神奈川・厚木パチンコ店火事で車152台焼損 「店」「火元の車持ち主」に賠償請求できる? 弁護士が解説
神奈川県厚木市内にあるパチンコ店の2階建て立体駐車場で8月20日午後、火災が発生しました。火はおよそ4時間後に消し止められ、けが人はいませんでしたが、テレビ&新聞各社の報道によると計152台の車が焼損したということです。火元は、2階の駐車場に止められていたディーゼル車とみられています。
店舗の駐車場で火事が発生し、止めていた車が焼損する被害に遭った場合、店側や火元の車の持ち主などに損害賠償を求めることは可能なのでしょうか。芝綜合法律事務所の弁護士・牧野和夫さんに聞きました。
「重大な過失」に該当しない限り、責任を問われず
Q.そもそも、住宅や駐車場で火事が発生し、周辺の住宅や車などを焼損させてしまった場合、火元の住宅の住民や火元の車の持ち主などは、どのような法的責任を問われる可能性があるのでしょうか。
牧野さん「故意または過失によって火事を発生させ、他人をけがさせたり、死なせたりするなどの損害を負わせた場合、本来であれば、火事を発生させた人は、民法709条の不法行為に基づく損害賠償責任を負うことになります。
しかし、元々、日本では木造の建物が多く、木造家屋の類焼と損害の拡大の危険性が高いことから、明治時代に『失火責任法(失火ノ責任ニ関スル法律)』が定められて以降、過失で火事を起こした『失火者』の責任が軽減されています。
具体的には、失火によって他人の家に燃え広がったり、人が死傷したりした場合であっても、失火者に『重大な過失』がない場合、その人は損害賠償責任を負わないとされています。失火責任法は、木造家屋の火災による延焼に限らず、今回のパチンコ店のケースのような、店舗の駐車場で発生した火事にも適用されます」
Q.どのようなケースが「重大な過失」に該当するのでしょうか。
牧野さん「重大な過失というのは、『少し注意すれば事故が発生しなかったのにあえて見過ごした』という、故意に準じて故意と同視すべき悪質な場合のことです。
重大な過失に該当するかどうかは、個々の事案ごとに具体的に判断されますが、例えば、第三者から漏電の可能性の指摘を受けたものの、修理などの適切な措置を講じなかった結果、漏電により出火した場合には、重大な過失と認められる可能性が高いです。
駐車場などの工作物に欠陥があり、それが原因で火災の損害が発生した場合、工作物の持ち主は、民法717条の工作物占有者の責任を負う可能性があります。例えば、建物の構造上、消防法でスプリンクラーの設置が義務付けられていたにもかかわらず、設置しなかったことで火災による損害が拡大した場合には、民法の工作物占有者の責任が問われる可能性があるでしょう」
Q.では、店の駐車場で火事が発生し、止めていた車が焼損した場合でも、店舗や火元の車の持ち主に重大な過失がない限り、被害者が損害賠償を請求するのは難しいということでしょうか。
牧野さん「難しいと考えられます。先述の失火責任法に基づき、店舗や火元の車の持ち主に重大な過失がない場合、彼らは損害賠償責任を負わないからです。つまり、他人の建物や車から出た火によって自分の車が損傷してしまった場合でも、その人に対して、基本的には民法709条の不法行為に基づいた損害賠償請求ができないということになります」
Q.店舗や住宅で発生した火事が放火によるものだった場合、法的責任はどのように変わるのでしょうか。放火した人に賠償を請求することは可能なのでしょうか。
牧野さん「故意の放火による火災の場合は、失火責任法で免責されないため、放火をした人は、民法709条の不法行為に基づき、火災により発生した損害を賠償する責任を負うことになります。さらに、刑法108条から110条に規定されている放火の罪に処せられる可能性があります」
Q.ちなみに、店舗の駐車場には、「駐車場内で発生したトラブルに関しては、当社は一切責任を負わない」という内容の文章を記載した看板が設置されていることがあります。店舗がこうした看板を掲示していた場合、何らかのトラブルが発生しても基本的に法的責任を問われることはないのでしょうか。
牧野さん「看板を掲示していただけでは、店舗と利用者との間に契約が成立したとみなすことは難しいでしょう。看板の掲示により、店舗から利用者に対する契約の申し込みがあったのかも知れませんが、それに対する利用者の承諾が認められないからです。利用者との利用規約などで明記されていれば別ですが、看板の掲示だけで店が民事上の損害賠償の免責を受けることは、難しいでしょう」
Q.今回のような大規模火災の事例について、教えてください。
牧野さん「駐車場の火事のケースではありませんが、1972年5月13日深夜に大阪・千日前のデパートビルで発生した『千日デパート火災』があります。死者は118人、負傷者は81人にのぼり、戦後の国内のビル火災としては、最大の惨事となりました」