初マラソンで好走も停滞続き「MGCで最低のレースをしてしまった」安藤友香が10000mで東京五輪の舞台に立ったワケ
2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、女子選手たちへのインタビュー。パリ五輪出場のためには、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ・10月15日開催)で勝ち抜かなければならない。選手たちは、そのためにどのような対策をしているのか、またMGCやパリ五輪にかける思いについて聞いていく。
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パリ五輪を目指す、女子マラソン選手たち
〜Road to PARIS〜
第3回・安藤友香(ワコール)前編
安藤友香は勝負をかけた20年名古屋ウィメンズマラソンで2位の好成績を残した
安定感――安藤友香の強さのひとつだ。
安藤自身はそれだけでは「強くない」という。初マラソンで、2時間21分36秒を叩き出し、それ以降のマラソンも継続して結果を出している。ロンドン世界陸上ではマラソン、東京五輪では10000mを走り、世界を経験してきた。自身の集大成にるだろうと言うパリ五輪に向け、MGCで勝つために安藤は安定感を維持しつつ、強さを見せるために今、走りに磨きをかけている。
「ここまで走れちゃった」
初めてのマラソンとなった名古屋ウィメンズマラソン2017を走り終えた後、安藤は思わずビックリしたという。一般参加の出場ながら堂々とした走りで総合2位に入り、女子マラソン日本歴代4位(2017年当時)の記録を出し、一躍、表舞台に踊り出た。
「初マラソンのいいところと言いますか、怖いもの知らずで、もうドンドン行っちゃえみたいに思い切った挑戦が出来たのが大きかったと思います。22分台が目標だったのですが、それを上回り過ぎてしまって、本当に驚きました」
しかし、いきなり好記録が天から降ってきたわけではない。14年にスズキ浜松アスリートクラブに入社後、5000mと10000mで自己ベストを更新し、ハーフで69分台を出して、マラソンに着手した。名古屋を走ると決めてからは、チームメイトの清田真央(現スズキアスリートクラブ)と一緒に練習をした。
「清田選手は、マラソンを経験しているので、彼女がやったことを同じようにできたら2時間23分台で走れるというのは分かっていました。その練習が一緒にできたので、ある程度は走れるんだろうなっていう手応えはありました。でも、絶対に大丈夫とかではなくて、蓋を開けてみないと分からないという怖さがありました」
不安は杞憂に終わり、望外の結果が出た。そのインパクトは大きく、右肩上がりで安藤への注目度は高まり、ロンドン世界陸上のマラソン代表の椅子も得た。しかし、1度、タイムを出してしまったことで周囲の期待が大きく膨らみ、安藤は逆に追い詰められていくことになる。
「結果を出して、いいことばかりというよりもその頃の自分にはマイナスなことが多かったですね。注目してくださるのはすごくありがたいのですが、私の性格のこともあって鼻が伸びてしまうと言いますか、天狗になってしまって‥‥1回走れたことで勘違いしてしまったんです」
【もっと走れるはず。なぜ勝てないのか。】注目された安藤は、初マラソンからわずか5か月後、ロンドンの舞台に立った。
「正直、ロンドンの世陸は来てほしくなかったですね。それくらい練習からよくなくて、本当にこれで走れるのかなって感じでした。結局、自分にプレッシャーをかけて自滅してしまったんです」
2度目のマラソンは、思うような走りができず、17位に終わった。だが、世界を走れたことで得たものは非常に大きかった。
安藤が驚き、勉強になったのは、海外選手のスタート前とレースでの切り替えだった。
「レース前、海外の選手は周囲の選手とお喋りして、すごくリラックスしているんです。でも、走り出したらビシッと切り替えて、すごいパフォーマンスを発揮する。それがすごく優雅というか、いいんですよ。私はレース前、集中みたいな感じでピリピリしていたのですが、海外選手の様子を見て、いかに自分の考え方が凝り固まっていたんだなと思いましたね(苦笑)」
また、日本で経験したことがないようなペースの乱高下を経験した。
「ひどい時は、ジョグペースで、本当ですか?みたいなペースで走ったかと思うと、いきなり(1キロ)3分10秒まで上がったり、本当に細かい上げ下げがありました。海外レースはペースメーカーがつかないので、こういう感じなんだというのを身をもって知りましたね。日本の30キロまでペーサーがついて、そこからよーいドンみたいな、そんなきれいなレースは世界にはなくて、日本は普通じゃないんだ。五輪や世界で戦うには、そういうレースを多く経験して、攻略していかないといけないとすごく感じました」
