「今はプロ入り1、2年目を思い出しています。ルーキーの時はすごく焦りを持っていて、似た感覚ですかね?」

 スペインを舞台に戦う彼は言う。

「どこかしら、俺ならやれる、というのはあったんです。でも、自分を出すことができなかった。その自信は一回失ったもので、次はもっとやらないと......。"純粋にサッカーを追求したい"という気持ちがこみあげてきています」

 今は産みの苦しみか。彼は2年目のスペイン挑戦を決心した。

 今年7月中旬の時点で、元日本代表MF橋本拳人(30歳)はスペイン2部ウエスカとの契約更新にサインしていた。

 報道ではさまざまな移籍のうわさが飛び交い、勝手な憶測も渦巻いていたが、進むべき道は決まっていた。オファーに感謝しながらも、「スペインでプレーする」という思いが強かった。ビザ発行の事務手続きが思った以上に遅れ、開幕からの4試合に間に合わなかったが、9月3日、ウエスカからようやく正式に今シーズンの契約がアナウンスされている。


昨シーズンに続き、スペイン2部ウエスカでプレーすることが決まった橋本拳人

 昨シーズン、橋本はスペイン1年目のウエスカでボランチとして定位置を勝ち取り、33試合に出場した。スペイン2部は、スコットランドやベルギーの1部よりもレベルは高く、出場時間を得ること自体が簡単ではない。実際、日本代表の肩書のある選手がお払い箱になったり、契約解除を通告されたりしており、たとえサラリーを下げても契約を結べないこともある修羅場だ。

「ロシアリーグ(2020年夏から2022年3月までロストフに在籍)はフィジカル的に少し苦労しましたが、すんなりと入れました。でも、スペインは基本技術がみんな高いし、独特のリズムがあって、"1部に行ったらどうなるんだ"と思いましたね。それが楽しみでもあるし」

 橋本はスペイン1年目をそう振り返る。

「(2部2位となり1部に昇格した)ラス・パルマスの(元スペイン代表FW)ジョナタン・ビエイラは、今までやったことがないほど、うまかったです。縦パスのタイミングとか、何もかも速い。0.5秒とか速いんでしょうけど、"ここ出すでしょ"という時、すでにパスが通っていて、足は短いんですけど、なかなか食いつけない(笑)。ラス・パルマスはペドリ(現在はFCバルセロナ)とかもそうでしたけど、そういう土地柄で、うまい選手が多かったです」

【スペインへの適応と失意】

 橋本は世界と遭遇した。叩きのめされる感覚があった。それは望んだ苦しさだったと言う。

 スペインに適応するために、やれることをやった。スペイン人は選手同士のコミュニケーションを大事にするので、できるだけ同じ時間を共有した。卓球やダーツに興じ、お互いの家を行き来し、スペイン語にも向き合った。スペインでは遠征は二人部屋が基本で、「メッシやスアレスも二人部屋で友情を深めてピッチで躍動した」と聞き、狭い部屋でアフリカ人選手と寝食を共にした。

「ケント、チームに残れよ!」

 シーズン後、チームメイトや監督からそう言われるほど信頼されたのは、積極的な姿勢の賜物だ。

「自分はそんなにワイワイやるほうではないんです。でも、スペイン人は少しでも時間が空くと、集まっておしゃべりするのが好きで(笑)、性格を変えてもスペインに馴染もうとしたから、そのパーソナリティは評価されたのかもしれません」

 橋本は笑顔で言うが、同時に悔しさも張りついていた。昨シーズン、ウエスカは前半戦こそ昇格圏で粘っていたが、後半戦は崩れ、失意の15位に終わった。

「チームの戦い方とか、もう少しつなげてとか、(言いたいことは)いろいろありますけど、結局は結果が出なかったので......。自分自身、練習では一番でも、試合ではすべてを出せていなかったと思います。簡単にやれるはずのことができなかった。例えば、FWがそこで落としてくれたら、簡単に次のプレー展開もさせられるのに、とか......。必ず1部に上がるつもりでやっていたから、それが難しいとなった時、気持ち的には......」

 橋本は、幾度か語尾を詰まらせながら語った。本当のところは、現在の心境を明かすのも本意ではないのだろう。本人には不本意なスペイン1年目だった。日本代表として最後の逆転にかけた挑戦でもあったが、E−1選手権のメンバーには選ばれていたものの、カタールワールドカップ本大会のメンバーからは外れた。

「ワールドカップの日本代表については......今は語りたくない。ひとつだけ言えるとしたら、やめた時にサッカー人生を後悔したくないって思っています。常にチャレンジする。ずっと自分はそうだったし、それでここまでは来られたので。リーガ1部は難しいですよ。でも、スペインサッカーはレベルが高いから楽しいし、その目標に向かってやれるか、やれないか。それを自分に問う日々は充実しています。ワールドカップ、チャンピオンズリーグは目指す最高峰だけど、その過程で後悔しないように......」

 その希望があるからこそ、Jリーグの有力クラブからの好待遇でのオファーや、欧州カップ戦にも出場するクラブからのオファーを断っても、スペインでのプレーにこだわった。いばらの道を行くのだ。

 橋本は2年弱プレーしたロシアで辛酸をなめている。ウクライナ侵攻の余波で、FIFAの外国人選手への特例措置で契約停止が決まり、フリーになったが、今や戦地の一部にまでなっている町で、将来が不透明になる怖い思いもした。どうにか帰国し、ヴィッセル神戸で3カ月プレー、J1残留に貢献したが、「裸一貫のつもりで」とスペインへ渡った。

 不退転の覚悟だ。だからこそ、ウエスカでの登録に時間がかかっても焦らず、じっくりと待ち続けた。

「辛いことがあったほうが、やり遂げた時の気持ちはいいはずで、サッカー選手として生きているっていう感覚はあります。自分は結局、そういう生き方が好きなんですよ」

 2年目のスペイン挑戦が幕を開ける。