ヤクルト奥川恭伸は「この1年間はつらいことばかりでした」 戸田球場に生きる悲哀と苦悩、そして希望
埼玉・戸田球場のバックネット裏のスタンドからは、ヤクルトの二軍選手が練習するメイン球場、サブグラウンド、陸上競技場が一望できる。そこにはルーキー、育成中の若手、中堅、ベテラン、リバビリ中の選手などが、それぞれの立ち位置は異なるが、一軍の舞台を目指して汗を流している。
一軍復帰に向け、順調な回復ぶりを見せているヤクルト・奥川恭伸
昨年5月28日、陸上競技場で近藤弘樹が奥川恭伸とリハビリメニューをこなしていた。
「今日は(近隣の公園から)バーベキューのいい匂いがするだろうな」
近藤は空を見上げると奥川に話しかけた。楽天から移籍後、右肩の肉離れで長いリハビリ生活を余儀なくされた近藤だったが、この日は久しぶりにキャッチボールをすることになっていた。キャッチボールをしながら、「まだ自分の肩じゃないみたい」とトレーナーに発した言葉が強く印象に残っている。
あれから約1年。今はチーム練習に合流し、3月にはブルペンにも入ることができた。
「あのキャッチボールは、そもそも投げ方の感覚がないというのが正直なところでした。今は段階を踏みながら、ブルペンに入ったり、肩を休めたり。オーバーワークにならないように焦らず、でもゆっくりやりすぎないようにやっています」
近藤は今季から育成契約となったが、一軍への思いについて「2年ほど試合で投げていないので」と言って、こう続けた。
「現状では試合復帰を目指しているところです。ヤス(奥川)とか(原)樹理さんが徐々に復帰していくのはうらやましいですけど、一緒にリハビリを頑張ってきたので素直に応援できるところです」
奥川は、昨年は右ヒジ痛の影響で1試合だけの登板に終わった。その後は戸田でリハビリに励み、今年4月18日のファームでのロッテ戦で385日ぶりの実戦マウンドに立った。
「この1年間は本当に楽しい時がなく、つらいことばかりでした」
そう語る奥川の支えになったのが、同じく戸田でリハビリに励む選手たちだった。
「ケガで投げられないストレスというのは、なった人にしかわからないものだと思うので。そうでない方から助言をいただいても、どうしても聞く耳を持てるような気持ちじゃなかったというか......。そういう精神的状況でストレスを抱えている時に、樹理さんには食事に誘ってもらったり、近藤さんや大下(佑馬)さんは練習中にすごく声をかけてくださったり、(だから)こうやって明るくなれたのかなと思います」
一軍については「徐々にですけど、いい兆しが見えています」と、はっきりと口にした。
「(一軍は)もともといた場所ですし、早くケガを治して戻りたい。そして戸田にケガで来る選手は、絶対にポジティブな気持ちではないと思うので、樹理さんや近藤さん、大下さんがしてくれたように、僕もできればという思いはあります。そのためにはリハビリから卒業しないといけないので、まずはそこを目指してしっかりやっていきたいです」
5月6日の日本ハム戦は、3度目の実戦登板となった。予定の50球をきっちり投げきり、真っすぐは最速152キロを計測した。
「次はより実戦に近づけたピッチングをしたいです」と明るい表情を見せた。
奥川を支えていた原と大下も、登板数、球数を重ねており、一軍復帰に向けて順調に歩んでいる。そして春季キャンプ中に左ヒジ痛で離脱した2年目の山下輝もキャッチボールを再開させた。
【戸田で汗を流す中堅選手たち】バックネット裏スタンドの真下では、支配下登録を目指して松井聖が気持ちの入ったティー打撃を行なっていた。松井は中部大を中退すると、独立リーグ2球団に所属後、育成ドラフトでヤクルト入り。今年は一軍キャンプにも初めて参加。オープン戦途中まで一軍にくらいついた。
「育成3年目という自分自身の焦りもあって、結果が出ずにファームに落ちてきたのですが、その時はまだ終わりじゃないんだという気持ちでした」
松井はそう言うと、チームメイトである奥村展征の名前を出した。
