浜田学、物心ついた頃から父と同じ俳優志望。母の「役者だけはならないで」は逆効果「おふくろ、もう手遅れだよー」

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1997年に放送された『太陽にほえろ!』の復活版のドラマスペシャル『七曲署捜査一係』(日本テレビ系)で俳優デビューした浜田学さん。

185センチの長身に目ヂカラの強い凛々しいルックスで注目を集め、大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』(NHK)、『グレースの履歴』(NHK)、映画『岳 -ガク-』(片山修監督)、映画『マイウェイ 12,000キロの真実』(カン・ジェギュ監督)など多くの作品に出演。

2023年10月21日(土)に新宿K’s cinemaで初主演映画『道で拾った女』(いまおかしんじ監督)が公開される浜田学さんにインタビュー。

父・浜田晃さんと

◆野球も筋書きがあると思っていた?

浜田さんは、父親で俳優・浜田晃さんの影響もあり、小さい頃から将来は俳優になりたいと思っていたという。

「物心ついた頃には、父が役者だということがわかっていました。家に台本もありましたし、父がドラマで普段の生活とは違う姿で演じているのを見てきていたので、ドラマや映画は大人が作る作品だと認識していました。

小学校4年で野球を始めたんですけど、小学校1、2年ぐらいの頃、テレビでプロ野球の試合を見ているときは、ドラマと同じように全部筋書きがあると思っていたんです(笑)。

『ここでファールを打って、ここで三振して、ここで点が入って…』というのは、全部台本通りに進んでいるものだと思っていたので、『篠塚(和典)選手ってすごいなあ。今回アウトになったよ』なんて思いながら見ていたことがありましたね」

――お父さまには、浜田さんが俳優志望だということは話されていたのですか?

「いいえ。話していませんでした。母親からはずっと『役者にだけは絶対にならないで』って言われていたので、逆に『そんなにおもしろいところなのかな?』って(笑)。完全に気持ちはそっち(俳優)に行っていたので『おふくろ、もう手遅れだよー』って思っていました(笑)」

――ご両親にはいつ話されたのですか?

「高校3年で野球を引退して進路を決めるとき、希望を『日本映画学校』って書いて提出したら、担任の先生がびっくりして、『息子さん、こう書いていますけどご存知ですか?』って親に電話して。それまでそういう話はまったくしていなかったので、そこからスタートという感じでした」

――高校を卒業されてからはどのように?

「俳優座は授業料が無料だと聞いていたのと、父親が文学座だから、父親とは違うところに行ってみようと思って俳優座の養成所の試験を受けました。無事に受かり1年間通ったのですが、進級試験に落ちちゃって(笑)。もう一度やり直してみようという意味で、文学座の養成所を受け直して入ったという流れです」

――お父さまと同じ文学座に行くことになったのですね。

「はい。結局同じになっちゃったなとは思いましたが、それよりも舞台のことをもっと知りたいという好奇心のほうが強かったです」

――ご両親は何かおっしゃっていました?

「高校の卒業式の日が俳優座の養成所の試験だったので、卒業式に出られなかったんです。それで、母親が卒業証書と花だけ学校からもらってきてくれた記憶があるんですけど、何を言われたかは全然覚えてないです。

父には、『何があっても味方でいるけど、基本は一人で戦うところだからな』みたいなことを言われました」

※浜田学プロフィル
1976年3月14日生まれ。東京都出身。『七曲署捜査一係』で俳優デビュー。大河ドラマ『功名が辻』(NHK)、『西郷どん』(NHK)、『日本沈没ー希望のひとー』(TBS系)、映画『ゲノムハザード ある天才科学者の5日間』(キム・ソンス監督)、映画『あいたくて あいたくて あいたくて』(いまおかしんじ監督)、映画『レジェンド&バタフライ』(大友啓史監督)に出演。初主演映画『道で拾った女』が2023年10月21日(土)から新宿K’s cinemaほか全国で順次公開される。

 

◆『太陽にほえろ!』の復活版に抜擢

浜田さんは、文学座の養成所時代に『七曲署捜査一係』の新人刑事・松井陽平(ダンク)役で俳優デビューを飾った。

「当時の中京テレビのプロデューサーの岡田晋吉さんと東宝のプロデューサーの梅浦(洋一)さんが、『太陽にほえろ!』の新人刑事に松田優作さんと渡辺徹さんを文学座から抜擢しているので、今回も文学座からということで舞台の稽古を見に来てくださったんです」

――新人刑事・ダンクにと言われたときは?

