当事者が振り返る2005年の日本シリーズ

阪神:関本賢太郎(1)

(ロッテ・清水直行のエピソード1:「阪神にとって少し不利だった」と思うこと>>)

 ロッテと阪神が相まみえた2005年の日本シリーズ。ロッテはボビー・バレンタイン監督、阪神は現在の指揮官でもある岡田彰布監督の両名将が指揮を執り、戦力も互角かと見られていたが......結果は4勝0敗とロッテが圧倒して日本一に。4戦の合計スコア「33−4」という言葉がインターネット上で広まり、多くの野球ファンの間にも広まるなど記憶に残る日本シリーズになった。

 同年、それぞれのチームのリーグ優勝に貢献した清水直行氏(元ロッテ)、関本賢太郎氏(元阪神)が、当時の状況や心境をそれぞれの立場で振り返る短期連載。関本氏に聞くエピソードの第1回。当時のチームの特長や日本シリーズ戦前のことを語ってもらった。


2005年に2度目の日本シリーズを戦った阪神の関本

【「調整が難しかった」は言い訳】

――2005年の阪神は2位の中日に10ゲーム差をつけてリーグ優勝。リリーフにはJFK(ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之)が君臨し、リードオフマンの赤星憲広さんが盗塁王、今岡真訪さん(当時の登録名は今岡誠)が147打点を挙げて打点王を獲得するなど投打に隙のないチームだったと思います。

関本賢太郎(以下:関本) その2年前の2003年にリーグ優勝を果たしたチームとの比較になるのですが、2003年は「優勝の仕方がわからないけれど、星野(仙一)監督についていったら優勝できた」という感じだったんです。そこで優勝できたことで、「こうやったら勝てるんだ」ということも理解できました。

 2004年は勝ち方を知りながら実践できずに4位に終わりましたが、2005年は「自分たちの戦いができれば優勝できる」というものが、ある程度チームとして確立できたシーズンでしたね。なので、仮に2003年と2005年の阪神が試合をした場合、2005年のチームのほうがたぶん強いんじゃないかなと。そのぐらい完成されていたチームだったと思います。

――リーグ優勝を決めたのは9月29日の巨人戦でしたが、当時のセ・リーグにはプレーオフがなかったため、10月22日の日本シリーズ第1戦まで約3週間空きました。そのブランクがあった分、やはり調整は難しかった?

関本 それに合わせるのがプロですからね。ただ、シーズン終盤のチームの勢いや熱量などを3週間持続できるかといえば、難しいところはありますが......言い訳にしたらダメなんですけど。

 3週間の間に体や気持ちを休めることもできますが、気持ちの張りが取れすぎてしまうのもよくないと思うんです。その部分で、プレーオフを勝ち上がったロッテは日本シリーズまでの期間が短かった分、緊張感をある程度持続しながら日本シリーズを迎えたんじゃないかなと。

――ロッテはソフトンバンクとのプレーオフ第5戦から、中4日で日本シリーズに臨みました。

関本 当然、プレーオフを勝ち上がっていく大変さもわかります。ロッテからすれば、「プレーオフでレギュラー陣の体力を消耗した」とも言えるわけですし、逆に阪神に対しては「3週間ゆっくり休めたのだから、調整時間も十分にあった」「ケガをしていた選手も治す時間があったはず」とも言えるわけじゃないですか。

 日本シリーズの第1戦、ロッテは清水(直行)さんが登板されましたが、プレーオフがなかったりプレーオフがもう少し早く終わっていたりしたら、違うピッチャーが投げる予定だったかもしれない。試合間隔の影響は一概には言えません。なので、仮に阪神側が「調整が難しかった」と言ったとしても、負けた言い訳になるでしょうね。

――当時、調整面の違いが話題になりましたが、阪神が4連敗した理由は違うところにあった?

関本 影響もないことはないでしょうけどね。「同じ条件ではないわな」といったところでしょうか。

【阪神とロッテは「似ているチーム」だった】

――2005年は交流戦がスタートした年でもありました。ロッテとの交流戦の対戦成績は阪神の2勝3敗1分けでしたが、ロッテにどんな印象を持っていましたか?

関本 とにかくチームに勢いを感じました。特に若手の西岡(剛)、今江(敏晃)などの勢いはすごかったです。中堅どころも福浦(和也)さんやサブローさんら実力のあるバッターがいましたし、李承菀(イ・スンヨプ)やベニー(・アグバヤニ)、(マット・)フランコら、外国人助っ人が全員活躍していましたよね。「バランスがいいチーム」という印象でした。

 それと、応援団も含めた一体感があった。12球団の中でも当時のロッテは特殊な応援スタイルだったし、そういった部分でもちょっと圧倒された感じがあったかもしれません。

――当時の阪神とロッテは「似ているチーム」という見方も多かったです。

関本 両チームとも、ピッチャー陣は先発もリリーフも含めて盤石でしたし、"先行逃げきり"という勝ちパターンを確立していたように思います。打線も1番に、阪神は赤星(憲広)さん、ロッテも同じく俊足の西岡がいましたし、つないでいく攻撃スタイルも共通していたんじゃないかなと。そういう意味では、確かに似ていたかもしれません。

――交流戦での対戦で、ロッテに対しての苦手意識はなかった?

関本 苦手意識はなかったですね。ただ、やはり日本シリーズの第1戦で圧倒された(1−10で敗戦)というのが、その後の展開に影響してしまったのかなと。

――やはり試合間隔の話になってしまいますが、実戦から遠ざかっていてピッチャーの生きたボールを体感していなかった分、第1戦ではアジャストに苦労した?

関本 僕は第1戦には出ていなかったので、打席でのボールの見え方はちょっとわかりませんでしたが......ベンチから見ていて感じたのは、「シーズン中のような"戦いの流れ"ではないな」ということ。試合まで3週間ほど空いたので、試合に入っていく難しさは試合前から懸念していましたが、こちらがペースを掴む前にロッテの勢いに押されてしまった感じでしょうか。 とにかく、ひとつ言えるのは、記憶から消し去りたい日本シリーズだということです(笑)。

(ロッテ・清水直行のエピソード2:阪神との日本シリーズ初戦でまさかの濃霧コールドの結末 先発した清水は猛虎打線を「偏った攻め」で崩した>>)

【プロフィール】
関本賢太郎(せきもと・けんたろう)

1978年8月26日生まれ、奈良県出身。天理高校3年時に夏の甲子園大会に出場。1996年のドラフト2位で阪神タイガースに指名され、4年目の2000年に1軍初出場。2004年には2番打者として定着し、打率.316の高打率を記録した。2007年には804連続守備機会無失策のセ・リーグ新記録を樹立。2010年以降は勝負強さを買われ代打の神様として勝負所で起用される。2015年限りで現役を引退後、解説者などで活躍している。通算1272試合に出場、807安打、48本塁打、312打点。