「桐生祥秀選手に見に来てほしい?」の質問に「まだダメ」 競輪デビューする「消えた天才」日吉克実の秘めた決意とは
競輪の街、修善寺で生まれ育った日吉克実
日吉克実インタビュー 後編
■インタビュー前編「桐生がいなかったら僕は違った人生を歩んでいたかもしれない」>>
【競輪転向は自然な流れ】中学時代、陸上短距離選手、桐生祥秀に圧勝した日吉克実。それ以降、高校、大学と桐生の背中を追い続ける日々が続き、「消えた天才」としてテレビで取り上げられた。そして2018年、23歳の時にひっそりと、その陸上人生に幕を閉じた。
しかし彼は就職という道は選ばなかった。それは土地柄が大きく関係している。
「日本競輪選手養成所がある(静岡県の)修善寺に育ちましたから、競輪は身近な存在として意識していました。競輪ファンのおじさまたちが何人かいますし、その方々から『陸上をやめたら競輪だね』と言われていました。中学時代の自分には響きませんでしたが、陸上をやめた時に、自然と競輪をやりたいなと思いました」
そして翌年、2020年度入所の試験を受けた。陸上短距離でトップクラスの実力を持つだけにラクラク合格かと思いきや不合格に。さらに翌年も不合格となってしまった。
「自転車を始めた頃に、ある程度いいタイムが出ちゃったんですね。それなら技能試験でも受かるだろうと思って、技能試験にしたんです。それが完全に悪手でした」
養成所に入るためには、技能試験か適性試験のいずれかを受けなくてはいけない。技能試験の受験者はほぼ自転車競技経験者。全国大会で活躍してきた選手や、なかには世界選手権でメダルを獲得した選手もいる。そんな彼らのなかでタイムを出さないといけない。
かたや適性試験はそのほかのスポーツ経験者が対象だが、合格の見込みは十分にあると考えた日吉は、技能試験を選択した。ちなみに2020年度の全体の合格率は約20%で、決して簡単な試験ではなかった。日吉は2度の受験失敗で大きな挫折を経験した。
【3度目の正直で合格】しかし彼は諦めなかった。
「2回目に落ちた時に父親から『もう無理だろ、いい加減にしろ。働きなさい』と言われました。でも『3回目の正直ということもあるから、受けさせてくれ』とお願いして許してもらいました。ただ働くことが条件だったので、塾の講師をやり始めました」
そこから、日が出ているうちは練習をして、日が落ちたら塾で働く日々が続いた。そして3回目は適性試験に変更した。
「適性試験を受けた時に、手ごたえがなかったんですよね。だから不合格かなと。合格発表が1月で新年度がすぐなので、4月から正社員は難しいだろうから、塾の講師をしながら、1年間就職活動をする覚悟はできていました」
そう諦めかけていた合否発表の当日、朗報が届いた。
「うれしかったです。父親もよかったなという感じでした。そこからいろんな方に電話で報告をして......。僕がもし陸上を辞めてスムーズに競輪選手になっていたら、鼻が高くなって調子に乗っていたと思います。僕にとっては2度の受験失敗がいい経験だったのかなと思います」
この合格をSNSで発信したところ、桐生がそれに反応。日吉のほうから、「もう1回一緒に走ってくれないか」とお願いをしたところ、快諾の返信があった。
「僕には陸上での最後のレース、これで引退だというレースがなかったんです。だからきっぱりとこれで引退したという機会を作りたかったので、桐生にお願いしました。結果的にはボコボコにされましたけど(笑)」
その模様は桐生のYouTubeチャンネルに残されている。もろちん桐生には完敗したが、その顔は晴れやかだった。
【不安でご飯が喉を通らない】養成所の場所は日吉の自宅から車で15分程度。しかし入所から退所までの約10カ月間、一度も帰省することはなかった。いくら陸上で好成績を残せていたとしても、競輪でいきなり通用するわけはない。「陸上選手だったことは考えないようにして、自転車のずぶの素人という気持ちで頑張っていました」と厳しい訓練に必死に食らいつく、競輪漬けの毎日を送った。
そんななかで、入所中3回ある記録会は、今後競輪選手としてやっていけるかどうかの判断基準となるだけに、日吉にとっても正念場だった。