「奥村は僕と同じ今年28歳ですけど、どんな状況でもあれだけの声を出している。その姿を見て、ネガティブになるのだけはやめようと。結果が出ずにへこむこともありますが、戸田ではいろいろな選手がそれぞれの思いで一軍を目指しているので、チームの雰囲気を悪くすることだけはしたくない。支配下登録されるのは一軍に呼ばれる時だと思っているので、いつでも上に呼ばれる準備はしておこうと、捕手だけでなく外野でも対応できるようにやっています」
そして後日、一軍に昇格した奥村に松井の言葉を伝えると、「僕がそういうふうになったのは、ここ数年だと思うんです」と言った。
「今年で10年目になりますが、若い頃は二軍に落ちると、もう一生が終わるんじゃないかというくらい落ち込んでいました。今はいろんなことを経験して、次のステップに進めました。次のステップというのは、また昇格できるかわからないけど、その可能性を信じてファームでアピールを続けるということです。いま(松井)聖が感じていることは、僕の言うワンステップ目だと思うので、それを乗り越えたら、次の感じ方になると思っています」
奥村はここまでのキャリアを「一軍と二軍を行ったり来たりしていますね」と言った。今年は開幕一軍でスタートしたが、4月6日に登録抹消され、4月30日に一軍再昇格。初めて一軍の世界を知ったのはプロ3年目のことで、一軍へ上がる時の思いは毎年変わっているという。
「最初に一軍を経験した時は、本当に周りが見えていない感じでチームに突っ込んでいった状態でした(笑)。4年目から6年目は、なんとか個人の成績を残さないといけないという気持ちが強かったことを覚えています。7年目にヒザの大ケガをして1年間ファームだったのですが、簡単には(一軍に)戻れないという不安が強かったですね」
大ケガを乗り越え、8年目は開幕一軍スタートをつかみとった。
「ただ、1カ月くらいで二軍に落ちてしまったんです。その時に、一軍で戦力になるために何をすればいいのかを考えるようになりました。ベンチでの声もそうですし、守備ではセカンド、ショート、サードをしっかり守ることができれば、一軍にくらいついていけるんじゃないかと。そのことに気づくのが遅かったのかどうかはわからないですけど、若い選手には早く感じてもらいたい。一軍でプレーして、活躍することが目指すべきところなので、それを信じて、自分が何をすべきかを考えることが大事だと思います」
ヤクルト二軍の本拠地・戸田球場
奥村と同じくプロ10年目を迎える西浦直亨は、二軍キャンプからスタートした。ここ数年はケガもあって苦しいシーズンが続き、3月8日の春季教育リーグの試合で死球を受けて1カ月の離脱もあった。
「あの死球はやっと実戦が始まった頃で『あー、またこんな感じなのか』というのはありました。ただ、苦しい感覚でやってしまうと本当にしんどいので、自分としては一軍だろうが二軍だろうが、とにかく試合に出た時は結果を残せるように取り組んでいくだけです」
4月18日にファームで実戦復帰すると、第1打席で右中間に二塁打。その後も好調を続け、5月16日現在、打率.326、1本塁打の成績を残している。
「一軍への思いは......これは自分が決められることではないので、まずは二軍でしっかり結果を出していくしかありません。体も元気ですし、それを続けていくだけです」
【戸田でしかできないこと】プロ野球は競争の世界で、今日戸田にいた選手が翌日神宮にいることもあれば、昨日神宮であいさつした選手に翌日戸田で会うことも珍しいことではない。
中継ぎ左腕の久保拓眞は開幕一軍を果たすも、4月7日に登録抹消となった。
「上では2試合投げたのですが、左打者にヒットを2本打たれて、デッドボールもありました。左打者を抑えるのが僕の仕事なので、去年と同じように左打者に自信を持ってシュートを投げられるように練習しています。2試合ともランナーを残した状況でマウンドを降りて、木澤(尚文)と大西(広樹)には迷惑をかけたので、次に一軍に上がった時はしっかりうしろにつなぐピッチングをしたいと思っています」
話を聞いたのは4月28日のことで、その2日後に久保は一軍昇格を果たしたが、5月6日に再び二軍降格となった。
「昨日の今日なので悔しいですけど、左打者を抑えられなかったのが現実で、去年と同じではダメだと実感しました。シュートに加えて、もうひとつ武器が必要だなと。それが新しい球種なのか、それともコントロールなのかをここで見つけるためにまた練習します」
