幼稚園の先生がなぜレースクイーンに? No.1ルーキーに輝いた木村楓「茨城から何のアテもなく東京に出てきてしまって...」
日本レースクイーン大賞2023新人部門グランプリ
木村楓さんインタビュー(前編)
2010年から始まった「日本レースクイーン大賞」は、いまや全国のレースクイーンが目指す憧れの舞台。その煌びやかな場所で、スーパーGTに初登場したレースクイーンたちの「No.1ルーキー」を決定するのが新人部門グランプリだ。
新人部門グランプリは、まさに「トップ・レースクイーン」の登竜門。その栄えある称号を手にした木村楓(きむら・かえで)さんとは、どんな女性なのか──その魅力に迫る。
◆「元・幼稚園の先生」レースクイーン木村楓さん・幼少期〜女子高生〜幼稚園先生時代〜フォトギャラリー(83枚)>>
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元幼稚園の先生だった木村楓さんはなぜレースクイーンに?
── 今年からレースクイーンとして活躍している木村楓さんですが、今年7月に開催された『Adam by GMO 日本レースクイーン大賞2023』の新人部門でグランプリを獲得しました。おめでとうございます。
「ありがとうございます。まさか私が選ばれるなんて想像もしていなかったので、最後に名前を呼ばれた時は頭が真っ白になりました。
受賞スピーチの時は言葉が出ず、ずっと涙が止まらなくなってしまって......。今までの人生で一番といっても過言ではないぐらい、忘れられない瞬間になりました」
── 木村さんは『SARDイメージガール』『D'stationフレッシュエンジェルズ』として活動していますが、そもそもなぜ、レースクイーンになろうと思ったんですか?
「私はもともとアイドルとかカワイイ女のコが好きで、ライブとかに行く"オタク側"だったんです(笑)。で、SNSでいろいろ調べている時にレースクイーンの存在を知って、すごくカワイイな、綺麗だな、スタイルがいいな......って。見ているうちに憧れが強くなって、『自分もなりたい!』って思ったんです」
── そうだったんですね。
「はい。実は2年前まで、地元の茨城で幼稚園の先生をやっていたんです。だけど、気がついたら辞めていて、何のアテもなく東京に出てきてしまった感じなんです」
女子高生時代の木村楓さん
── えっ、幼稚園の先生だったんですか? それを辞めて、勢いで上京してしまったと。
「そうなんです。でも、しばらくはオーディションを受けても何も決まらない状態で、レースクイーンになるのはこんなに大変なんだって痛感したというか、限られた一部の女のコにしかなれないんだって、すごい打ちのめされたんです......。あの時は毎日のように泣いていました(笑)」
── 気になる幼稚園の話はのちほど訊くとして、どうやってチャンスを掴んだんですか?
「レースクイーンになれなくて茨城に帰ろうか悩んでいた時期、『オートサロン』というイベントでたまたま一緒に仕事をした女性の方がレースクイーンをしていて、今の事務所のイースマイルに所属していると聞いたんです。じゃあ私も、最後の頼みの綱としてイースマイルにアプローチしてみようって。
けど、どう応募するのかわからなかったので、ホームページの『お仕事依頼』みたいな企業フォームからメールを送ったんです(笑)。それで面接をして、レースクイーンになりたいんですって熱意を伝えたら、所属させてもらうことが決まったんです」
── アテもなく上京したことといい、すごい行動力ですね。
「行動していなかったら、たぶん今、ここにはいないと思います。昔から『こうしたい!』と思ったら、行動に移さなきゃ気が済まない性格なんです。
自分に自信がなくて、自己肯定感も低いんですけど、目標が決まるとそれに向かってコツコツ頑張れる気質なので。レースクイーンも本当にただ『なりたい!』と、衝動的に行動してしまって......」
── なるほど。じゃあレースクイーン以前は、幼稚園の先生が夢だったんですか?
「そうですね。母が幼稚園教諭だったので、その背中を追って私も教員免許を取ったんです。子どもが大好きで、務めたのは2年間だけなんですけど、本当に楽しかったですね」
── 幼稚園の先生といえば公務員ですし、安定した職業だと思うのですが、親御さんからは反対されなかったんですか?
「実は誰にも言わないで上京したんです。母に伝えたら悲しむかなと思って、決まってから言おうって。レースクイーンという仕事に理解があるかわかりませんでしたし、すごく大切に育ててくれた親だったので......」
── うーん、そこは悩みどころですよね。
「ただ、あとから知ったんですけど、幼稚園の先生を辞めたあたりから、私が実家に帰ると挙動がおかしかったようなんです。たしかに母と目を合わせることもできず、幼稚園の話もパタッとしなくなったり。それをいろいろ察していたみたいで『気づいていたけど、自分の口から言うまで訊かないでいたよ』って......ありがたいですね。
本当、昔から隠しごとが苦手で、すぐバレちゃうんです(笑)。でも、ようやく言えることができたし、今は応援してくれているので、本当によかったなって」
── それはうれしいですね。幼稚園の先生時代の思い出は何かありますか。
「大変だったのは、幼稚園でのお遊戯会。子どもたちにダンスや劇を教えるんですけど、ひとつにまとめるのが本当に大変でしたね。衣装も手作りだったので、朝早くに出勤して、夜遅くまで作業して......。
ただ、その大変さ以上に、子どもたちの成長を見ることが生きがいだったので、とても充実した時間でした。子どもたちが本当に、私を成長させてくれましたね」
── そんな好きな仕事を辞めてまで、レースクイーンの道を選んだわけですね。
「辞めたくない気持ちはとってもありました。でも、レースクイーンに対して、それ以上の気持ちがありました」
── 幼稚園の先生最後の日は、寂しかったんじゃないですか。
「もう本当に寂しくて......。子どもたちはもちろん、保護者の方々とも良好な関係だったので、プレゼントや花束まで用意してくれて。最後、校門を出たあとは、ずっと泣きながら家まで帰りました」
── そんな思いを抱えながら上京したのに、最初はうまくいかなかった。
「はい。でも、あの挫折があって、少し強くなれたような気がします。苦しかった時代に戻りたくはないですけど、あの時の気持ちは忘れずに持っておこうと思います」
── いろいろな経験をして、何か性格的な変化はありましたか。
「いやー、それがまったく変わらなくて(笑)。家族や昔からの友だちに会っても「ぜんぜん変わらないね」って言われます。ただ、レースクイーンのコスチュームを着る時は『ちょっと違う自分になろう』って意識的に切り替えている部分はありますね」
── 晴れてレースクイーンになれた時のお気持ちは?
「初めてコスチュームを着た時は、本当にうれしくて、すっと鏡の前で自分の姿を見ていました(笑)。ただ、その一方で『SARDイメージガール』も『D'stationフレッシュエンジェルズ』もすばらしいチームで、すごい先輩方もいるので、正直大丈夫かなって。
ですから、うれしさ半分、不安な気持ち半分といった感じで、レースクイーン生活がスタートしました」
(後編につづく)
◆木村楓さん・後編>>「ファンのみなさんは"大きな園児"だと思っています笑」
◆「元・幼稚園の先生」レースクイーン木村楓さん・幼少期〜女子高生〜幼稚園先生時代〜フォトギャラリー(83枚)>>
【profile】
木村楓(きむら・かえで)
12月3日生まれ、茨城県出身。血液型=A型。身長168cm。B=80・W=59・H=89。趣味・特技=犬の散歩、料理。SNS=X(@p_kaepyon)、Instagram(@k._.k5656)