の経験が投影されています。


かつしか・けいた/葛飾出身、在住。2010年ごろから地元葛飾周辺の風景を描いた漫画作品を発表。自主制作漫画誌『ユースカ』『蓬莱』に参加。イラストレーターとして雑誌や書籍の挿画なども手掛ける(写真:記者撮影)

大学生のサラと小学生のセラム、その2人の間くらいの世代の視点や感覚も必要だと思いました。サラは自分のルーツや背景、信仰について自覚的で、言語化することができる。

一方でセラムは自分が周りとは異なる背景を持っていることをなんとなく感じてはいるけれど、まだうまく言葉にして説明することはできない。

春太はその中間くらいにいて、学校にうまく馴染めないことから、自分が周りと比べて「普通」ではないのではないかと悩んでいる。自分が周りとは何か違うとそれぞれ感じているのだけど、その理由も3人の中でまちまちです。

「若い人が感心…」と問われ驚く若者たち

――若い3人が街を歩いて地図を見ながら話していると、地元のご年配の方が声をかけます。ほぼ「若い人なのに感心ね」と大人は返します。ところが3人は、「若いのに……」という言葉を気にしています。

これも私の経験から描いたものです。とある石碑を探して歩いていると、地元との年配の方から「何か探しているのかい?」と話しかけられました。

若い世代は親や祖父母世代の昔話に興味を持つことが少なく、年配の方たちも自分たちの記憶や経験を話す機会があまりなかったのではないでしょうか。

実際に話を聞けば聞くほど、昔の街の様子がどんどん出てきて、それが立体的に浮かんでくる。再開発が進んでいる地区がありますが、かつての町並みが変わった後に「親に聞いておけばよかったな」と思います。

――江戸川区小岩にかつてあった「ベニスマーケット」を訪れた時の3人の会話や気づきが印象的です。ここはかつての闇市でした。

戦後の一時期にあった川の上のマーケットですね。1964年の東京五輪を前に衛生上の問題や火災の危険性もあり解体されてしまった。

かつて「ベニス」の名を冠した通りがあり、現在ではそこにさまざまな国の料理や文化を伝えるお店が並んでいることが、偶然とはいえどこか連続性も感じられる気がして、とても面白く感じました。

――そういったお店を出している人たちはずっとここに住むのだろうか。「ずっと住むなら子どもたちもそこに住むんだよね」というセラムが、「その子たちも、みんなと仲良くできたらいいな」とつぶやく姿が印象的です。

異なるルーツを持つ人たちが仲良く暮らしていて何も問題はない、といった描き方はしたくありませんでした。そこでセラムが異なるルーツを持つ子どもと自らを重ね、育つ環境に思いを馳せる場面を入れました。

明確に目的や意思を持って日本に移り住んだ第1世代と、そこで生まれ育った第2世代とでは、今いる土地に対する、またルーツである言語や文化に対する距離感も変わってくるのではないか。

私がそうした気持ちや感覚を「代弁」することはできませんが、世代によって、個人によっても、育った場所やルーツとの関わり方や向き合い方が異なることを描きたかったです。

また多文化交流的な視点では「日本人」と「外国人」といった分けかたをしがちですが、日本で生まれ育ったセラムのような子どもや、ミックスルーツの方たちなど、その背景や育った環境はどちらかにきれいに分けられるものではないと思います。そのようなグラデーションも、きちんと描きたいと思っていました。

――下町情緒という言葉を日本人は好きですが、実際の下町は変貌しているということですね。

下町というと、どうしてもレトロといったイメージがつきまといます。ところが、実際に暮らしてみると、そうした風景はむしろ年々減りつつあり、新しい変化のほうが目につきます。

下町で目立つ新しい変化

むしろ、サラやセラムのように多様な背景を持つ人がいて、一方でさまざまな災禍を経験してきた歴史、困難な立場に置かれた人たちが暮らしてきた歴史もある。情緒や人情の残るレトロな街といった視点だけでは見えてこない「下町」こそ描きたいと思っています。


また、漫画の舞台は東京東部で、あまりにもローカルな地域ばかり描いているため、他の地域の読者にどこまで伝わるだろうかと心配していたのですが、幸い全国から感想をいただいています。

さまざまな背景を持つ人が暮らしていることや、土地の歴史を調べる面白さなどは、東東京に限らない普遍性を持つテーマなのかもしれません。

(福田 恵介 : 東洋経済 解説部コラムニスト)