ドイツ戦(9月9日・ヴォルフスブルク)、トルコ戦(9月12日・ヘンク)を戦う日本代表メンバー26人が以下のとおり発表された。

GK
シュミット・ダニエル(シント・トロイデン)、中村航輔(ポルティモネンセ)、大迫敬介(サンフレッチェ広島)

DF
谷口彰悟(アル・ラーヤン)、板倉滉(ボルシアMG)、森下龍矢(名古屋グランパス)、町田浩樹(ロイヤル・ユニオン・サンジロワーズ)、毎熊晟矢(セレッソ大阪)、冨安健洋(アーセナル)、伊藤洋輝(シュツットガルト)、橋岡大樹(シント・トロイデン)、菅原由勢(AZ)

MF/FW
遠藤航(リバプール)、伊東純也(スタッド・ランス)、浅野拓磨(ボーフム)、古橋亨梧(セルティック)、守田英正(スポルティング)、鎌田大地(ラツィオ)、三笘薫(ブライトン)前田大然(セルティック)、堂安律(フライブルク)、伊藤敦樹(浦和レッズ)、上田綺世(フェイエノールト)、田中碧(デュッセルドルフ)、中村敬斗(スタッド・ランス)、久保建英(レアル・ソシエダ)

 前回のメンバーから外れたのは瀬古歩夢(グラスホッパー)、相馬勇紀(カーザ・ピア)、旗手怜央(セルティック)、川辺駿(スタンダール・リエージュ)、川粼颯太(京都サンガ)で、代わって町田、毎熊、冨安、田中、橋岡が招集された。

 前回、ケガで辞退した冨安は、代表では主にセンターバック(CB)としてプレーするが、所属のアーセナルでは右もこなせば左もこなす多機能なサイドバック(SB)としてプレーする。

 だが、度重なる故障や、その影響でプレーに安定感が欠けるためか、スタメンを確保するに至っていない。代表で中心を張れそうな実力者であることに疑いの余地はないが、選手として完全には開花しないまま、現在に至っている。

「次回2026年W杯は冨安次第」とは筆者の見立てだが、現在の代表で見てみたいのは左右のSBとしてのプレーだ。187センチ、84キロの巨漢がCBとしてプレーするのは体格的に当たり前だ。特段のインパクトはないが、SB、とりわけアーセナルで今季これまで2試合プレーしている左SBとなると、いい意味で違和感が増す。思いのほか器用であることに目を奪われるはずだ。

【W杯後、4バックに戻した森保監督】

 招集されたSB陣に目を向ければ、右は菅原が一番手で、復帰した橋岡と初招集の毎熊がそれを追う恰好だ。対する左は伊藤が一番手で、初招集だった前回に続いて選出された森下がこれを追う。森下は右でもプレーできるので、競争は右SBのほうが激しいことになる。冨安はプレーするとなれば左となるのか。森保一監督の起用法に注目したい。

 ドイツとトルコ。この両国を比較したとき、日本人に馴染みがあるのは、カタールW杯のグループリーグ初戦で対戦したばかりの前者になる。

 特に日本人の観戦者を驚かせたのは、森保監督が後半頭から行なった4−2−3−1から3−4−2−1への布陣変更だった。吉田麻也(ロサンゼルス・ギャラクシー)と板倉でスタートしたCBは、冨安を加えた3CBになった。

 以降のスペイン戦、クロアチア戦を、事実上の5バックメインで戦った森保監督。戦前の予想を覆し、ベスト16入りした原因をその采配の賜物だとする声は少なくない。ところが森保監督は続投が決まると一転、W杯前のオーソドックスな4バック(4−3−3、4−2−3−1)に戻している。

「ボールを握り、ゲームをコントロールするサッカーを目指したい」とは言ったものの、言葉は断片的で不明瞭極まりなかった。言質を取られたくない。できればウヤムヤにしておきたい。そうした思いが透けて見える、日本社会を象徴するような言い回しだった。

