子ども・子育ての支援金制度は年末に向けて結論を出すことが決まった。提唱者である権丈教授が同制度に対する疑問と批判に答えた(撮影:今井康一)

岸田文雄政権は6月13日に閣議決定した「こども未来戦略方針」で、子ども・子育て支援策のために社会保険制度の賦課・徴収ルートを活用した「支援金制度」を構築し、その詳細について年末に結論を出すこととした。

こども未来戦略会議の構成員で、既存の社会保険制度を活用する方法を発案したのが慶応大学の権丈善一教授だ。この案に対しては「社会保険の流用」「逆進性がある」「賃金引き上げ機運に水を差す」「五公五民」などの批判が出ている。

そこで上中下3回に分けて、権丈教授になぜ賃金比例・労使折半の社会保険で子育てを支える案を主張してきたのか、その理由と考え方について順を追って解説するべく、緊急寄稿してもらった。

【中編】「子育て世代に負担を課すと少子化が進む」は誤解(8月1日配信)

【下編】「子育て支援」事業主負担で賃上げ機運は萎むのか(8月4日配信予定)

日本の介護も以前は家族依存型だった

今、あなたの家族に介護を必要とする人がいるとする。その人の介護を、家族で行う社会、いや、市場で介護サービスを購入する社会、いやいや、介護サービスは公共サービスとして提供されている社会があるとする。あなたは、どの社会がよいと思うだろうか?

次の図は、一国のある時代に存在する介護をはじめとした福祉ニーズをWとして、家族、市場、政府が生産する福祉サービスをそれぞれ、WF、WM、WGとして描いたものである。これまで福祉国家の3類型と呼んできたが、左は家族依存型、中央が市場依存型、そして右は政府依存型の福祉国家の型である(図中のFはFamily、MはMarket、GはGovernmentの略)。

W=WF+WM+WGであって、風船のようにどこかを押さえた(抑制した)としてもほかのどこかが膨らむだけである。一国の福祉ニーズという全体が減るわけではないからだ。


日本では、2000年に公的介護保険制度が創設されて、介護に関しては家族依存型から政府依存型へと近づいた。あれから23年、あの変化を望ましい変化であったと思っている人は圧倒的に多いのではないだろうか。もし介護保険がなかったら……。50代、60代という親を扶養するわれわれ世代からみても、介護保険が存在しない社会など、今やありえない話である。

子ども・子育てに関してはどうであろうか。「日本のように、家族依存型の福祉国家の国々――東アジア諸国、南欧――が、急激な少子化に苦しんでいるという特徴もあり、こうした福祉国家の型は(少子化に)強く影響している」。これは2007年に私が書いていた文章である。今、この国で議論されていることは、子ども・子育ての世界を、かつての介護のように社会化(政府依存型)していこうということである。その際のキーワードは、消費の平準化となる。

消費の平準化とは何か?

医療費の50%以上、介護給付費の96%は70歳以降で使い、年金給付費の83%ほどは老齢年金である。医療、介護、年金保険はこれら高齢期に集中する生活費を若いときから負担しておいて、将来になったらそれを使うという形で支出を平準化していることになる。これが消費の平準化(consumption smoothing)であり、社会保障という所得再分配制度が担う主な役割である。

社会保障というと、一部の人は「自分とは関係のない、困っている人へのほどこし」というイメージを持つようだが、社会保障給付費の約9割は社会保険であり、この社会保険の機能は所得再分配によって、われわれの消費を平準化することである(生活保護など公的扶助は社会保障給付費の3%程度)。

社会保険制度が行っている所得再分配は、次の3つである。

1. 今必要でない人から今必要とする人への「保険的再分配」
2. 必要でないときから今必要なときへの「時間的再分配」
3. 所得の高い人からそうでない人への「垂直的再分配」

これらの所得再分配により、消費が「必要な人・とき」へシフト(平準化)し、中間層の生活を守っている。すなわち、防貧機能を果たしているわけである。ピケティの言葉を借りれば、「現代の所得再分配は、金持ちから貧乏人への所得移転を行うのではない。(中略)それはむしろ、おおむね万人にとって平等な公共サービスや代替所得、特に保健医療や教育、年金などの分野の支出を賄うということなのだ」ということになる。

なぜ、そうした再分配政策が必要となるのか。その理由は、われわれが生きていくうえで必ず直面する「支出の膨張」と「収入の途絶」には、賃金システムでの対応は難しい――というのも、賃金システムは、個々の家計の必要性というよりも市場における生産活動への貢献度に基づいて市場が所得を分配する仕組みだからである。


