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2003年11月に起きた飲酒ひき逃げ事件。鹿児島県の奄美大島で働き盛りだった24歳の男性の命が突然奪われました。当時は被害者を置き去りにし、現場から立ち去る“逃げ得”が横行。この事件も厳罰に問えず、“過失”扱いに。あれから20年――息子を失った母親が今の思いを語りました。

【写真を見る】飲酒ひき逃げで奪われた息子の命 “逃げ得”で『過失』扱いに 「今も身を切り裂かれる思い」事件から20年…母親の決意

7時間にわたり飲酒、ひき逃げで“過失”

佐藤悦子さん:
「息子は当時、島の人はいい人ばかりで、車も飛ばすところはない。みんなゆっくり走るから交通事故なんて全くなく、とてもきれいな島なんだよって話してくれていたんです」

大分県国東市に住む佐藤悦子さん。20年前、鹿児島県で起きた飲酒ひき逃げ事件で、次男の隆陸(たかみち)さんを亡くしました。

隆陸さんは高校卒業後、父親と同じ大分市内にある建設会社に就職。そして2003年11月16日、24歳となった隆陸さんは出張先の奄美大島で、当時19歳の少年が運転する車にはねられ、その1週間後、母親に見守られながら息を引き取りました。

佐藤悦子さん:
「病院の先生が病室に走り込んで来た瞬間、私は誰にも渡したくない、どこにもやりたくないという思いで隆陸を抱きかかえました。でもその時にふっと隆陸の力が抜けて…」

車を運転していた少年は現場から逃走し、アルコールが抜けるのを待って約5時間後に出頭しました。呼気から検出されたアルコール量は1リットルあたり0.22グラム。しかし、少年は直前まで7時間にわたり、ビールや焼酎など計6リットルの酒を飲んでいたことが判明します。

捜査の結果、罪が重い「危険運転致死罪」での立件は見送られ、少年に言い渡された判決は「業務上過失致死罪」などで懲役3年でした。

当時、佐藤さんは取材に対し、「動けない人間をその場に放って逃げるわけだから殺人ですよ。そんな簡単なことで済ますことは決して許されない。これ以上の犯罪はありますか?これが“過失”ですか?」と憤りをあらわにしていました。

10年間の闘い…国を動かす

現場から逃げたことで罪が軽くなる“逃げ得”を許さない。佐藤さんは法の厳罰化を求めて署名活動を始めます。

佐藤悦子さん:
「飲酒運転で人をはねたら大変なことになるんだと。大変な刑罰が待っているんだという法律に変えてほしい」

佐藤さんらの署名活動が身を結び、2007年以降、飲酒運転に対する厳罰化が進みます。そして隆陸さんが亡くなった10年後の2013年、酒や薬物の影響で事故の発覚を隠す“逃げ得”を防止するための「発覚免脱罪」(最高刑・懲役12年)が新設されました。佐藤さんらの思いが国を動かしたのです。10年間で集めた署名は60万3080人分に上ります。

法律の成立を受けて佐藤さんは当時、「新しい法律ができたことで、新たな犠牲者をうまないように見守っていこうねっと息子に伝えたい」と話していました。

佐藤悦子さん:
「署名活動を始めたのが2004年の判決が下されたあとです。どのように署名をお願いしたらいいのかわからなくて署名簿を持ち歩いていました。ある日、突然『今だ!』と思う時があって、通院先の病院の待合室だったんですけど、『すみません、署名してください!』ってお願いしたら、『よくわからんけどこの人かわいそうな人だから名前を書いてあげよう』って書いてくれたのか第1号でした。ほかにも大分市内に行くバスの中で話しかけていた。当時は夢中でした」

佐藤さんは奄美大島には2度と足を踏み入れたくないと思っていたものの、署名活動を通じて「この島でどのようなことがあったのか」、「何も悪さをしてない私の大切な息子が奄美大島でどうして命を奪われなければならなかったのか」ということをたくさんの人に知ってほしいと思うようになりました。

佐藤さんのもとには全国各地のほか、イギリス、アメリカからも活動に賛同する多くの手紙が届きました。1枚1枚丁寧にノートに貼り付け、今も大切に保管しています。ノートの数は14冊。「頑張れ!」「賛同します」といった声に勇気づけられたと振り返ります。

佐藤悦子さん:
「20年前、血を吐くような苦しさでした。人前で泣くこともできず…車の中で息子の名前を何度も叫んでいました。本当に消えてなくなりたいと思っていて、心の置き場所がなくて消えてなくなれば楽になれるよねって思っていた」

「本当にたくさんの人に支えられて私がやっていることを信じてもらって。この20年は私にとって忘れることができません」

署名活動なしで被害者に寄り添う法律を…

警察庁によりますと、飲酒運転の事故件数は2000年の2万6280件をピークに年々減少。2007年以降の厳罰化をきっかけに件数は大幅に減り、去年は2167件でした。

一方で、不条理に命が奪われる事件や事故は今もなくなっていません。大分県内では時速194キロ死亡事故や大学生2人死傷ひき逃げ事件などが発生していて、佐藤さんは被害者に寄り添った法律の改正を望んでいます。

佐藤悦子さん:
「私たちは被害者・加害者をうまない社会を求めて活動してきました。それでもいまだ大きな事件が起きている。署名活動をしないと厳罰に問えないという20年前と同じ状況が続いていて心を痛めています」

「これからは署名活動をしなくても、少しでも被害者の意にそった司法のあり方が求められるし、それが私たちの一番の願いなんです」

11月17日、佐藤さんは奄美大島を訪れました。事件や事故で亡くなった人の等身大パネルや遺品を展示する「生命のメッセージ展」を開くためです。15回目の開催となる今年も現地の看護福祉専門学校の学生が手伝ってくれました。会場は学生がレイアウトや飾り付けまですべて考えてくれました。

参加した学生:
「生命のメッセージ展などを通じて少しでも被害者・加害者が減っていくように活動を続けていきたい」

佐藤悦子さん:
「息子たちのパネルをみることによって命が無駄にならない。学生さんたちの取り組みに心から感謝しています」

また、佐藤さんは毎年現場も訪れていて、1年間使ったハンカチを電柱に結び付けています。今年はピンク色。近所の人はハンカチを見るたびに、車の運転に気が引き締まるといいます。これからも世の中に命の大切さを伝えながら、隆陸さんの分まで生きていく――佐藤さんはきょうも静かに誓います。

佐藤悦子さん:
「隆陸のことを思うと、どうしていないのか。どうして消えたのか…今も身を切り裂かれる思いです。けれども、息子が『お母さん笑って生きていいんだよって。それが一番僕の願いなんだよ。今まで頑張ってくれてありがとう』って言ってくれていると思うようになりました。これからは自分らしく、子どもたちの親らしく皆さんと仲良くしてもらって生きていきたいと思う」

「なかなか自分の気持ち的に溶け込めずに、素の自分を出せなくて。だからこれからは楽しいときは楽しいよって言いながら、近所の人と楽しく過ごしたい。息子のため、家族のために加えて自分自身のための旅をこれからしていきたい」

自分のためにも生きていくと決めた佐藤さん。20年前には想像もできないほどの明るい笑顔を見せました。