若い男性を中心に「精子凍結」に関心を持つ人が増えています。そこに見えてくる誤解とは?(写真:黒田インターナショナルメディカルリプロダクション)

若い男性に、「不妊治療」に関心を持つ人が増えている。

東京都では2024年度から体外受精や顕微授精の補助だけではなく、未婚女性が将来の妊娠・出産の可能性を残せるよう、卵子凍結に対しても補助金を給付することになった。そんな中、人気YouTuberはじめしゃちょーさんの動画によって精子凍結が話題になった。

はじめしゃちょーさんは「結婚が遅くなって子どもが欲しいなって思った時に、俺の精子がかなり損傷してたり数が少なくなって子どもができにくくなっていたら、『自分の子どもの顔が見れないのか』と最近真剣に悩みまして。まだ比較的若い方ではあるので元気な精子を凍結させておけば、それを使えるんじゃないかと思いまして」と語り、精子の凍結保存を行ったことを公表したのだ。

『本当は怖い不妊治療』の監修者、産婦人科医であり「臨床精子学」の第一人者でもある黒田インターナショナルメディカルリプロダクション 院長 黒田優佳子医師に訊いてみた。

凍結に向く精子、向かない精子がある

「(はじめしゃちょーさんの動画が公開された直後から)電話が鳴りやみませんでした。動画を見た若い男性の方々がお電話を一斉にかけてくださったようです。子どもを持ちたいと思った時に、凍結保存しておいた精子を用いて不妊治療をすれば『すぐ妊娠できるだろう』と考えてしまう方が多いのかもしれません。

でも実際には、精子にも色々なタイプがあり、『凍結に向いている精子』と『向いていない精子』があります。不向きな精子を凍結保存してもその意義は失われてしまいます」(黒田医師)

「若いうちに精子凍結しておけば安心」というのも誤解があるようだ。

「多くの方が、卵子の老化と同様に『精子も加齢とともに老化する』と思っておられますが、本当のところは、精子が老化する原因は『新生突然変異』という、父親から受け継いた遺伝子ではなく、突発的に発生した不運な遺伝子の異常、つまり『遺伝子の突然変異』です。すなわち先天異常ですから、加齢に伴って精子の老化が進行するという単純な話ではないのです」(黒田医師)

そもそも「精子凍結保存」の歴史を紐解くと、本来、家畜繁殖業界において精子の備蓄を目的としてマイナス196℃の液体窒素タンク内に保存するために開発された技術だという。1950年代、グリセリンを保護剤とした凍結保存精子が人工授精に用いられるようになったことから始まっている。

ヒト精子の凍結保存は1953年に始まり、1958年に日本でも凍結保存精子による非配偶者間における人工授精(AID)によって子どもが誕生している。当初は、ヒトへの臨床応用はAIDにおける精子備蓄に限られていたのだが、現在では適応が広がり、不妊治療の一環として精子を凍結保存するケースがほとんどになっている。

一方で、未婚男性も含めて癌が見つかり、手術や放射線、化学療法をする際に、これらの治療により精巣における精子形成機能(造精機能)が強く傷害される可能性があることから、治療前に精子の凍結保存をする手段が取られるケースも少なくない。

一見良好に見える運動精子が、隠れた異常をもつことも

「一般的に『運動精子ならば良好精子であり、異常なし』といったイメージで語られていますので、『運動精子を凍結保存すれば大丈夫』という考え方が定着しています。しかし実際のところは、見た目には問題がない良好な運動精子であっても、写真のように精子の中の見えない部分に空胞(穴)が認められる『隠れた異常をもつ精子』も多々含まれています。つまり、『元気に泳いでいるという指標だけでは判断できない』ということです」(黒田医師)


一見良好に見える運動精子でも、精子の中の見えない部分に 空胞(穴)が認められる隠れた異常をもつ精子もたくさんある(写真:黒田インターナショナルメディカルリプロダクション)

つまり、『隠れた異常のない運動精子であること』、なおかつ『凍結に向いている精子であること』が確認できたうえで保存しなければあまり意味がないということだ。黒田医師は、若い層がとくに「運動精子を凍結保存しておけば大丈夫」と思い込んでいる傾向が強いと警鐘を鳴らす。

一般的に細胞を凍結する際、細胞内に氷の結晶ができてしまうと細胞は壊れてしまう。例えば水を凍らせる場合でも、中に結晶を作らずにひび割れもさせないためには高度な技術が必要だ。

同様に精子を凍結させる際にも、細胞保護剤を用いて精子を壊さないよう脱水、氷晶形成を抑制させる技術が必須だという。同時に、蘇生率を向上させるために、精子細胞表面を被覆して細胞膜の障害を防ぐ配慮も極めて重要だと力説する。

細胞質が極めて乏しい特殊構造をしている精子は、細胞膜の直下にDNAが局在しているため、細胞膜損傷がDNA損傷に直結してしまうのだ。そのため、精子を凍結保存する際には、事前に保存に向いている「細胞膜が強いタイプの精子なのかどうか」を見極めるため、精密検査をすることが大前提になるという。

以下の写真を見比べていただきたい。

下左の青く染まる精子は、頭部細胞膜に傷がない運動精子で、このタイプは凍結保存に向いているとのこと。しかし不妊治療に使用する際には凍結した精子を融解する必要があるので「最終的にどの程度生き返るのか」を再評価しなければならないという。

一方で右下の赤く染まる精子は頭部細胞膜にすでに傷がある運動精子で、健康な命の誕生に繋がる可能性は低く、凍結保存には向いていないという。



精子頭部の細胞膜損傷の有無を検知する高精度検査による写真(凍結保存における精子耐凍能力検査)。(上)頭部細胞膜に傷がない精子は青く染まる (下)頭部細胞膜に傷がある精子は赤く染まる(写真:黒田インターナショナルメディカルリプロダクション)

慎重に情報収集してから判断、行動を

隠れた異常のない運動精子を選別したうえで、凍結に向いている精子であることを事前チェックできて、さらにその機能を損なうことがないように凍結して融解できることが必要不可欠になるのだ。

「精子を凍結する時と融解する時では、最適な温度の変化率が違います。そのため、精子融解技術においても、凍結と同様に細胞膜障害を配慮する必要があります。

通常の医療は具合の悪いところを治すことを目的としていますが、生殖医療の目的は健康な命を誕生させることです。そのためにも、精子と卵子の遺伝子がそれぞれ安全に保証されていることが前提になりますので、精子の品質、妊孕性(にんようせい:妊娠するために必要な能力)を損なうことなく凍結融解できる『高精度な技術を提供できること』が不可欠です」(黒田医師)


(写真:黒田インターナショナルメディカルリプロダクション)

こうした前提のうえでなければ、時間と費用が無駄になってしまいかねないことを知っておいた方がよいだろう。

精子凍結の費用は、5000円から数万円のところが多いが、10万円くらいかかる医療機関もある。ただし今回解説した高精度な精子凍結・融解技術を持っている施設は極めて少ないという。

また保存期間は施設によって異なり、世界保健機関(WHO)や日本産科婦人科学会で明確な基準を設けているわけではない。多くの施設では1年間に限定しているが、毎年保管料を支払い、更新手続きをすれば期間延長が可能になる。保管料は年間5万円くらいが相場のようだ。

黒田医師は、「どんなに高度な技術であっても限界があるということを謙虚に受け止めながら、健康な命に繋がる安全な生殖補助医療技術の確立と提供に努めたい」と語った。

命に関わる重要なことであるだけに、慎重に情報収集してから判断、行動してほしいと思う。

(草薙 厚子 : ジャーナリスト・ノンフィクション作家)