人々は無形投資を知識経済やポスト工業社会と結びつけたがりますが、こうした関連づけは誤解のもととなりがちです(画像:thicha/PIXTA)

ソフトウェア、データ、研究開発、設計、ブランド、研修などの無形資産への投資は何十年にもわたり着実に増大し続けてきた。そうした無形経済は知識経済やポスト工業社会と結びつけられやすいが、同一視するのは問題があるという。

『フィナンシャル・タイムズ』ベスト経済書として話題となった『無形資産が経済を支配する』の著者による最新刊『無形資産経済 見えてきた5つの壁』から一部抜粋・編集のうえお届けする。

「知識経済」と「無形資産」は同一ではない

10年以上前に無形経済について初めて執筆して以来、我々はじつに様々な実業家、ジャーナリスト、投資家、経済学者、政策担当者とそれについて話をしてきた。ひとつ気がついたのは、人々はときにそれが何を指しているかについて、まちがった思い込みをしている、ということだ。


特に人々は無形投資を、他の現代的な経済現象、例えば知識経済やポスト工業社会と結びつけたがるようだ。またそれをハイテク部門や、場合によっては何やらディストピア的現代性と結びつけたがる。こうした関連づけは誤解のもとなので、いくつか主要な用語、トレンド、現象をもっと細かく見よう。

「知識経済」という用語を提唱したのはフリッツ・マハループで、1962年の本で無形投資を計測すべきだと提案した。これはその後、経営学の大物ピーター・ドラッカーにより広められた。もっと最近では2013年OECDの無形資産に関する報告書がそれを「知識ベースの資本」と表現している。

確かに一部の無形資産は十分に知識と言えるものだ──例えば創薬の研究開発の成果、新しい生産技術、労働者に新規技能を与える研修などだ。そして一部の無形資産は、ソフトウェアやデータベースのように、情報でできていて、知識と完全に同じではなくともかなり似たものだ。


ジョナサン・ハスケル氏も出演する「BSスペシャル 欲望の資本主義2024 ニッポンのカイシャと生産性の謎」は、NHKのBSにて2024年1月1日(月)22:30〜放送予定(写真:NHK)

だが他の無形資産は、知識や情報以上のものに関係している。例えばブランドの価値は、その名前の情報内容やロゴだけにあるのではない。それはある種の約束と過去の記憶を連想させるものだという意味で、関係性によるものだ。

それは暗黙のうちに、そのブランドの評判を構築した無数の過去の取引を参照し、顧客にある特定の体験や品質を提供すると提示するのだ。アップルブランドの製品が持つ2つの側面は、その精悍なデザインと使いやすさだ。

このブランドアイデンティティは、ただの情報ではない。むしろその価値は何百人もの顧客体験と、新製品設計においてアップルが暗黙に示すインセンティブから生じている。ブランドの価値は、それが製品について情緒的なメッセージを伝えるという意味で表現的であり、そのメッセージを顧客はしばしば評価する。

「Just do It」〔ナイキ〕、「Coke Is It」〔コカ・コーラ〕、「Because You’re worth it」〔ロレアル〕を耳にするとき、聞こえてくるのは通常の意味での知識などではまったくない。それはずっと主観的なものだ。

価値は知識ではなく関係性にある

また、企業内部やサプライチェーンに蓄積された組織資本の価値も主観的だ。マークス&スペンサー(M&S)を考えよう。有名なイギリスの小売り業者だが、その多様なサプライチェーンとの優れた関係について昔から評価が高い。

こうした関係は、同社の収益性の重要な理由として広く認知されている。サプライチェーンの各種側面は確かに知識と呼べる──例えばM&Sがある農家群からある数のイチゴをある価格と品質で、ある予定に基づいて買う、といったものだ。だがこの無形資産の価値は、その知識ではなく関係性にある──各参加者がお互いについて抱く期待と、そうした期待が彼らの行動に系統的に与える影響だ。

同じことが社内についても言える。ある事業のオペレーションを書き出したり、その経営方法をコード化してスクラム(Scrum)とかシックスシグマ(Six Sigma)などとしてまとめたりはできる。だがその実装は、ただの知識以上のものだ。それはある関係の集合の中でそれが具体化される方法についてなのだ。

無形経済がしばしば「知識経済」として描かれる理由は、経済学者が頭でっかちなので、無形資産の知識面を最も重要だと思ってしまうからかもしれない。だが無形資産を知識経済と同一視するのは誤解を招く簡略化であり、現代経済における関係資本と表出資本の重要性を隠してしまいかねない。

ポスト工業社会と無形資産

ときに無形経済はポスト工業と表現されることもある。これはフランスの社会学者アラン・トゥレーヌが提唱した用語で、1970年代にダニエル・ベルが普及させた。人々はときにこの表現から、無形資産は主にサービス産業にとって重要なのであり、無形リッチ経済は多くのサービスで構成され、製造業はほとんどないのだと思い込む。