上図は、19 世紀末から20 世紀初頭にかけての大英帝国で「貧困の発見」と呼ばれた時代を作るきっかけの1つとなった貧困調査の結果である。賃金労働者の場合、貧困、すなわち貧困線以下に陥るのはライフサイクルをもって訪れる。子どもの誕生から養育期、そして労働市場から退出した高齢期は貧困線の下に落ちていくことがわかる。

この貧困のライフサイクルの発見は、それまでもうすうす感じられていた賃金システムの欠陥、市場による分配のあり方の欠陥、歪みを強く認識させることになっていった。

人間が生きていくうえでは、どうしても、子育て期や病気のときに支出の膨張(養育費・教育費や医療費)が起こる。また、養育期をはじめ、病気になったり年をとったりして働けず、収入の途絶が起こることにもなる。

先ほどの図は、貧困線の下に構造的に陥るのが、子どものとき、子どもを育てているとき、そして高齢期に入ったときであることを示している。

こうした、支出の膨張や収入の途絶には、賃金システムは、対応していない。いやできないのである。民間保険や個人の貯蓄努力で対応すべきとの声もあるかもしれないが、人間は自分の高齢期という遠い先のことを考えて、後に後悔することのない合理的な行動をすることをどうにも苦手としているようなのである。

そこで、多くの国々は、高齢期の支出の膨張や収入の途絶に対応する公的医療保険制度や公的年金保険制度を整備していった。これらは、ライフサイクルにおける困ったときや必要なときのために消費を平準化させる社会保険による所得再分配である。

と同時に、社会保険は貧困に陥るのを未然に防ぐ「防貧制度」として機能し、高齢貧困者を大量に生まない社会の構築に寄与した。

このようにして、「市場による貢献原則に基づく所得の分配を、必要原則に基づいて修正する社会保障(=再分配制度)」が誕生、普及、定着していった。

しかしそうすると、新たな問題が生まれていった。

ミュルダール夫妻が指摘した「人口問題の危機」

1934年にスウェーデンのミュルダール夫妻は、『人口問題の危機』を出版して、高齢期の生活を社会化していくと少子化が進むことを予測している。このあたりは、「第1回こども未来戦略会議」で私は次のように話している。

医療、介護、年金保険のような高齢期の生活費を社会化していくと、普通に考えれば少子化が進みます。少子化を問題視するのであれば解決策は2つしかなく、1つは、高齢期向けの社会保障をなくしていくこと。いま1つは、出産と育児に関する消費を、例えば介護のように社会化していくことになります。

1934年に、スウェーデンのミュルダール夫妻という有名な夫妻がいたわけですけれども、同様に考えて、家族が合理的に行動した場合の親の個人的利益と国民の集団的利益の間にコンフリクトが生じるとみなして、少子化の予防策としてすべての子どもを対象とする普遍的福祉政策を唱えました。今、この場の会議も同じ課題を議論しているのだと理解しております。

この点、まず、子どもを持つことの便益を考えてみる。かつては、子どもは労働力であったし、勢力を顕示する際の手段でもあり、年老いた親を扶養する役割もはたしていた。これを経済学の用語で説明すると、子どもは、昔は、親にとっては投資財であったわけである。そしてもちろん、子どもは可愛いという消費財の側面もある。

しかしここで、産業構造が農業や手工業の時代から変わり、親の職業を子どもが継がない時代になっていき、そこに、年金保険、医療保険、介護保険のような、高齢期の生活費を社会化する制度が整備されるとする。すると、親からみれば、子どもが将来に向けての投資財である側面が弱くなっていく。つまり、子どもへの需要が減っていく。

一方で、子どもを持つことの費用は、養育費や教育費としてかかる直接な費用のほかに、経済学でいう機会費用、つまり育児のために女性が休業期間中に失った所得や、継続就業していたのであれば得られたであろう賃金と再就業後に得られる賃金とのギャップが、子どもを持つことの費用として意識されることになっていく。

そして女性の高学歴化が進み、産業構造がサービス産業などへとソフト化していくと生産に対する女性の貢献も高まるため、これら子どもを持つことの機会費用は高くなっていく。

