2020年のメジャー「サイ・ヤング賞」投手、トレバー・バウアー(DeNA)がさすがのピッチングを見せている。ここまで(9月4日現在)リーグ2位の10勝をマークし、防御率2.76(リーグ9位)、奪三振130(リーグ2位)。そんなバウアーのピッチングを見て、かつて日本プロ野球で熱投を繰り広げた外国人投手を思い出した方もいるのではないか。そこで長年、投手をつぶさに見てきた野村弘樹氏に「外国人投手ベスト5」を選んでもらった。


2020年のサイ・ヤング賞投手、トレバー・バウアー

【圧巻のサイ・ヤング賞投手】

── 今回、野村さんが選ぶ外国人投手ベスト5を選出していただければと思うのですが、最初に挙げる投手は誰ですか?

野村 トレバー・バウアー(DeNA)です。来日1年目ですが、これまで見てきた外国人投手のなかで間違いなくトップ5に入ります。とにかくモノが違います。

── バウアーを真っ先に挙げられた理由はなんですか。

野村 実績もさることながら彼のすごいところは、中4日で先発して、なお100球から130球を投げられる。とにかくタフです。7月1日の中日戦では味方の挟殺プレー失敗に激高するシーンもありましたが、それだけ闘志を出して投げている証拠。ピッチングはもちろんですが、野球に取り組む姿勢など、2020年のサイ・ヤング賞投手が日本野球に与える影響は大きいと思います。

── 来日当初は、ボールが全体的に高めに浮いている印象がありました。

野村 バウアーは2021年の7月以降、実戦から遠ざかっていましたが、今年5月末からのセ・パ交流戦以降、徐々に本領を発揮してきてきました。ストレートはもちろん、武器であるナックルカーブ、スライダー、カット、スプリットチェンジと変化球の精度も上がってきました。スプリットチェンジは、来日してから投げ始めたようです。

── 次に挙げる投手は誰になりますか。

野村 これも現役投手ですが、中日のライデル・マルティネスです。2017年WBCのキューバ代表で、育成選手として中日と契約し、18年に支配下登録されました。彼の最大の武器は、身長193センチから投げ下ろす角度ある最速161キロのストレートに、同じ高さから落とすスプリット。あんなピッチングをされたら打者は打てません。マルディネスは、20年は24イニング連続奪三振、22年には28試合連続無失点をマークするなど、リーグ屈指のクローザーとなりました。

── 通算407セーブの岩瀬仁紀さんが現役引退した2018年、マルティネス投手は0セーブ。当初はクイックモーションやけん制もままなりませんでした。

野村 マルティネスは緻密な日本野球を吸収して、バージョンアップしてきました。2019年に8セーブ、20年に21セーブ、21年に23セーブ、そして昨年は39セーブを挙げ「最優秀救援投手」のタイトルを獲得しました。中日は、古くは郭源治、宣銅烈、エディ・ギャラードなど、外国人のクローザーが活躍してきましたが、マルティネスも同様に球団の歴史に名を連ねたと思います。

── 他球団に目を移しても、外国人投手がクローザーを担い「最優秀救援投手」のタイトルを獲得するケースは多いです。

野村 そうですね。ヤクルトはトニー・バーネット(12、15年)、阪神では呉昇桓(15年)、ラファエル・ドリス(17年)、ロベルト・スアレス(20、21年)がタイトルを獲得しています。パ・リーグではソフトバンクに在籍していたデニス・サファテが15年から3年連続でタイトルを獲得しました。とくにサファテは、2017年に54セーブという驚異的な記録を残しました。彼も193センチの長身から投げ下ろす、最速159キロのストレートが武器でした。

── なぜ、外国人投手のクローザーが多いのでしょうか。

野村 日本の野球は「先発」「中継ぎ」「抑え」と投手の分業制が確立しており、とくに抑えは力のあるボールで三振を奪える投手が必要になってきます。コントロールや投球術で勝負する投手よりも、パワー型の投手のほうが前に飛ばされるリスクは少ない。前に打球が飛ぶと何が起きるかわからないですからね。そういったことを加味して、外国人投手に託すチームが多かったのだと思います。

【日本で大化けした投手】

── 先程、バウアー投手が挙がりましたが、先発で印象に残っている投手は誰ですか?

野村 巨人でプレーしたマイルズ・マイコラスです。2017年に188イニングを投げて187個の三振をとり、最多奪三振のタイトルを獲得しました。驚くのはその年の与四球がわずか23個。コントロールのよさは歴代の外国人投手のなかでもトップクラスです。時折、マウンドで苛立った姿を見せることはありましたが、彼も日本に来て成長を遂げた投手のひとりです。2014年にレンジャーズで2勝だった投手が、日本での3年間で31勝をマーク。そして18年に30歳でメジャー(カージナルス)に復帰し、18勝で最多勝に輝きました。

── 日本で活躍した投手が、再びメジャーでブレイクするというのは簡単なことではありません。

野村 メジャーに復帰して活躍した投手は意外と多くありません。思いつくところでは、2008年、09年に最多奪三振のタイトルを獲得したコルビー・ルイス(広島)ですか。11年にレンジャーズに復帰後、じつに4度の2ケタ勝利をマークしました。マイコラスにしても、ルイスにしても、日本の経験がメジャーで生きたというのは間違いないと思います。

── 野村さんと同じ左で印象に残っている投手はいますか。

野村 左投手は、広島にいたクリス・ジョンソンです。メジャーでは1勝もできませんでしたが、来日1年目の2015年にいきなり最優秀防御率のタイトルを獲得しました。193センチの長身ながら、剛球投手というより、いわゆるグラウンドボールピッチャーです。カットボールとツーシームという小さく変化するボールを駆使し、さらにチェンジアップでタイミングを外して内野ゴロで打ちとる。投球術に長けた投手でした。16年に15勝、18年も11勝を挙げ、広島のリーグ3連覇にも貢献しました。とくに16年は投手の最高栄誉である「沢村賞」に輝きました。長いプロ野球の歴史でも、外国人投手の受賞は、64年のジーン・バッキー(阪神)以来、52年ぶり史上2人目の快挙でした。

── では、最後の5人目を教えてください。

野村 ランディ・メッセンジャー(阪神)です。タイトルは、2013、14年に最多奪三振、14年に最多勝を獲得しています。198センチ、109キロの恵まれた体から、平均150キロ近い剛球を投げ込み、またタテに鋭く曲がるカーブで打者を翻弄しました。日本でプレーした10年間で2ケタ勝利7回、開幕投手6回。まさに阪神の大エースでした。NPB通算98勝は、郭泰源(西武)の112勝、郭源治(中日)の106勝、ジーン・バッキー(阪神→近鉄)、ジョー・スタンカ(南海=現・ソフトバンク→大洋=現・DeNA)の100勝に続く史上5位の記録です。

 あと、おまけでもうひとり挙げたいのがセス・グライシンガーです。ヤクルト時代の07年と巨人時代の08年に最多勝を獲得し、ロッテ時代の12年には12勝をマーク。捕手からの返球を受け取るとすぐに投球ポジションに入って投げる。そのリズムのよさ、テンポの速さは独特のものがありました。尻上がりに球速が増すタイプで、150キロを超すストレートにチェンジアップが効果的でした。立ち上がりに攻略しないと、そのまま打ちあぐねて終わってしまう。彼も間違いなく好投手でしたね。