履正社にセンバツ敗退後に上がっていた心配の声 どん底状態からいかにして大阪桐蔭を倒し、甲子園に出場できたのか
履正社にとって全国制覇を果たした2019年以来となる夏の甲子園は、宿敵・大阪桐蔭を破っての舞台となった。試合後、沸き立つ履正社OBから「歴史が動いた」といった声も聞こえるなか、早くも次へ向けて語る森澤拓海主将の姿が印象的だった。
「甲子園では大阪の代表として、履正社らしい野球を見せたい」
喜びを噛みしめながらも、いつもと変わらぬ落ち着いた口調で語る姿を見て、このチームの目標がここではないことがはっきりと伝わってきた。
大阪大会決勝で大阪桐蔭を下し4年ぶりに甲子園出場を果たした履正社
多田晃監督が昨年からチームを率い、初の甲子園となった今春のセンバツでは、守れず、打線もつながらず、高知に逆転を喫し初戦敗退(2対3)。
必勝を期した春の大阪大会も4回戦で大商大高に敗れ、シード権を逃した。この試合でもバッテリーエラー、二遊間のミス、悪送球など、履正社の戦いの基盤である守りが崩れる"らしくない"内容での敗戦。ライバル校の関係者からも心配の声が漏れた。
「履正社、大丈夫ですか......」
「ちょっとおかしいですね」
それからわずか数カ月でチームを立て直し、甲子園へとやってきた。いったい、春から何が変わったのか。勝ち上がるなかで、多田監督や選手たちが語ったのが春以降の取り組みだ。
春の大阪大会敗戦直後から、朝の始業前に30〜40分、内野手は個人ノックを受け、基本動作を繰り返した。ピッチャーの福田幸之介はノーワインドアップからセットポジションに変更し、コースを狙うのではなく、ストライクゾーンで勝負するように割りきったところ制球が安定した。また、5月後半から7月上旬にかけて強豪校相手の練習試合をこれまで以上に組むことで、とくに打者は好投手への対応力を磨いた。
逆襲の理由を並べると、こんな感じになる。ただ、どこのチームも春の課題に取り組み、夏へ向かうのは同じ。成果を分ける大きなポイントになるのは、どこまで本気でやりきれたか......ここに尽きる。
おそらく、この夏の履正社はやりきったのだろう。春に味わった悔しさが、各選手のスイッチを入れた。「もう負けられない」「最後の夏はやるべきことやって終わろう」と。
大会前に取材した際、張り詰めた空気のなかで聞いた選手たちの言葉、自信に満ちた顔を思い出す。
「初戦が(大阪)桐蔭でもいいです。甲子園に行くためには、大阪で一番にならないといけないので、決勝で当たっても初戦で当たっても変わらないので」(森澤)
「桐蔭との対戦があれば、絶対に先発で投げたい。今なら抑えられるイメージがあります。理想は1対0で勝つことです」(福田)
強がりでも、とりあえず掲げる目標でもない。森澤や福田の言葉からは「やるべきことはやった。あとは戦ってどうなるか」といった潔さのようなものが伝わってきた。
【全国制覇した4年前に似た雰囲気】決勝の大阪桐蔭戦、試合前に行なわれたシートノックの景色も試合結果と重なり、記憶に残っている。先にノックを行なった大阪桐蔭は、コーチの橋本翔太郎が1球ごとに声を飛ばし、時に選手をあおり、大いに盛り上げた。
対して履正社は多田が淡々とノックを打ち、選手たちも一つひとつの動きを確認するように丁寧に捕球。いつもなら大阪桐蔭の勢いや活気が場の空気をつかむところ、この日感じたのは、履正社サイドの自信だった。
では宿敵に勝利し、ここからどんな展開が待っているのか。頭を巡らすと、4年前に日本一に輝いたチームの軌跡が重なってくる。3番に2年生の小深田大地(現・DeNA)、4番に井上広大(現・阪神)が並び、最後は記録的猛打で頂点に立った戦いだ。
あの時のチームもセンバツ大会で星稜の奥川恭伸(現・ヤクルト)に3安打、17三振に抑え込まれ初戦敗退。つづく春の大阪大会も、大商大高の上田大河(現・大商大)に抑え込まれ準々決勝敗退。完全に自信を失った井上は、のちに当時の心境を「大好きだった野球を初めてやめたくなった」と語るほどだった。
そこから当時の岡田龍生監督(現・東洋大姫路監督)は「対応力を上げないと全国では勝てない」と繰り返し、実践的な練習をひたすら繰り返した。打撃練習時から、選手には奥川の球をイメージさせ、低めの変化球の見極めなど、常に課題を与えることで対応力を磨いた。
すると......尻上がりに調子を上げ、甲子園では初戦で1試合5本塁打の大会タイ記録。春の再戦となった星稜との決勝では、奥川から11安打を放ち5得点。春の屈辱から、見事、全国の頂点に立ったのだった。
「悔しさを感じた時が、一番選手が伸びる時」は、甲子園で監督として最多の68勝を挙げた智辯和歌山の元監督である高嶋仁の金言だが、今夏の履正社に大阪桐蔭を上回っていたものがあったとすれば、ここだったのではないだろうか。
分厚い戦力、チームの雰囲気、取り組みに裏打ちされた確固たる自信......。履正社が夏の大阪大会で大阪桐蔭に勝利したのは、じつに24年ぶり(2020年の独自大会は除く)のことだった。そんな履正社に不安なデータがあるので紹介したい。
大阪桐蔭との直接対決で勝利し、大阪の代表として甲子園に出場した高校は、2000年以降で見るとのべ7校ある。01年の上宮太子、03、04年のPL学園、07年の金光大阪、09年のPL学園、11年の東大阪大柏原、15年の大阪偕星。しかし、甲子園ではいずれも2戦以内で敗れ、大会終盤まで勝ち上がったチームはない。
そしてもうひとつ、近年、大阪で本気で甲子園を狙うチームにとって"打倒・大阪桐蔭"は当然の合言葉となっている。それゆえ、大きな目標を達成したあとの充足感が、甲子園の戦いに影響したのではないか......。
大阪大会史上初の決勝再試合で大阪桐蔭を下した04年のPL学園。秋、春につづく三度目の対決で、中田翔(現・巨人)が投打の大黒柱だった大阪桐蔭を決勝で下した07年の金光大阪など、さまざま激闘が思い浮かぶが、悲願を果たしたあとの甲子園で戦うモチベーションと体力がどれほど残っていたのか。その点、今年の履正社は誤解を恐れずに言えば、「大阪桐蔭さえ通過点」のように映る。
もちろん、高校野球は一発勝負の世界。強いチームが必ず勝つとは限らない。それでも「履正社らしい野球を見せたい」と語る主将の思いが実行されれば、些細なジンクスなど気にせず突き進む可能性は大いにある。新生・履正社の物語がここからまた動き出す。