つまり、医療保険、年金保険のような高齢期の生活費を社会化した制度の存在そのものがこどもへの需要曲線(限界便益)を下方にシフトさせ、加えて、女性の高学歴化や経済のソフト化などは子育てへの機会費用を高め、供給曲線(限界費用)を上方に引き上げる。


その結果、少子化が進むわけだが、高齢期の生活を家族依存型に戻して需要曲線をかつての位置に戻す選択肢は、高齢者の貧困問題を深刻にすることになるためにありえない。

そうなれば、ミュルダール夫妻が「消費の社会化」と呼んだ、こどもに関する費用を個々の家計から国家予算へ移行することにより、供給曲線を下方にシフトさせる選択肢しかない。そしてその政策を、彼らは予防的社会政策と呼んだ。

つまり、諸々の困難が顕在化する前に普遍主義的社会政策を実行する。これしか、民主的国家において出生率低下に歯止めを掛けうる手段はないと。そしてこの観点から行う政策は、別に、低所得者対策でもないのであるから、所得制限もない。

子どもを持つことの供給曲線が高いところに位置する今は、女性にとって結婚は魅力が薄いライフイベントとなっている。2004年には書いていたことだが、供給曲線を下方にシフトさせる政策は、結婚や子育て、ひいては男性の魅力のかさ上げになる。

賃金システムの欠陥を補うための社会保険の活用

私が考えてきたのは、家計における子ども・子育て期の支出の膨張と収入の途絶に対応することが難しい賃金システムの欠陥を補うための所得の再分配制度は、賃金比例、労使折半を創った19世紀後半のビスマルク以来引き継がれてきた社会保険の賦課・徴収方法を活用してはどうかということである。

それは同時に、少子化の大元での原因である、医療、介護、年金保険という主に高齢期向けの社会保険の加入者が、みんなで連帯して子ども・子育てを支えるという意味も持つ。

この賃金比例、労使折半という社会保険の財源調達方法は、使用者からみれば労働者をして「自助の強制」を図る仕組みのようにも見え、労働者から見れば使用者の協力を得て自分の支援が倍額になる。例えば、ワンコインの支援がツーコインの支援になる仕組みのようにも見える。

もちろん、(中編で後述するが)ほとんど賃金比例であるために、その限りでは公平な仕組みである。

加えて、今の日本の介護保険制度と後期高齢者医療制度には、保険料の特別徴収制度があり、この制度により高齢者は年金給付から保険料を天引きされる仕組みになっている。そのため、これら社会保険制度の活用は、長く政府の文書に書かれてきた「子ども・子育て支援の充実を支える安定的な財源について、企業を含め社会全体で連帯し、公平な立場で、広く負担し、支える仕組み」の選択肢となりうるものである。

もちろん、今回の「こども未来戦略会議」でまとめられたように、その財源構成は、国税と地方税からなる「公費」と「賦課対象者の広さを考慮した社会保険の賦課・徴収ルートの活用」のミックスにならざるをえないだろう。

部分的とは言え、「社会保険の賦課・徴収ルートの活用」によって消費の平準化を図る方法では、財政健全化目標を含め、数多くある莫大なほかの財政需要に先んじて安定財源を確保することができる。以前から、この国の財源調達論議を眺めていると、そうした財源の先取り戦略が、歳出削減圧力などから国民の生活を守るためにも必要であるように思えていた。

そして可能な限り、一般的な税収や歳出見直しなどで見込まれるほかの財源は、ほかの財政需要に譲る。例えば、第4回こども未来戦略会議では、今後、後期高齢者医療制度の給付が人口構成の影響を受けて増えることが見込まれているために、その財源に関しては、公的な医療、介護、年金保険など高齢期の生活費を社会化した制度のおかげで使われずに済んで残された資産を含む相続財産に対する社会保障目的相続税などを私は提案していた。

なお、2022年末にまとめられた「全世代型社会保障構築会議」の報告書には、「社会保障の意義を再認識すべきである。すなわち、市場による働きによって生じた所得分配の歪みに対して、社会保障は、より必要な人たちにより多くの所得を再分配する機能を発揮すること…」とある。

今回のこども未来戦略会議は、市場による所得分配の歪みを正す社会保障、所得再分配の意義を再認識できる方向へ向かう第一歩であったように思える。

【中編】「子育て世代に負担を課すと少子化が進む」は誤解(8月1日配信予定)

【下編】「子育て支援」事業主負担で賃上げ機運は萎むのか(8月4日配信予定)

(権丈 善一 : 慶應義塾大学商学部教授)