プレミア開幕!リヴァプールの「プレミアリーグ創設最初のスタメン」覚えてる?

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もうすぐ2023-24シーズンの開幕を迎えるイングランド・プレミアリーグ。1992年夏に創設されてから31年目となる。

そこで今回は『Planet Football』から「プレミアリーグ創設から最初の試合でリヴァプールが起用したスタメン」をご紹介する。

ちなみに試合は1992年8月に行われたノッティンガム・フォレスト戦で、テディ・シェリンガムのゴールでリヴァプールは0-1と敗れている。

GK:デイヴィッド・ジェームズ

リヴァプール所属:1992〜1999

所属した他の主なクラブ:アストン・ヴィラ、マンチェスター・シティ、ポーツマスなど

国籍:イングランド

現在:解説者、指導者

イングランド代表ではあのデイヴィッド・シーマンの後を継いで守護神となった選手。エキセントリックな振る舞いや派手なミスの多さから「カラミティ(疫病神)」とも呼ばれたが、動じないメンタルの強さと当たったときの手のつけられなさが凄まじいゴールキーパーであった。

引退後は指導者として活動しつつ芸術品の収集家としても有名だったが、借金を重ねて2014年に破産。現在は解説者やタレントとして活躍中。

DF:デイヴィッド・バロウズ

リヴァプール所属:1988〜1993

所属した他の主なクラブ:ウェストハム、コヴェントリー、エヴァートンなど

国籍:イングランド

現在:指導者、レンタル別荘経営

1988年にWBAから加入した左サイドバック。まだほとんど試合に出場していなかったにもかかわらず、1989年に発生したヒルズボロの悲劇では犠牲となったファンの葬儀に欠かさず参加し、その人格的な振る舞いに賞賛が集まったという。

それから1993年までレギュラーとしてプレーしたあと、ジュリアン・ディックスとのトレードでウェストハムへと移籍。その後は怪我に悩まされたことによって2003年に現役引退を余儀なくされた。それからはフランスに移住して草の根のサッカーで指導者を務めているほか、貸別荘を経営しているそうだ。

DF:ニッキー・ターナー

リヴァプール所属:1988〜1994

所属した他の主なクラブ:ブリストル・ローヴァーズ、ノリッジ・シティなど

国籍:イングランド

現在:保険業、イベント業、解説者

ブリストル・ローヴァーズから1988年にリヴァプールへと加入したニッキー・ターナー。元々はボランチだったそうだが、リヴァプールでセンターバックにコンバートされた。59試合に出場したが背中の怪我でプレーできなくなり、29歳という若さで現役を引退している。

その後はアマチュアリーグの様々なクラブで監督やスカウトとして働いたが、後に保険業に転職。さらにリヴァプール・レジェンズのイベントを行う会社も経営しているほか、サッカー解説者も務めている。また、ファンタジーフットボールのトッププレーヤーでもあるそう。

DF:マーク・ライト

リヴァプール所属:1991〜1998

所属した他の主なクラブ:サウサンプトン、ダービー・カウンティなど

国籍:イングランド

現在:会社経営

イングランド代表で45試合に出場した名センターバック。サウサンプトンとダービー・カウンティで活躍したあと、1991年に27歳でリヴァプールへとやってきた。引退したアラン・ハンセンの後を継いでレギュラーに定着し、1993年までキャプテンを務めていた。

ボール扱いが上手く試合を読め、ハードロックのようなスタイルを持っていた…と評される選手だったが、腰の怪我のために1998年で現役生活を終える。その後は様々なクラブで監督を務めたが、2016年からはマイケル・オーウェンとともに中国でのサッカースクールを経営しているほか、イングランドのレジェンド選手を使ったイベントを開催する会社を設立している。

右SB:スティーヴ・ニコル

リヴァプール所属:1981〜1994

所属した他の主なクラブ:ノッツ・カウンティ、シェフィールド・ウェンズデイなど

国籍:スコットランド

現在:解説者

1981年に加入してから長くリヴァプールに所属したレジェンド。右SBが本職ながら、左サイドやセンターバック、さらに中盤や前線でも起用されるなど非常に多才なタイプであった。そしてヘイゼルの悲劇とヒルズボロの悲劇を両方経験した貴重な選手の一人でもある。

引退後は2002年から2011年まで長くニューイングランド・レヴォリューションで監督を務めたことで知られ、クラブの殿堂入りも果たしている。現在はESPNの解説者。

