槍で支えた忠義心!「槍半蔵」の異名を持つ忠臣・渡辺守綱の活躍を紹介【どうする家康】
大河ドラマ「どうする家康」では、声優の木村昴さんが渡辺守綱役で出演します。そして、守綱のどうする家康でのキャッチコピーは、「槍もトークも一級品」。
劇中ではどのような活躍を見せてくれるか気になりますが、実際の渡辺守綱はどのような活躍をしたのでしょうか?
気になる方もいるかと思いますので、今回は守綱の生涯を振り返りながら、どのような活躍をしたのか紹介します。
先祖は渡辺綱だった!
渡辺綱/Wikipediaより
守綱が家康に仕えたのは、弘治3年(1557)頃。現在の「どうする家康」は4話「清須でどうする!」の時点で永禄5年(1562)頃なので、もう何話かで家臣団に顔を出すかと思います。
守綱の最初の活躍は永禄5年(1562)の三州八幡合戦です。この戦いで守綱は、今川軍に破れた酒井忠次の撤退を支援。追撃してくる今川軍を、得意の槍で撃退する奮戦ぶりを見せました。
この勇ましい活躍から守綱は、「槍半蔵」と呼ばれるようになります。さらに、守綱の先祖は、酒呑童子を倒した源頼光率いる頼光四天王の筆頭・渡辺綱(わたなべの-つな)。まさに、守綱は先祖のように武芸で活躍を見せたと言えますね。
槍半蔵として徳川家に貢献する
三河一向一揆/Wikipediaより
そんな守綱ですが、生涯に一度だけ家康に槍を向けたことがあります。それは永禄6年(1563)に勃発した三河一向一揆の時でした。
一向宗と呼ばれる浄土真宗本願寺派を信奉していた守綱は、夏目広次(演:甲本雅裕さん)や本多正信(演:松山ケンイチさん)といった他の家臣たちと共に家康に抵抗しました。一揆鎮圧後は、勝利した家康に降伏。帰参を許されました。
長篠の戦いでは山本勘助の嫡男・山本菅助を討ち取った/Wikipediaより
その後の守綱は、汚名を返上すべく姉川の戦いでは旗本一番槍として活躍。足軽大将として、三方ヶ原の戦いや長篠の戦い、小牧・長久手の戦いで先鋒を務めるといった槍半蔵の名にふさわしい功績と活躍を残しました。
尾張徳川家の槍として
徳川義直/Wikipediaより
家康が関東移封になる天正18年(1590)には、武蔵国比企郡(現在の埼玉県)に3,000石を与えられます。続く慶長5年(1600)には1,000石の加増と足軽100人の組頭に任命されました。
慶長13年(1608)には、尾張徳川家の祖で家康の9男にあたる徳川義直の付家老に抜擢。以後、大坂夏の陣と冬の陣に出陣した義直の初陣の後見や、尾張国に入国した際の補佐を務めました。そして、元和6年(1620)に79歳で名古屋にて死去しました。
最後に
守綱は、長らく徳川家に仕えた功績から死後に「徳川十六神将」の1人として名を連ねました。また、槍の名手として生涯槍だけで武功を挙げてきた足軽大将としても知られており、そんな印象から口数の少ない無骨な武将として思ってしまいます。
守綱の生涯を振り返って、槍は一級品であることはわかりましたが、トークは一級品であることはわかりませんでした。
そのため、木村昴さん自体が明るくムービーメーカー的な性格をしているので、どうする家康では性格が合いまった一級品のトークで、家臣団のムービーメーカーになるかもしれませんね。
トップ画像(左):大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより