大川原化工機の大川原正明社長(中央)は判決を受けて「勝訴」と書かれた紙を掲げた(記者撮影)

起訴が違法――。そんな異例といえる司法判断が下された。

軍事転用が可能な装置を不正に輸出したとして、横浜市にある「大川原化工機」の大川原正明社長ら幹部3人が逮捕・起訴され、初公判直前に起訴が取り消された冤罪(えんざい)事件。東京地裁(桃崎剛裁判長)は12月27日、警視庁公安部と東京地検の捜査の違法性を認め、国と東京都に約1億6000万円の賠償を命じた。

大川原社長ら原告が求めていた賠償額は5億6000万円。日本の裁判では慰謝料が低く抑えられがちなことを勘案すれば、1億6000万円の賠償命令は「原告の全面勝訴」といっていい金額だ。

ところが原告代理人の高田剛弁護士(和田倉門法律事務所)は、判決に不満そうな表情をのぞかせ、判決後の記者会見で次のように述べた。

「手堅いが薄味」の判決

「警視庁公安部は経済産業省を説得するため、安積伸介警部補(肩書きは当時。以下同じ)らが防衛医科大学校の微生物学者・四ノ宮成蘒教授ら4名の有識者から聴取した報告書を、公安部独自の法解釈の根拠として提出している。

だが、その報告書には有識者の供述と異なる内容が書かれていた。このことは、証拠として提出されている四ノ宮教授の陳述書から明らかであるし、私自身、四ノ宮教授を含む3名の有識者から確認をしている。つまり、経産省は嘘の有識者見解に基づき公安部の法解釈を受け入れたということだ。

しかし判決文では、公安部が経産省を説得する過程の事実についていっさい触れられなかった。公安部が経産省を説得する過程で何があったのかは、事件の深層にかかわる重要な事実であるが、事実認定してもらえなかった。判決は(公安部や東京地検の)捜査の明らかな違法を認定している点で手堅いものの、われわれからすると薄味な印象がある」

四ノ宮教授は2023年3月に東京地裁へ提出した陳述書に、「メモや報告書には私の考えと異なる点、私の意図から外れて曲解されている点、私が話していない点が散見され、驚いています」と書いている。

大川原化工機を立件したのは警視庁の公安部外事1課。捜査を指揮したのは宮園勇人警部だ。

「海外の“あるべきではないところ”で噴霧乾燥器が見つかった」。宮園警部による触れ込みの下、2017年に捜査チームが結成された。“あるべきではないところ”というのは、後からわかったことだが宮園警部の作り話である。

警視庁、経産省、検察は何を行ったのか

宮園警部の忠実な部下の1人だった安積警部補は、四ノ宮教授ら有識者の研究室に何度も通い、「捜査メモ」や「聴取結果報告書」を作成した。

そうした書類は、「大川原化工機の噴霧乾燥器は生物兵器の作成装置に転用できない」「したがって輸出規制製品に非該当」とする経産省の安全保障貿易管理課のT検査官を説得するために必要だった。輸出規制品の審査を担当するT検査官は、当初、公安部が問題視する噴霧乾燥器は規制対象ではないとの立場を取っていた。

そこで、宮園警部は警視庁公安部長から経産省に圧力をかけるよう画策する。

「公安部長が動いた」

そう上司に聞かされた経産省のK課長補佐は、仕方なく「ガサ(家宅捜索)はいいと思う」と公安部に譲歩した。K課長補佐はT検査官の上司である。

一方で、K課長補佐は「立件は別の件を探してもらいたい」「輸出許可申請の実績は1件しかないことを検察に言ってほしい(大川原化工機の噴霧器は許可申請が必要な機械装置ではそもそもない、の意味)」と宮園警部に伝えた。 

このように経産省は再三クギを刺していた。また、任意の取り調べで大川原化工機の複数の従業員は、「装置内部を殺菌・滅菌するために加熱しても、温度が上がらない箇所があるから生物兵器に転用できない」と話していた。それにもかかわらず、公安部は大川原正明社長ら3人の幹部を逮捕した。2020年3月のことだ。

装置内部を殺菌・滅菌できるかは、炭疽菌など生物兵器の製造装置に転用するうえで重要なポイントである。装置内部を殺菌・滅菌できなければ、生物兵器の製造者が自ら感染してしまうからだ。

