絶大な人気を誇ったアイマールの時代は遠い過去に 2年連続CL決勝進出の名門バレンシアが降格危機に陥ったのはなぜか
かつてスペインの雄だったバレンシアに、「降格」の暗雲が迫っている。
4月16日、バレンシアは本拠地メスタージャで、セビージャに0−2と呆気なく敗れ去った。残り9試合の時点で、18位に低迷(18〜20位の3チームが2部に降格)している。PKの疑いのある判定がVARで取り消される不運はあったが、失点はCKの攻防での敗北と、自陣で五分五分のボールに負けてのショートカウンターからで、弱さが出た格好だ。
ウルグアイ代表で入団1年目の36歳、エディンソン・カバーニは不調で、交代でベンチに下がると怒りをぶつけていた。一方でバルサ時代に世界的注目を浴びた20歳のMFイライシュ・モリバは伸び悩んでおり、相手の足へのタックルで退場。新旧選手の鬱屈した姿は、危機を象徴していた。
試合後には、2000人ものサポーターがシンガポール人オーナー、ピーター・リムに非難の歌を浴びせており、警察が混乱を収拾する事態になった。選手のバスは裏口から出ることになったという。
2000年代、2年連続でチャンピオンズリーグ(CL)決勝に進出し、2度にわたってリーガ・エスパニョーラを制した強豪は、なぜ37年ぶりに降格の危機に立たされたのか?
バレンシアは1931−32シーズンから90シーズン近く、ラ・リーガ1部で過ごしている。唯一、1986−87シーズンだけ2部で辛酸をなめたが、歴史的にはレアル・マドリード、FCバルセロナ、アスレティック・ビルバオに次ぐ存在と言えるだろう。
その特徴は、メスタージャと言われるスタジアムにあったかもしれない。ピッチとの距離が近く、傾斜のあるスタンドは選手を囲むようで、歓声が沸き起こると熱気が渦を巻く。それが選手に力を与えてきた。
「ストライカーが興奮しやすい」
そう言われるスタジアムで、事実、数々の世界的ストライカーを輩出してきた。
その筆頭がアルゼンチン代表マリオ・ケンペスだろう。1976−77シーズンから2度、得点王を獲得。1978年アルゼンチンW杯ではアルゼンチン代表として得点王に輝き、優勝の立役者になるなど、当時「世界最高の点取り屋」の称号を得ていた。
【メッシも憧れたテクニシャン】
その後も、ワールドクラスのストライカーたちが台頭している。ブルガリア代表リュボスラフ・ペネフ、ユーゴスラビア代表プレドラグ・ミヤトヴィッチ、アルゼンチン代表クラウディオ・ロペス、スペイン代表ダビド・ビジャ、ロベルト・ソルダード、パコ・アルカセル、ロドリゴ・モレノなど、錚々(そうそう)たる面子がゴールの山を築き、大金を残してビッグクラブへ移籍していった。
クラブとしては「堅守速攻」が代名詞になった。90年代終わりからチームを率いたクラウディオ・ラニエリ、エクトール・クーペル、ラファ・ベニテスの3人は、それぞれ戦術的に異なるが、ラニエリがカテナチオ的な守備の土台を作り、クーペルが攻守を分けた南米的な発想を導入し、ベニテスがプレッシング戦術を組み合わせて完成させた。チームは欧州戦線で次々に大番狂わせを演じ、リーガでは2度の優勝をもたらしたのだ。
日本でも、C・ロペスの電光石火のカウンターが鮮やかだった時代は密かな人気チームだった。2年連続でCL決勝に勝ち進み、ジャイアントキリングが話題に。中盤に君臨したスペイン代表MFガイスカ・メンディエタは金髪のオールラウンダーで、現代でも好まれそうなプレーヤーだった。
日本でも女性からの人気が高かったバレンシア時代のパブロ・アイマール
一気に注目を浴びたのが、2001年にアルゼンチン代表ファンタジスタ、パブロ・アイマールが入団してからだろう。小柄ながらボールコントロールだけで相手の逆を取れたし、パスセンスの意外性は他を圧倒していた。守備を重視したチームでポジションが与えられない時期もあったが、一本のパスが格別だった。そのプレーにはリオネル・メッシも憧れたほどだ。
しかし、すべて遠い過去の話となった。なぜバレンシアは凋落の一途をたどったのか?
早い話が、空前の不動産バブル崩壊が、クラブの構造を打ち砕いたのだ。
2000年代初頭、クラブは行政と手を組むことで、郊外に新スタジアム建設を目論んでいた。銀行の融資を得て、土地を買い、建設工事を着工。その代わりに、市内にあるメスタージャや練習場の土地を売却するはずだった。
【バブル崩壊、オーナーの横暴...】
ところが、2007年から始まった世界金融危機で、国内のバブルが崩壊した。メスタージャは売るに売れなくなり、工事も頓挫。そして銀行が潰れ、莫大な借金だけが残った。2009年から次々に主力を売り払い(ビジャやダビド・シルバなど)、どうにかクラブを存続させてきた。
2014年にリムがオーナーになると、経営面はどうにか安定した。しかし会長、スポーツディレクター、監督のクビを次から次に挿げ替え、まるでおもちゃのように扱った。これに批判が起こると、リムの娘が「クラブは私たちのものだから何をしてもいい」と暴論をSNSで発信し、バッシングの嵐となった。
その間、クラブはずっとパワーダウンしてきた。危機を救ったのは、地元出身の「ザ・消防隊長」ボロ(サルバドール・ゴンサーレス・マルコ)だった。2008年から7度にわたって、"途中登板"でチームを指揮し、火がついたチームを救ってきた。しかし、今シーズンは3連敗で退き、その神通力もきかなかった。
現在、采配を振るルベン・バラハ、コーチに入閣したカルロス・マルチェナは黄金時代のメンバーだ。しかし、その就任後もチームは2勝1分け5敗と上昇の気配はない。17位アルメリアとは勝ち点差3で、十分逆転は可能だが、19位エスパニョールもバレンシアと同勝ち点だ......。
1923年に建設されたメスタージャで、バレンシアは華やかな歴史を作ってきた。それを金に換えようとした報いか。今年でスタジアム生誕、100年目になる。