「決まったと言われたときはびっくりしましたけど、本当にうれしかったです」

――養成所の皆さんから嫉妬されたりしませんでした?

「それは、そうですよね。でも、当時の劇団の同期たちは、比較的何でも言い合える仲だったので、そういう風に言われても、こっちもちゃんと自分の思いを伝えるという関係性ができていたんですよね。だから、あまりそれで苦労した記憶はないです」

――ダンク刑事はすごく爽やかで精悍な感じでした。新人刑事はとにかく走らされることで知られていますが、いかがでした?

「僕も思いっきり走らされました(笑)。アクションシーンの動き一つひとつがまったくできなくて苦労しました。頭ではなんとなく理解できているんですけど、それを実際にからだで表現することがまったくできない作品だったなっていう思いがあって、すごく悔しい思いをした記憶しかなかったです」

――スペシャルドラマは3作品でしたね。

「はい。3年間で3本なので、1年に1本のペースで『金曜ロードショー』の枠で放送していました。僕が最初新人刑事で始まって、その後2本目で吉田栄作さんが新人刑事で出てくるんですよ。そして3本目になると、また新たに新人刑事が入って来て…という感じで、どんどん序列が落ちてくるのがわかるから、思うところがありました。

今でもその悔しさは、いつでも思い出せます。また1からのスタートかなと思いながら、映像で悔しい思いをさらにしたので、『いつかやってやろう!』っていう思いで続けていたという感じでした」

 

◆大河ドラマ、昼帯ドラマにも出演

浜田さんは、『葵 徳川三代』(NHK)をはじめ、『武蔵 MUSASHI』、『功名が辻』、『龍馬伝』、『江〜姫たちの戦国〜』、『平清盛』、『軍師官兵衛』、『花燃ゆ』、『西郷どん』など多くの大河ドラマに出演している。

「大河ドラマは『葵 徳川三代』が最初でした。3代目将軍・家光の異母弟の保科正之という役で、台本では背が高いという設定だったんですね。それで、初めて家光と会ったときに大地震がきて、からだの大きい保科が家光を支えて助けるシーンがあって。

オーディションのときに、台本を渡されて何も知らずに読まされたのですが、ディレクターさんが『うん』って言って出て行ったんですよ。

そうしたら、後ろにいたアシスタントプロデューサーの方に『良かったね、合格だよ』って言われて。そのときの尾崎充信監督とご縁が続き、その後、『武蔵 MUSASHI』、『功名が辻』など、6、7作品に出させていただいています」

――目ヂカラが強くて凛々しいので合いますね。

「ありがとうございます。『功名が辻』のときは、武田鉄矢さんや前田吟さんとご一緒に、まだ全然成長できていない若い男の子を演じたんです。長い期間かけてドラマの中で成長していくので、とても印象深いです。

27歳の頃に、昼帯ドラマ『永遠の君へ』(東海テレビ)に出会えたことも大きかったです。昼帯は1日の撮るシーン数が多かったので、そういう意味では大変でしたが」

――アクションのイメージがあったので、ドロドロの展開の昼ドラ、恋愛ものというのは新鮮でした。

「そうですね。でも、そもそも自分はアクションでとは思っていなかったんですよね。なので、一つのチャンスをいただいたと思って、誠実に役と向き合って臨めればという思いでした」

ハードな撮影の昼帯ドラマも経験し、多くのドラマ、映画に出演してきた浜田さん。次回は映画『岳 -ガク-』、韓国映画『マイウェイ 12,000キロの真実』の撮影エピソードなども紹介。(津島令子)