【闘病】医師にも「気のせい」扱いされ続けた「エーラス・ダンロス症候群」(EDS)

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闘病中や、闘病経験のある方の話でよく「病気の辛さよりも、その辛さが理解されないことの方がキツい」という意見を聞きます。エーラス・ダンロス症候群(EDS)闘病者の梅田さん(仮称)もそんな思いを味わった方の1人です。医学書で病名を知ってから実際に診断されるまで、実に30数年を要したという梅田さんに、当時のさまざまな想いを語ってもらいました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年1月取材。

体験者プロフィール:
梅田 智恵子(仮称)

関西在住。1970年生まれ。障がい者施設看護師。高校進学の成績に関わると言われていた中学校3年生の体育の授業中に激しく転倒。以降、関節の不調が続き、両肩、両膝の手術を受ける。その他、あらゆる症状が出現するものの、理解のある医師に出逢うまでに30数年経過。2019年にエーラスダンロス症候群(EDS)と診断される。障がい者施設看護師として、現在も勤務継続中。

記事監修医師:
後藤 和哉(京都大学医学研究科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

医学書で病名を知ったのは高校時代

編集部

最初に不調や違和感を感じたのはいつですか? どういった状況だったのでしょうか?

梅田さん

中学3年生の秋、体育の授業でハードル走をしていた時に転倒したことがありました。右肩を強打したのと、右の太ももを擦りむきました。なかなか痛みが引かないため、近くの整形外科を受診し、右肩関節挫傷と診断されましたが、その後何ヶ月も痛みが続いたのです。

編集部

その後の経緯を教えてください。

梅田さん

高校は衛生看護科という学科に進学していたこともあり、学校に相談したところ、大学病院を紹介されました。医師からは肩関節に関して「手術が必要」と言われ、高校2年生の夏に右肩、高校3年生の春に左肩を手術しました。この頃、自分で医学書を調べ「エーラス・ダンロス症候群(EDS)」という病気の存在を知りました。右肩の手術後、膝も痛くなってきて、やがて両膝の軟骨軟化症と診断され、高校卒業後すぐに両膝の手術も受けました。

編集部

EDSの診断がつく前に、すでに何度も手術されていたのですね。

梅田さん

はい。しかし左肩の手術後の経過が芳しくなく、神経麻痺、関節可動域制限が出てきてしまい、結局、23歳の時に再手術しました。これが1993年のことです。痛みはその後も続きましたが、そこから長い月日を経て、2019年になって、股関節の痛みが続くようにもなりました。しかし、ここまで全身の関節が緩いのはやはりEDSが関係しているのではないかと思い、ネットにて論文や医療機関を調べ、意とした先生の元を訪ねたところ、2019年10月初診にて関節可動亢進型EDSと診断されました。高校の図書館でEDSという病名を知ってから、30年以上経っていました。

診断がついて楽になりました

編集部

EDSはどんな症状があるのですか?

梅田さん

この病気の症状はタイプなどによっても多岐にわたりますが、私の場合は主に全身の関節が緩い、痛い、普通に生活していても筋力が落ちてしまう、皮膚が傷つきやすい、傷が治りにくい、疲れやすいなどがあります。あとは、自律神経が乱れ、便秘と下痢を繰り返す、頭痛、時に嘔吐、めまい、耳鳴りなどもあります。また、罹患者の間で典型的な症状として関節可動域が180度を超えて外反することがあったり、病型によっては子宮破裂や大出血を起こすリスクもあったりします。

編集部

どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?

梅田さん

大血管や心臓の問題を合併している場合があるため、継続して検査していくとのことでした。その際、診断を受けた大学病院は自宅から遠いため、私の地元の病院と連携しながら年1回診てもらうことになりました。各種検査は地元の病院で行うことになりましたが、地元でフォローしてくれる病院を探すのはかなり苦労しました。なんとか見つかった地元の病院では、治療というよりも、薬で痛みを抑えながら身体機能が落ちないようにしたり、身体を動かしたりすることを主眼に加療を受け続けています。疲れすぎない程度に仕事を続けつつ、休日も歩くようにしましょうとのアドバイスをいただきました。ほかにも、日常生活におけるさまざまなアドバイスを提案していただいています。

編集部

当時の心境について教えてください。

梅田さん

今まで、しんどさを「気のせい」と言われて、まともに取り合ってもらえませんでした。家庭や職場などでも理解が得られないことが多く、辛い思いをしてきたので、やっとわかってもらえてホッとしました。病気が治るわけではありませんが、理解していただける先生方に出逢えて心身ともに楽になりました。

編集部

30年の間で印象的なエピソードなどあれば教えてください。

梅田さん

最も感動的だったのは、やはりEDSの診断をしてくれた病院で、「よく自分で(病気を)探されましたね」と先生に言っていただいた瞬間です。自分で疑い始めてから30数年にして、やっと自分の病気の診断がついた瞬間。今でも思い出すと涙が出ます。

看護師として定年退職するのが目標

編集部

今までを振り返ってみて、後悔していることなどありますか?

梅田さん

「EDSに理解のある先生に、もっと早く出会えていれば……」とは思います。しかし、原因が遺伝とも言われているので、10~20代でEDSと診断されていたら結婚や出産について悩んだでしょうし、子どもを持つことを諦めていたかもしれませんので、後悔しようがなかった気もします。

編集部

現在の体調や生活はどうですか?

梅田さん

重症心身障害のある息子の介護もあり、無理して動くこともあります。さすがにしんどくなってきていますが、定年退職まで勤務は継続することを目標に、日々頑張っています。休日は、頭痛などがひどければ、一日中部屋で寝込んでいることもありますが、そこまで体調が悪くなければ、買い物を兼ねてウォーキングに出かけています。2021年の秋頃から、痛くてペットボトルが開けられない、仕事の後は疲れ切ってしまい、宅食の夕飯を摂るのがやっとという状態が続いています。一度座ってしまったら2階の寝室まで上がるのが難しいので、階段昇降機の設置を考えているところです。

編集部

医療機関や医療従事者に望むことはありますか?

梅田さん

いろいろ症状があり不定愁訴のように思えるかもしれませんが、まずは訴えを素直に聞いてほしいです。症状を訴えても、気のせいにされて対応していただけないのは辛かったですね。私自身、診断がつくまで30数年かかり、その間に精神神経科を紹介されたことがありました。診察時にも、症状の全てを話すと引かれると思い、実際に困っていることの一部しか話していません。医療従事者には少しでもいいので、EDSのことを知っていただきたいです。

編集部

最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。

梅田さん

EDSを疑われている皆さんは、決してあきらめなければ、いい方向に向かうと思います。この病気は「この人は噓を言っているんじゃないか」と思われるのもしょうがないぐらいにさまざまな症状がありますが、本当にしんどいのです。実際にEDSをご存知ない方からは、疑われ、否定されることが多いですが、まずは素直な気持ちで耳を傾けていただけると幸いです。

編集部まとめ

辛くて症状を訴えているのに、「嘘を言っているんじゃないか」と思われるのは本当に辛いと思います。病気で大変な思いをしている方が、それ以上の心理的負担を抱えることのないように、社会も、医療現場も、まだまだ出来ることがありますね。
梅田さん、ありがとうございました。

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