年齢を重ねるごとに、子どもや孫といった若い世代につい口を出したくなって、それがきっかけでケンカに発展することも。果たして、どうしたら年齢の違う相手と和やかに過ごすことができるのでしょうか。

60代からの人生を「自分史上最高」にする

『夫のトリセツ』や『妻のトリセツ』など、数多くの家族関係を脳科学で分析してきた黒川伊保子さんが上梓した『60歳のトリセツ』(扶桑社刊)では、60代以降の人生を「自分史上最高の人生」にするための秘訣を紹介しています。

ここでは、同書の記事を抜粋し、60代以降の人生において、年代の違う相手と仲よくするうえでの3つの秘訣をお届けします。

●秘訣1:若い脳に敬意を抱こう

56歳からの脳は、脳の性能が上がりすぎて、若い人が愚かに見えてしまうことがある。周囲が「気が利かなくて、ぐずぐずする」「ことの是非がわからない」ように見えてくるのだ。だけど、若い脳を、そう断じてしまうのは、絶対にフェアじゃない。

私たちには、この世の森羅万象の中から、自分の脳が選び取った正解だけが見える。深い確信をもって降りてくるその答えは、「自分が生きてきた環境における、今現在」ではたしかに不動の真理、究極の正解かもしれない。

でもね、30代の脳は、30年後の真理と正解のために、今、着々と修行しているのである。彼らの脳が手にするのは、30年後の世界の正解であって、私たちのそれとはまた違う。1歳の孫に至っては2082年の真理と正解に向かっているのだ…!

自分の脳に降りてきた正解を、迷う若者にプレゼントするのはいいが、そのプレゼントを使うかどうかは、彼らの脳が決めることだ。

●秘訣2:脳の中の「○○すべき」を呑み込もう

60過ぎたら、脳に浮かぶ、あらゆる「○○すべき」を、呑み込むべきだ。「勉強すべき」「一度やると決めたことは、やり抜くべき」「結婚すべき」「子どもを持つべき」「勤勉であるべき」などなど。

ちなみに、「一度やると決めたことは、やり抜くべき」は、日本人の親や祖父母が、子どもによく言うことだけど、これ、じつは、脳科学的には一部NGである。スポーツや芸術の習い事については、子どもたちは、自分の才能に出合うために、いろんなことに挑戦してほしい。

12歳までに出合うことが重要なので、どうしても時間がたりない。なので、「どうにも気持ちよくない」と思ったことは、止めていいのである。

ただし、学校の勉強は、いやでも続けたほうがいい。数学なんて、役に立つの? と思うだろうけど、これは、「認識回路のバリエーション」をつくっている。微分積分なんて学校を出たら、多くの人は一生使わないが、これらをちゃんと理解すると、脳の中に、情報を整理するための秀逸な枠組みをつくってくれる。

ものごとの「エッジライン」だけを見る演算=微分と、ものごとの「存在感」をつかむ演算=積分。意識しなくても、脳の中に変化が起こっている。世界の国々で、長らく子どもたちの育ちに必要不可欠だと思われてきた教科は、やっぱり大事なのである。

●秘訣3:60代は、誰でもコンサルタント。人の相談に積極的に乗ろう

私は、63歳以上のさまざまな人たちが、自分の得意領域を語るサロンがあったらいいのにな、と思う。

営業職で生きてきた人は営業の極意を、編み物が得意な人は編み物の極意を語るのである。仕事とか家事とか趣味とかにジャンル分けせずに、男女の垣根もなく。きっと、どの話にも、その道の本質が見え、人生の神髄が見え、この世の真理が見えてくるはずだ。そして、若い人の相談に、皆で乗るのである。営業の達人も、編み物の達人も、一緒に恋の相談に乗ったりしてね。楽しそうじゃない? 

孔子は、五十にして天命を知る、六十に耳順(したが)う、と言った。

耳順う、とは、人の言うことに耳を傾けることができる、という意味合いだそうだが、さもありなん。六十を過ぎると、目の前の若者がなにかわけのわからないことをまくし立てても、その若者の本質をがつんと腹でつかんでやれるから、そのことばの真実を聞いてやれるのだろう。

これは、孔子だけに起こることじゃない。

56歳になれば、だれもがなにかの達人になって、とっさの勘が働くようになる。その土俵で、人生を語れるようになるのである。

そして、63歳にもなれば、自分とはまったく別の道を行く若者にも、一筋の光になる
答えをあげられる。