ロンドンでは多くの経験を得たが、調子はなかなか上向かなかった。
東京五輪に向けての選考もスタートし、安藤は18年1月の大阪国際女子マラソンに出場、総合3位に入り、MGCの出場権を獲得した。
「MGCは取れたんですけど、タイムもレース内容もダメで‥‥。最初のマラソンで2時間21分で走った自分がいるのに、なぜ勝てないんだろう。もっと走れるはずなのに。そんなことばかり考えて、その時の自分を受け入れることができず、こんなの私じゃない、過去の自分がすべてって思っていて‥‥。過去の自分に縛られていたので走っていてまったく楽しくなかったですね」
【3年間、過去の自分に囚われていた】2019年2月、安藤は心機一転ワコールへと移籍した。しかし、燻った気持ちのまま迎えた同年9月のMGCでは、ハーフ手前で先頭集団から離れ、8位に終わった。
「MGCは、チームで福士(加代子)選手、一山(麻緒)選手と一緒に練習ができて自信があったんです。ただ、いくら練習ができても最終的には自分に勝つ、強い選手が五輪の切符を掴むんですが、私は暑さやペースから逃げてしまって最低のレースをしてしまいました」
MGCでは、2枠が決まり、残すは1枠。MGCファイナルは大阪国際女子マラソンで松田瑞生が優勝して王手を掛け、安藤は2020名古屋ウィメンズで勝負を賭けることになった。
しかし、MGC以降、練習ができず、とても戦えるような状態ではなかった。
「ヒドかったですね。もう目をつぶりたいぐらいでの出来で、一山選手が100%できていたとしたら私は30%ぐらいでした」
レース前日、安藤の状態を考えて永山監督(忠幸・現資生堂)は第1グループで行って潰れるより第2グループで後半、落ちてくる選手を拾って順位を上げていくプランを述べた。
しかし、安藤は納得できなかった。
「普通に考えたら監督の言う選択になるんだろうなと思いました。でも、せっかくマラソンを走るのに後悔はしたくない。先頭集団で勝負したいという気持ちが強かったので、レース前日のミーティングで監督に『第1グループで行きたい』と言いました」
その時、永山監督は何言っているんだと困惑の表情を浮かべた。それでも安藤は断固として譲らず、「行きます」と宣言した。その覚悟を感じたのか、永山監督が折れ、「最後までやれよ」と安藤に伝えた。
「それで腹が決まりましたね。どこかでちょっと逃げたい自分、怖い自分もいたんですけど、みんなの前で言ったことで吹っ切れました。スタートラインに立った時は、練習出来ていないことは全然考えなくて、もうやり切らんといかん。先頭集団についていく。その気持ちでだけで走りました」
レースは、一山に次いで2位、2時間22分41秒でゴールに戻ってきた。周囲は安藤の快走に驚き、「まさか2番で来るとは」と驚いていたという。
「レース後は清々しい気持になりました。やりきったレースってこんな気持ちになるんだって初めて実感しました。正直、最初のレースからこのレースまでの間の3年間は、過去の自分に縛られていて、苦しかったです。これ以上、伸びないんじゃないかって陸上をやめようかなと考えたこともありました。でも、この時は、やっと過去の自分から卒業できた。一山選手にも心からおめでとうと言えたんです。自分にとっては非常に大きなレースになりました」
【自国開催へ苦手なトラックに挑戦】苦しんだ3年を乗り越えて、安藤は新たな挑戦を選択した。東京五輪はコロナの影響で1年延期になり、その結果、トラック競技で東京五輪に出場できる可能性が出てきたのだ。
「まさかって感じでしたね。1年延期になり、トラックで出られる可能性が出てきた。最初は、それでも強い選手がたくさんいますし、トラックに苦手意識があったのでそういう中で戦っていけるのかという不安がありました」
安藤は、中学高校では1500mや3000mをメインで走っていたが、実業団では駅伝やロードを走っている方が楽しかった。トラック競技には苦手意識を抱き、世界と戦うにはトラックではなく、マラソンだと考えていた。好きか嫌いかで言えば「嫌い」のトラックに、あえて挑戦するには大きな理由があった。
「東京五輪、自国開催の五輪で出られる可能性が0.1%でもあれば、挑戦したいと思いましたし、後悔したくなかったんです。何もやらないであとであーだこーだ言うのは違う。監督には『トラックよりもロード向きだから、次の世界陸上を目指していこう』と言われました。(20年12月の)日本選手権の10000mの結果でいけそうな走りが見えたら考えようということになりました」
2021年5月、日本選手権の女子10000m、安藤は31分18秒18で駆け抜け、念願の東京五輪への切符を得た。
だが、東京五輪の舞台は、ロンドン世界陸上よりもさらに厳しいものになった。