2009年から東洋大陸上競技部の長距離部門を率いる酒井俊幸監督。設楽悠太ら数々の名ランナーを育てた【写真:編集部】

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東洋大学陸上競技部(長距離部門)酒井俊幸監督「コーチング哲学」前編

 箱根駅伝の常連校で通算4回の優勝を誇る東洋大学陸上競技部は、「その1秒をけずりだせ」をスローガンに個々の才能を磨く指導で多くの日本を代表するランナーを生み出してきた。そんな名門の長距離部門を2009年から率いて以来、箱根駅伝で総合優勝3回、14年連続シード権獲得に導いているのが、就任15年目を迎えた酒井俊幸監督だ。47歳にして、すでに名将の風格を漂わせる指揮官のコーチング哲学に迫るインタビュー。前編では、酒井監督が大学生を指導する上で就任当初から変わらずに大切にしていることや、箱根駅伝に抱く思いに迫った。(取材・文=牧野 豊)

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 2024年の初春、記念すべき第100回大会を迎える箱根駅伝。東洋大学の酒井俊幸監督にとっては、15回目の「正月決戦」となる。「箱根の(常連)チームの中では、(監督歴が)長いほうになってきた」と笑うが、47歳にして「名将」と呼ぶに相応しい実績を残してきた。

「鉄紺」カラーが代名詞の母校に指導者として戻ってきたのが2009年4月、32歳の時だった。チームは箱根駅伝出場67回目で初の総合優勝を遂げた直後で、監督補佐を務める妻・瑞穂とともに指導を始めた。以来、総合優勝3回を含む10年連続の総合3位以内(チームとして11年連続)、本戦上位校(現在は10)に与えられるシード権(次回大会の出場権)獲得は14年連続で継続中(チームとしては18年連続)と、箱根駅伝を象徴する上位校であり続けている。

 その間、学生長距離界の様々な変化を肌で感じてきた。特に近年はトレーニング方法やシューズの進化による著しいレースの高速化、新興校の台頭もあり、勢力図が書き換わりやすい状況になっている。東洋大学も2年前の全日本大学駅伝では酒井監督の下で初めてシード権を失い、昨季の箱根駅伝では往路で一時最下位に落ちるなど、苦戦を強いられる回数も増えている。

「監督就任当時と現在は、シューズも含めてレースの質がだいぶ違いますよね。どのチームも以前より“その先”を意識したアプローチが見られ、実業団選手と変わらない内容の練習に取り組むチームが多い。一方でジュニア(中高校生世代)のレベルも上がってきて、各世代の世界大会には出るだけではなく入賞やメダル、優勝を狙う意識で臨む選手が増えている。そういう部分も含めて、箱根駅伝の捉え方も変わってきていると感じています」

特筆すべき卒業生のさらなる成長

 全体的な競技レベルの高まりを歓迎し、自分たちもさらなる高みを目指しているが、酒井監督の基本姿勢は「学生生活の中で最大限できることを行うこと」。これは就任当初から変わっていないという。

「選手の入れ替わりは毎年あるわけですから、その年の選手個々のベストを引き出せるよう、時々の変化に対応しながら1年1年の積み重ねを大切にしています。その過程で才能ある選手たちにも巡り合い、気づけば11年連続総合3位以内になっていたという感じです。将来的に世界を目指せるものを持っている選手にはその部分を個別に意識付けしますが、あくまで教育の一環ですので、授業を受ける、日常生活をしっかりする、その上で競技に集中することが基本です。これは、東洋大学が伝統的に大切にしてきた部分でもあります」

 特筆すべきは、その指導スタイルが駅伝の成績のみならず、卒業生のさらなる成長に影響を与えている点だ。

 過去10年の卒業生で見ると、元マラソン日本記録保持者の設楽悠太(2014年卒/現・西鉄)をはじめ、東京五輪マラソン代表の服部勇馬(2016年卒/現・トヨタ自動車)、1万メートルの東京五輪代表であり日本記録保持者の相澤晃(2020年卒/現・旭化成)、今年のブダペスト世界陸上選手権マラソン代表の西山和弥(2021年卒/現・トヨタ自動車)らは箱根路を沸かせた選手として、未だファンの記憶には新しい。彼らは在学中から将来の「世界」を意識して競技に取り組んでおり、服部、相澤は学生時代に学んだ「自分で考える習慣」を卒業後も継続して成長できた理由として挙げたことがある。

 さらに言えば、酒井監督が長距離選手たちとともに指導してきた競歩勢では、2012年ロンドン五輪から3大会連続で現役学生が五輪代表権を獲得。2018年から高校で指導経験のあった瑞穂が競歩コーチになると、東京五輪では20キロ競歩の池田向希(旭化成)が銀メダル、世界陸上選手権の35キロ競歩では川野将虎(旭化成)が2022年2位、23年3位と連続メダルを獲得している。

 世界の舞台に立つ卒業生たちの存在は、自然と在学生たちのモチベーションに直結する。そして監督としても彼らからフィードバックを受けることで、より「世界」を意識した学生指導に活かすことができる。そうした循環は、箱根駅伝のテーマである「箱根から世界へ」を地で行く好例ともいえる。

指導者として「次の100回につながる何かに携わりたい」

 酒井監督は元・社会科の高校教諭らしい視点も織り交ぜながら、改めて箱根駅伝への思いを語る。

「みんなが出たくてもなかなか出られない大会でもあり、そこに指導者として86回大会から携われていることは、初心と変わらずありがたいなという気持ちがあります。今、世界では戦争が起こっていますが、箱根駅伝も戦争の影響を受けながらも今日までつながってきました。そうした一つの文化の伝統を大事にしつつも、発展していかなければならない大会でもあります。大学の一指導者がどこまでできるか分かりませんが、次の100回につながる“何か”に携われればと思います」

 第100回記念大会、「鉄紺」は箱根路に何を刻み込むのか。注目したい。(文中敬称略)

■酒井俊幸(さかい・としゆき)

 1976年5月23日生まれ、福島県出身。学法石川高(福島)2年時に全国高校駅伝に出場。東洋大学時代は1年時から3年時まで箱根駅伝に出走し、2年時はシード権獲得に貢献。4年時は出走できなかったが、主将としてチームを引っ張った。卒業後はコニカミノルタに入社し、全日本実業団駅伝では2001年からの3連覇の中心選手として活躍を見せた。現役を引退し、2005年4月から母校である学法石川高の教諭に。2009年4月から母校・東洋大学陸上競技部(長距離)の監督となり、以来、箱根駅伝では総合優勝3回を含む10年連続総合3位以内の成績を残したのをはじめ、次回大会まで監督就任以来15年連続出場を継続中。学生三大駅伝の出雲駅伝(2011年)、全日本大学駅伝(2015年)でも大学史上初の優勝を飾っている。2017年まで指導していた競歩選手、長距離の卒業生を含め、五輪や世界陸上の日本代表選手を輩出している。

(牧野 豊 / Yutaka Makino)

牧野 豊
1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「NBA新世紀」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。22年9月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。