だが、これまた無形資本について考えるうえで誤解を招きやすい。富裕国の製造業を見ると、ほとんどの場合は有形資産だけでなく無形資産にも大量の投資をしている。最先端の製品を生産するため研究開発やデザインに投資し、工場の生産性を高めるために組織開発と研修に投資し、自分の生産に関連するものだけでなく、自分の販売する物理財に付属するソフトウェアやデータにも投資するのだ。

きわめて健全な製造業部門を持つ富裕国を見ると、通常は持続的で突出した無形資産への投資物語が見つかる。コンサルタントのハーマン・サイモンがドイツのミッテルシュタント──ドイツの高収益で競争力の高い中規模製造業企業群──を検討したところ、彼らの収益性の源は、研究開発とイノベーションへの献身、持続的で情報リッチなサプライヤや顧客との関係、優れた労働力の技能と組織を含むことがわかった。これらはすべて無形資産だ。

日本、台湾、韓国などのいわゆる発展指向型国家の成功は、研究開発、プロセスデザイン、研修などへの大きな投資が、造船から半導体まで世界的に競争力のある製造業企業の台頭をもたらしたことで初めて可能になった。現代経済を、無形リッチで、ある程度までポスト工業経済と呼ぶのは正しいが、無形投資と栄える産業──工業部門という意味の産業──は代替物ではなく補完物なのだ。

また、人々が無形経済を、ハイテク企業、特にグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンといった、いわゆるハイテクプラットフォーム企業と関係しているものと考えがちなのも見てきた。

ある意味で、こうした関連づけは不当とは言えない。こうした巨人企業の価値は、ほとんどが彼らの保有するきわめて価値ある無形資産から生じている。だが無形投資の重要性はハイテク部門に限った話ではない。計測できる範囲で見ても、無形投資は経済のあらゆる部分に見られる。過去10年に巨大なハイテク企業が急成長したのは、その話の重要な一部ではあるが、すべてではない。

また無形投資は研究開発のちょっとした拡張でもない。コロナ禍で最も打撃を受けた産業(小売業、娯楽、ホテル、レストラン)のイノベーションは、研究開発には含まれていない。こうした部門はほとんど研究開発をしないからだ。

むしろ彼らは無形資産に投資する。研修、マーケティング、設計、ビジネスプロセスなどだ。そして研究開発をする企業でも、それを大量の他の無形資産と組み合わせて行う。例えば新しい薬品のマーケティングなどだ。

実際、研究開発の変化はそれ自体驚異的だ。これはエフライム・ベンメレク、ジャニス・エバリー、ディミトリス・パパニコラウ、ジョシュア・クリーガーが記述したとおりだ。アメリカでは、製薬企業は総研究開発支出の10分の1ほどを出している(1970年代にはこれがわずか3%だった)。さらにこうした企業の研究開発支出の3分の1は、65歳以上の人々に向けられている。

伝統がバカにされて捨てられる?

無形資産をめぐる最後の誤解は、それをきわめて商業化された、取引的で、きわめてモダニスト的なものとして見るやり方だ──いわばマルクス主義的な現金のつながりで、形あるものがすべてなくなり、伝統がバカにされて捨てられる場だ。伝統は確かにひっくり返されることもある。というのもアイデアは破壊的革新を引き起こすこともあるからだ。だが破壊は、無形資本に必ずしも伴うとは限らない。

近代批判者の著作、例えばジェームズ・C・スコットとエルンスト・シューマッハーの著作を見よう。スコットは、アナキスト古典『国家のように見る』〔未邦訳〕で、善意ながら自信過剰の支配者や経営者たちが、伝統的なやり方を引き裂いた事例を示す──プロイセンの伝統的な森林管理、ジャワやタンザニアの伝統的な耕作方法などだ。彼らはそれを、新しい非人間的で「科学的」な仕組みで置き換えたが、それは従来の方法よりはるかに効率性が低くなってしまった。

同様にシューマッハー『スモール イズ ビューティフル』〔邦訳・講談社学術文庫、1986年〕は局所性に敏感な「中間的」「適正」な技術のほうが一般に、均質化されたグローバル化製品よりも価値が高いことが多いと述べる。これはそうした製品が見た目ではもっと先進的な場合にすらあてはまる。

間違った解釈

こうした説明を見ると、無形資産は高等近代主義の道具であり、スコットとシューマッハーが見ているものは何か別のものだと思いたくもなる。だがこの解釈はまちがっている。スコットの事例が示しているものこそ無形リッチな生産手法なのだ。それは詳細で歴史の試練を経たノウハウと関係に根差している──つまり無形に根差しているのだ──だがそれが、権力ある地位の高い人には魅力的だが、意図せずして低質なアイデアや手法(これも無形だ)で置き換えられてしまったという話だ。

(翻訳:山形浩生)

(ジョナサン・ハスケル : インペリアル・カレッジ・ビジネススクール経済学教授)
(スティアン・ウェストレイク : イギリス全国イノベーション財団ネスタ・シニアフェロー)