MF:マーク・ウォルターズ

リヴァプール所属:1991〜1996

所属した他の主なクラブ:アストン・ヴィラ、グラスゴー・レンジャーズ、サウサンプトンなど

国籍:イングランド

現在:指導者

イングランド代表として1試合に出場した経験を持つ黒人選手ウォルターズ。リヴァプール加入以前はアストン・ヴィラとレンジャーズでプレーし、特にスコットランドでは黒人が少ない時代に多くの差別を受けながらも活躍したという。

リヴァプールでは常にレギュラーではなかったものの5シーズンで94試合に出場。退団後はサウサンプトン、スウィンドン・タウン、ブリストル・ローヴァーズでプレーして38歳で引退している。その後は指導者として活動しながら教員免許を取得。今はアストン・ヴィラのアカデミーで働いているという。

MF:マイケル・トーマス

リヴァプール所属:1991〜1998

所属した他の主なクラブ:アーセナル、ベンフィカなど

国籍:イングランド

現在:警備会社経営、解説者

1988-89シーズンの最終節でリヴァプール相手にゴールを決め、アーセナルに優勝を導いた名MF。1991年にはリヴァプールへ加入し、7シーズンに渡って120試合以上でプレーした。イングランド代表でも2試合に出場している。

引退後はリヴァプールに在住しており、警備会社を設立。さらに評論家や解説者としても活躍しているとのこと。アーセナルのメディアにもコラムを執筆しているそうだ。

MF:ロニー・ウィーラン

リヴァプール所属:1979〜1994

所属した他の主なクラブ:サウスエンド・ユナイテッドなど

国籍:アイルランド

現在:解説者

アイルランド代表選手だった父ロニー・ウィーラン・シニアの息子として生まれ、マンチェスター・ユナイテッドの練習参加で不合格となり、リヴァプールへとやってきた。若くして中盤の左サイドでレギュラーとなり、それから493試合に出場したスーパーレジェンドである。

15年も所属したリヴァプールを退団した後はサウスエンド・ユナイテッドで選手兼監督となったが、チームが降格したために解任。それからキプロスのチームをいくつか率いた後、イギリスに戻って講演活動や解説者を務めている。

FW:ディーン・ソーンダース

リヴァプール所属:1991〜1992

所属した他の主なクラブ:スウォンジー・シティ、ブライトン、オックスフォード・ユナイテッド、ダービー・カウンティなど

国籍:ウェールズ

現在:指導者

リヴァプールでは1シーズンと少しのみしか所属していないが、記念すべきプレミアリーグ初戦のスタメンとなったディーン・ソーンダース。ウェールズ代表で75試合に出場した名アタッカーで、ダービー・カウンティから加入初年度でクラブ得点王に輝いている。ただこの試合の直後の1992年9月にアストン・ヴィラへと引き抜かれていった。

2001年にブラッドフォード・ユナイテッドで引退した後は指導者に転身。レクサムやドンカスター・ローヴァーズ、ウォルヴァーハンプトンなどを指揮した。

FW:イアン・ラッシュ

リヴァプール所属:1980〜1986、1988〜1996

所属した他の主なクラブ:ユヴェントス、リーズなど

国籍:ウェールズ

現在:解説者

リヴァプールのファンが愛する伝説的なストライカー。クラブの歴史上最多のゴールを決めた選手であり、全公式戦で346得点を記録した。ただ彼にとってこのプレミアリーグ初年度のスタートは非常に厳しいものになり、3月まで3ゴールのみ。しかし最後の2ヶ月で11ゴールを決めて帳尻を合わせている。

2000年にオーストラリアで現役を引退した後は指導者になり、リヴァプールでストライカーコーチを務めた後チェスター・シティで監督に就任した。ただそこで成績を残せなかったこともあり、その後は解説者としてメディアで活躍している。

FW:ポール・スチュワート

リヴァプール所属:1992〜1996

所属した他の主なクラブ:ブラックプール、マンチェスター・シティ、トッテナムなど

国籍:イングランド

トッテナムではポール・ガスコインやギャリー・リネカーらとともに活躍したアタッカー。1992年夏にリヴァプールへやってきたが、アンフィールドでは怪我と不調に悩まされた。結局1992-93シーズンは24試合に出場して1ゴールと成績を残せず、2年目の途中からクリスタル・パレスに貸し出されている。

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2000年にワーキントンというクラブでプレーしたのを最後に引退。2016年には自身が少年時代にサッカーのコーチやスカウトから性的虐待を受けていたことを告白し、「ダメージド」という自伝を出版している。