バルミューダの携帯電話事業終了について考えてみた!

バルミューダは5月12日、携帯電話事業を終了すると発表しました。バルミューダと言えば、2021年11月に京セラ協力の下に独自開発したスマートフォン(スマホ)「BALMUDA Phone」を開発し、独特なUIを持つアプリの開発や次期端末の開発にも注力して来ましたが、結果として1機種のみの発売でスマホ業界から撤退することとなりました。

BALMUDA Phoneは発表時よりデザインやUI、さらには価格などで大きな物議を醸し、賛否両論が飛び交う中で久々にスマホ業界に異端児が来たと心躍らせていた諸氏も少なくなかったように思います。

しかし時世的なスマホのニーズとの乖離やスペックに対する価格の高さなど、バルミューダというブランドを活かした戦略が一般の人々になかなか伝わらず、販売開始当初より市場で苦戦していたことは間違いありません。

バルミューダは何を作りたかったのでしょうか。またバルミューダは何がいけなかったのでしょうか。感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する連載コラム「Arcaic Singularity」。今回はバルミューダの携帯電話事業終了とその意味について考察します。


バルミューダは何を間違え、何を残したのか


■損切りするしかなかった携帯電話事業
はじめに、バルミューダの業績や携帯電話事業に関する損益を見てみましょう。

2023年度第1四半期決算によると、携帯電話事業の終了に伴う特別損失として5億3600万円を計上、2023年度通期の業績予想は当初予想から7億5000万円減となる159億5000万円とし、純利益では当初予想を3500万円としていたところを純損失12億5000万円の赤字との見通しに下方修正しました。

バルミューダの業績不振が携帯電話事業だけではないことは間違いありませんが、しかしただでさえ業績に対する売上比率の低い携帯電話事業は、真っ先に「損切り」される事業であったことは間違いありません。

寺尾玄社長の熱い想いだけではどうにもならなかったというところかもしれませんが、なぜ社長の「理想」は人々の心に響かなかったのでしょうか。


新規事業だったとは言え、ここまで事業として勢いがないと経営不振状態の企業としては切らざるを得ない


■ユーザーニーズを無視してしまった「ツケ」
BALMUDA Phone発表当初、筆者はこの端末と寺尾玄社長の理想や理念について考察するコラムを執筆しました。

スマホという道具の特殊性や普遍性を加味した上で「反骨精神やロック魂だけではなく人々のニーズを汲み取ることができれば、持ち前のチャレンジ精神を発揮して素晴らしいスマホが作れるかもしれない」と、BALMUDA Phone自体には苦言を呈しつつも「次」の世代の端末への小さくない期待を込めた結論を出しました。

【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:人とスマホとデザインと。「期待はずれ」と言われてしまったバルミューダフォンの何がいけなかったのか【コラム】


端的に言ってしまえば、BALMUDA Phoneは人々のニーズをまったく無視してしまったのです。

オシャレで誰も持っていないような特別感のあるスマホが欲しいという人は数多くいますが、そこには「安価で」という枕詞が必須です。高価な端末を買うのであれば、それに見合った性能や長期的なサポートが必要になります。オシャレなオーブントースターを買うのとは根本が違います。

人々はより大きな画面を求め、より快適な動作を求め、そして何よりそれが手に入りやすい価格であることを望みます。たったそれだけのことでスマホは売れるのです。だからこそスマホは年々大型化し、今では5.9インチ画面のZenFone 9でさえ「小型端末」とまで呼ばれてしまう時代になったのです。


かつては5インチでも大画面と呼ばれた時代があった。今はもう6インチ未満はすべて「小型」扱いだ


そのような時代にあって画面は4.9インチ、しかもアスペクト比が16:9でトレンドにもそぐわず、メインカメラも1ユニット。何より……それが14万円超。売れる要素を探せという方が難しいでしょう。

筆者は当初、「恐らくバルミューダというブランドのファンにのみ売れれば良いという割り切ったスタンスで発売するのだろう」と考えていました。しかし寺尾社長のプレゼンやその後の談話などを聞くたびに、市場でそれなりのシェアを獲得したいという想いがあることを知り、「いやいやそれは……」と考えてしまったものです。

バルミューダは後継機種となる端末も2022年度に予定していたようですが計画は中止となり、さらに第3弾となる端末も計画し「ギリギリまで出すつもりだった」(2023年3月・株主総会)と語っていましたが、その夢は結果として潰えてしまいました。

計画頓挫の理由についてはメーカーとの仕入れ価格での交渉が成立しなかったことを挙げていますが、規格化された部品や設計を無視し、オリジナルのデザインや部品レイアウトを要求すれば製造コストが跳ね上がるのは必然です。

ましてや大手ブランドスマホのように100万台や200万台といった(場合によっては1000万台以上も)まとまった数の発注ができるわけもなく、少数ロットでオリジナルデザインで……などと言われれば、価格交渉で行き詰まるのは当然です。


理想を事業として成功させる、ということの難しさ


■「少年の想い」だけでは通用しないスマホという世界
もはや終わってしまったことを蒸し返しても良いことは少ないかもしれませんが、教訓として得られることは「人々のニーズを汲み取らなければスマホは売れない」という当たり前の結論に尽きます。

自分たちが何を作りたいか、何を提案したのかが重要であることは、恐らくスマホでも白物家電でも代わりはないでしょう。しかしながら、スマホは属人器であり、個人の使い方に合わせてカスタマイズされる道具であり、人々が強い思い入れを持って扱う道具なのです。

部屋に置いていてお洒落だから、という理由だけで満足できる道具ではないのです。


1日に1回使うかどうかも分からないものなら、インテリア感覚だけで買うのもありだろう。しかしスマホは人々が常に握りしめて画面を見ている「どんな道具よりも使われる道具」だ


奇しくも先週は新型スマホの発表ラッシュで、Googleの「Pixel 7a」やソニーの「Xperia 1 V」が発表され、さらには非常にニッチな層を対象としたUnihertzの「Jelly Ster」のクラウドファンディングも告知されました。

いずれの機種(およびメーカー)もユーザーニーズを汲み取り、ターゲット層を絞り込み、性能やデザイン、価格などさまざまなポイントで勝負を仕掛けてきています。

シェアを確保し高い技術力と力強いブランド力を誇示したいソニー。シリーズ端末を広く普及させデファクト・スタンダードとしての地位を盤石にしたいGoogle。常にニッチなユーザーニーズにチャレンジし、シェアは確保できずとも安価でユニークな端末をコンスタントに出し続けることでメーカーとしての信頼や支持を勝ち取ることに注力するUnihertz。

この中にバルミューダが存在していない(今後存在できない)ことに、一抹の寂しさすら感じています。


知る人ぞ知るユニーク・スマホメーカー、Unihertz


たった1機種を発売しただけで終わってしまった企業に二度目はないでしょう。もしこの先再び携帯電話事業へ参入しようとしたとしても、信用が大きなマイナスからのスタートになります。

BALMUDA Phoneを掲げて反骨精神やロックンロール魂を謳うプレゼンを行うほどなら、「赤字が何だ!オレが作ると言ったら作るんだ!」くらいの気骨で今後も暴れまわって欲しかったと考えてしまうのは、筆者が寺尾玄社長のような「跳ねっ返り」な性格だからかもしれませんが、それが許されないほどに会社が大きくなってしまったということでもあります。

少年のような想いだけではスマホは作れない。当たり前のことなのですが、その当たり前を改めて目の前にすると、やはり切なさが残ります。


バルミューダの想いと失敗が、スマホ業界に教訓として残ることを願う


記事執筆:秋吉 健


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