 サンフレッチェ広島時代、5バックになりやすい守備的な3バックで戦っていた森保監督は、代表監督に就任すると、徐々にオーソドックスな4バックにシフトチェンジしていく。説明は「臨機応変」のひと言だった。

 そのスタイルはカタールW杯直前まで、3年ほど貫かれた。ところがW杯本大会初戦でドイツに勝つと流れは急変。かつての5バックサッカーをメインに、以降の試合を戦った。だがここでもその理由について、森保監督から満足できる説明はなかった。理由をウヤムヤにしたまま守備的サッカーへ移行した。

【ドイツの強さを強調した】

 先述のように、勝てば官軍とばかり、ベスト16入りすると、この守備的サッカーへのシフトチェンジを多くの人が肯定した。だが同時に多くの人は、このサッカーに明るい未来がないことを承知しているはずだ。高い位置からプレスをかけるか、ゴール前を固めるか。世界の趨勢を見ればどちらが今日的で多数派であるかが、一目瞭然となるからだ。

 森保監督は続投が決まると、「ボールを握る」「ゲームをコントロールしたい」と、守備的サッカーからの脱却を口にしている。相変わらず不明瞭な言い回しではあるが、以降の6試合の戦いぶりがカタールW杯と一戦を画していたことは事実で、今後はその方向で行くものと楽観的になったものだ。

 そうした経緯があって迎えるこのドイツ戦である。メンバー発表記者会見でひな壇に座る森保監督は、ドイツの強さを強調した。カタールW杯前と同様に。再び守備的サッカーでドイツに対峙するのではないかと、いやな予感が走った。そしてその手の質問が飛び出すと、森保監督は否定も肯定もしなかった。半分笑いを浮かべながら。


ドイツ戦、トルコ戦の日本代表メンバーを発表する森保一監督(右)と山本昌邦ダイレクター

 森保監督のどこがいただけないか。不満を覚えるのかと言えば、この受け答えになる。何事も曖昧にして次に進もうとする話術に筆者は激しい抵抗を覚える。おそらく試合後にも説明はないだろう。取材陣は完全に舐められている。そう思わざるを得ない。

 日本代表のサッカーそのものは、W杯後も右肩上がりにあると筆者は見ている。欧州組のプレーを見る限り、後退しているようには見えない。代表監督がもしジョゼップ・グアルディオラなら「私はこうしたサッカーがしたい。なぜならば......」と雄弁に語っているだろう。サッカーの進歩、発展に貢献するような言葉を次々と紡ぎ出しているに違いない。

 森保監督の態度は、百歩譲ってW杯本番直前なら理解できる。布陣の選択肢が2つある時、そのいずれかで戦うことを公言すれば、自軍チームにとってマイナスに作用する。

 2006年ドイツW杯に臨むジーコがそうだった。黙っていればいいのに、フース・ヒディンク率いるオーストラリア戦を前に先発メンバーを発表。3−4−1−2で戦うことを宣言してしまった。1−3というスコアは逆転負けだったが、意外でも何でもなかった。試合前から結果はわかっていた。この監督では勝てるはずがないと、残念な気持ちになったことを思い出す。

 森保監督に対する残念な思いとは種類は違う。正直すぎたジーコより、ある意味でタチが悪い。代表監督がこの姿勢では日本サッカー界に進歩はない。たとえば欧州で、森保監督的な監督を見つけ出すことは難しいだろう。いたとすれば、さっそく非難の対象になっているはずだ。

 同じドイツ戦と言っても、今回は親善試合だ。しかもアウェー戦である。0−3で敗れても、可能性を感じさせる内容ならば批判は極力、控えるつもりだ。なぜ戦い方について森保監督ははぐらかそうとし続けるのか。ここまで不明瞭な代表監督は珍しい。日本サッカー界の普及発展に貢献しているとは思えないのである。

 冨安がCBに入り、3CB態勢を築かないことを祈るばかりだ。