宮園警部は東京地検に逮捕の1年半前から相談。塚部貴子検事は同じく9カ月前から継続的に宮園警部から相談を受けていた。

「塚部検事は深く長く、事件の真相を知りうる立場にいた」(高田弁護士)。大川原社長らが逮捕されたのち、「5人の従業員が『装置に残った菌は殺すことができません』と言っている」と別の検事から聞いても、塚部検事は「従業員の供述は変遷している」とし、意に介さなかった。実際の装置を見ることもなく、3人を起訴した。

ところが東京地検は初公判の4日前に「大川原化工機の噴霧乾燥器が規制対象であることの立証が困難」として起訴(公訴)を取り消した。取り消した当日は、公安部と経産省とのやり取りを記した大量の捜査メモを東京地裁に提出する期限日だった。


こうした経緯が法廷での証言で明らかになったのにもかかわらず、12月27日の判決文には「捏造(ねつぞう)」という言葉は一切出てこない。

判決では、複数の従業員が「測定口は温度が上がらない」と具体的に示しており、実験で確かめれば従業員の主張が正しいことを容易に確認できたのに、それをしなかったのは明らかな落ち度であると指摘。「必要な捜査を尽くしたとは到底言えない」として、公安部の逮捕や東京地検の起訴が国家賠償法違反だと結論づけた。

捜査にあたった時友仁警部補は、「従業員が『温度が低くなる』と言っている。もう一度測ったほうがいいのでは」と宮園警部に進言したが、宮園警部が「事件を潰す気か」と聞き入れなかったことを法廷で証言している。

「捜査を尽くさなかった」ことだけが問題?

捜査機関にとって都合の悪い証拠をあえて無視し、無辜(むこ)の人を逮捕・起訴することは重大な人権侵害である。

ただ判決は、「公訴提起が私人の心身、名誉財産等に多大な不利益を与え得ることを考慮すると、安易な公訴提起は許されないというべき」と指摘しつつも、あくまでも「捜査を尽くさなかった」ことをもって国賠法に違反するとした。次のように記されている。

「捜査段階で得られた証拠のうちに、有罪立証に合理的な疑いを生じさせる事情が認められた場合にはそれを否定するだけの十分な根拠を捜査において獲得すべきであるし、それができないのであれば公訴提起は行うべきではない」

今回の賠償訴訟では、公安部の取り調べのあり方も問題になった。判決では、取調官が違法な手法を用いて、供述を得ようとしたことを事実として認定した。

安積警部補が大川原化工機の島田順司取締役(当時)に、殺菌の解釈を誤解させたうえで供述調書に署名捺印するように仕向けたことについて、判決は「偽計を用いた取り調べといえるから国賠法上違法」とした。

島田氏の逮捕直後に弁解録取書を作成する際、島田氏の指摘に沿った修正をしたように装い、実際には島田氏が発言していない内容の同書を作成し署名捺印させたのも、「島田氏を欺罔(ぎもう)して島田氏の自由な意思決定を阻害した弁解録取書の作成であり国賠法上違法」と踏み込んだ判断を示した。この点は高田弁護士も評価している。

こうした偽計や欺罔は、事件を捏造するためのものに違いない。しかも、時友氏と同様に捜査にあたった濱崎賢太警部補が法廷で「(事件は)まあ、捏造。逮捕・勾留の必要はなく、起訴する理由もとくになかった」とまで証言している。

それでも、東京地裁の桃崎裁判長は捏造の構図にまでは踏み込まなかった。判決文には事件を指揮した張本人・宮園警部の名前すら出てこない。

謝罪と検証は急務

「警視庁と検察庁には、できれば謝罪と検証をお願いしたい」(大川原社長)。「2度と起こさせないために再発防止の検証をしていただきたい。それで今回の訴訟の目的が達成される」(島田取締役)。原告の大川原社長や島田取締役は、謝罪と再発防止のための検証を求めている。


判決後に開かれた記者会見の席には、大川原化工機元顧問の相嶋静夫氏の遺影が置かれた。相嶋元顧問は大川原社長や島田取締役(当時)らとともに逮捕。勾留中に胃がんが発覚、起訴取り消し前の2021年7月に他界した(記者撮影)

今回の判決が「必要な捜査を尽くしていないこと」を骨子とし、捏造の構図まで踏み込んでいない以上、「今後はいっそう捜査を尽くす」の警視庁や検察庁の幹部の一言で片付けられるおそれがある。

だが、警視庁公安部や東京地検は大川原社長らに謝罪し、自ら検証をすべきではないか。自浄能力を発揮しなければ、公安部や地検の捜査に今後、国民が協力しなくなるかもしれない。そのことこそが捜査当局にとって避けるべき最悪の事態に違いないからだ。

(山田 雄一郎 : 東洋経済 記者)