「第2回目の記録会の前には、どのくらい自分に力がついているか不安で、あまりご飯が食べられませんでした。本番で力を出せなくて、基準タイムに満たなかったらどうしようと。『あなた退所です。さようなら』と言われるのがすごく怖くて、勝手に自分を追い込んでいました」
しかし結果は上々。3000m以外の3つの距離でA評価の基準をクリア。ここで日吉は大きな自信を手にする。そして3回目の記録会では、すべてA評価を獲得。晴れて卒業することができた。
プロ選手として走る最初のレースは「競輪ルーキーシリーズ2023」。4月30日〜5月2日の宇都宮競輪場、5月5日〜7日の四日市競輪場、5月26日〜28日の松戸競輪場、6月1日〜3日の福井競輪場のいくつかで走る予定だ。ここで初めて多くの競輪ファンの前でレースを行なうわけだが、日吉は結果を出すために、いくつかの課題を克服する必要があると考えている。
「(課題は)ダッシュ力です。陸上短距離をやっていたら、得意そうに見えますが、陸上の時もスタートは苦手だったんです。自転車までスタートが遅くて......。逆にそこをクリアできれば、ある程度勝負できるかなと思います。それから陸上はまっすぐにレーンを走りますが、自転車はまっすぐ走らない人ばかりなんで、そこも難しいですね。場数を踏まないといけないと思っています」
もともと持っているポテンシャルは高いため、経験を積むことによって、大化けする可能性は大いにある。これまでは自分の立ち位置を理解していて、目標も控えめだったが、プロとして走る以上、何らかのインパクトは残したいと考えている。
「僕は性格的に大風呂敷を広げるタイプではないんですが、地元の記念(競輪)で優勝したいですね。静岡県には伊東と静岡のふたつの競輪場があって、そこで開催される記念で優勝するには、まずS級に上がらないといけない。そのうえで年2回のチャンスで勝つ。そして修善寺の顔になるような、長く愛される選手になりたいですね」
S級は競輪のなかの上位クラスで全体の約3割が所属している。当然熾烈な競争を勝ち抜かなければならない。そのうえで、静岡県で開催される数少ない記念競輪で優勝する。狭き道だからこそ、地元に与えるインパクトは大きいだろう。
【桐生の前で完全優勝したい】陸上短距離のレースから身を引いて、今年で5年目になる。この間の紆余曲折を経て、日吉の心は大きく変化した。
「これまで桐生に勝ったとか、中学新記録を持っているとか、どんどん期待をかけられていて、自分はそれを背負いきれなかったし、背負いたくなかった。でも養成所の生活のなかで、それを背負わなくてもいいんだなと。それを引き合いに出して、自分のことに注目してくれる人がいるのは、幸せだなと思えました」
今は肩の荷が下りただけではなく、栄光も挫折も経験した陸上人生のすべてが彼の誇りだ。そんな日吉に「ルーキーシリーズで桐生選手に見に来てほしいか」と尋ねたところ、「まだダメです」と即答。「7月の本デビューがいいです」とキッパリ答えた。それまでに練習を積んで、桐生に恥ずかしくない走りを見せるためだろう。
「7月の僕の本デビューが、桐生が来られる範囲であれば、誘ってみたいですね。その時には完全優勝したいなと思います」
桐生との出会いから13年。日吉の心のなかには桐生がずっと存在し、時にはそれが重くのしかかった時期もあった。しかし苦難を乗り越え、競輪という新たなスタートラインに立った今、桐生の存在は、日吉の走る原動力になっている。彼の走る先にはどんな景色が見えているのだろうか。
中学3年の夏、一心不乱にゴールに突っ込んだその姿を、この競輪でも見てみたい。
【Profile】
日吉克実(ひよし・かつみ)
1995年5月8日生まれ、静岡県出身。小学5年から陸上を始め、中学の時にはジュニアオリンピック三連覇を達成。3年時には100m、200mで中学新記録を樹立した。高校・大学でも好成績を残し、大学4年の全日本インカレの4×100mリレーで優勝を果たす。大学卒業後も競技を続けるが、2018年をもって陸上競技を引退した。そして2022年に日本競輪選手養成所に入所し、翌年3月に卒業。2023年4月から競輪選手としてデビューする。