サブグラウンドや陸上競技場では、小野寺力二軍投手コーチが選手と対話しながらキャッチボールをする姿をよく見かける。ある日のこと、ファームで調整していた高梨裕稔が小野寺コーチと育成の沼田翔平のキャッチボールを眺めていた。
後日、高梨にその日のことを聞くと「僕も沼田と同じように下半身の使い方に課題があって、あらためてそのことに気づける時間になりました」と教えてくれた。
「沼田が投げるのを見て、鏡を見ているわけじゃないですけど、『自分もこうやって投げているのか』と。自分の気づきにもなることがあるので、戸田ではほかのピッチャーの練習をよく見るようにしています」
この光景は偶然ではなく、小野寺コーチが「ああなっているんだよ」と、高梨に見るように勧めたのだという。
「一軍は試合が続くので、なかなかあのような時間をつくるのは難しいですからね。二軍は初心に返ってじゃないですが、バランスよく投げることや、課題があったらそれを解消するようにしてあげたいと思ってやっています」(小野寺コーチ)
【ベテラン川端慎吾の思い】プロ18年目となる川端慎吾は、若手時代、リハビリ時代、ベテラン時代と、今日までいろいろな経験を戸田で重ねてきた。
「若い時はただがむしゃらに数と量をこなすことを目標に、とにかく練習するんだという気持ちでやっていました。(椎間板ヘルニアの)リハビリで戸田にいた時は、本当に苦しかったですね。治ってほしいのにまったく治ってくれないというなかで、下を向いてはいけない、とにかく前を向いてやっていたことを覚えています。今は歳もとってきているので、量よりも質を重視して、ちょっとずつでもいいからしっかりやろうと思っていました」
今シーズンは二軍キャンプスタート。そのまま戸田で春季教育リーグに出場し、若い選手と同じ練習メニューをこなし、雨が降りしきるなかでの試合では三塁で先発出場。ダイビングキャッチでピンチを救う場面もあった。
「今年の戸田で一番思っていたことは、去年の悔しさを忘れずにやっていこうということですね。去年は結果が出ずに悔しい思いをしたので、なんとかもう一回やってやろうと。12月からずっと練習してきて、ファームでも多く打席に立たせてもらうなど、しっかり準備してきたなかで一軍に上がることができました」
チームは若手抜擢が続くなか、川端は4月4日に一軍登録されると、ここまで代打で20打数8安打(1本塁打)、打率.400と勝負強さを見せつけている。
「二軍にいる時、一軍への思いはその時によって違いはありましたが、変わらないのは一軍で活躍してやるんだという気持ちですね。そこだけは絶対に持ち続けていました」
5月14日、戸田球場を訪れると、グラウンド管理責任者の榊一嘉さんが芝刈りトラクターに乗って外野の芝をならしていた。
「戸田の四季は、ものすごい風が吹きつける日もありますし、冬は地面が凍結するような寒い日もあります。夏はビジター球団の方が『今年も戸田の季節がきましたね』と笑うほど酷暑になります」
2019年10月には、台風19号に伴う猛烈な雨で球場が水没したこともあった。
「そうした環境のなかで、選手がここで結果を出して『明日から一軍へ行ってきます』と報告してくれるのはいつでもうれしいことですし、この前はある選手に『もう戸田に戻ってこなくていいよ』と話しました(笑)」(榊さん)
朝9時が近づくと選手たちが姿を見せ始め、やがて練習が始まる。サブグラウンドでは、奥川と山本大貴がキャッチボールをしていた。真っすぐの強さ、変化球の鋭い曲がりは、息が止まるほどのすごみのあるボールだった。リハビリ中によく見かけた考え込みながら投げている姿はない。なによりキャッチボール中の奥川の楽しそうな表情が、状態のよさを物語っている。
「今は投げる時の感覚がいいので、あまり考えずにやれています」
陸上競技場ではリハビリ組の松本直樹が走り込みを行ない、吉田大喜と育成の岩田幸宏がキャッチボールをはじめていた。戸田球場で練習に明け暮れるひとりでも多くの選手が、一軍の舞台に立って活躍することを願ってやまない。