10代なのにキャプテンを任された怪童6人

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どんなスポーツも経験が重要視されるはずだが、若くしてキャプテンを任されるケースもある。

ここでは、10代にしてキャプテンを託された選手たちを取り上げてみる。

フェルナンド・トーレス

現役最後にはJリーグでプレーした元スペイン代表FW。

アトレティコ・マドリーでは弱冠17歳でデビューすると、19歳でキャプテンを任された。

ただ、当時のアトレティコは2部降格も味わうなど低迷期にあり、若くして大きな責任を背負うことは困難だったようだ。

後年、「19歳でアトレティコのキャプテンにはなれない。ありえない。19歳ではなく、25〜26歳でなるべきだ。これはこのクラブの忍耐力の無さを示す一例。1年目のチームメイトが一人も残っていないなんて、世界のビッグクラブではありえないこと。(レアル・マドリーで)ラウールが何歳でキャプテンになったか知らないけれど、19歳ではないはず。(当時のレアルは)うまくいってたんだからね」と述べている。

ママドゥ・サコ(現モンペリエ)

パリで生まれ、PSGで育成された元フランス代表DF。

2007年にチームが不調に陥るなか、左サイドバックでトップデビューすると、弱冠17歳ながらポール・ルグエン監督からPSG史上最年少でキャプテンを託された。

彼は父が13歳で亡くなり、貧困のために物乞いをして暮らしていた時期もあるという。キャプテンマークを巻いた際には「最初に思ったのは4年前に亡くなった父のこと。父は僕が最高レベルでプレーすることをずっと夢見ていた。特にキャプテンマークを巻いてね。父にいて欲しかった」と話していた。

そんな彼は両親の祖国であるセネガルに孤児院を作り、子供たちを飢餓から救うなど慈善活動にも取り組んでいる。

ユース各世代でキャプテンを託されたほか、リヴァプール時代の2014年にはフランス代表戦でも24歳ながらキャプテンマークを着用。当時、デシャン監督は「彼がキャプテンをやるのは私が信頼しているから」と話していた。

なお、32歳になった現在はモンペリエに所属。今季から背番号を3から75番に変更している(75は出身地であるパリ市の番号)。

ルベン・ネヴェス(現ウォルヴァーハンプトン)

神童として期待され、弱冠18歳でポルトガル代表にデビューしたMF。

ポルトでは17歳でトップデビューを果たすと、2015年には18歳と221日というUEFAチャンピオンズリーグ史上最年少でキャプテンを務めた。

25歳になった現在はウルブスでキャプテンを任されている。

昨年11月から監督を務めるフレン・ロペテギ監督は、ポルト時代に彼をデビューさせた人物でもある。

指揮官は「とても若い頃から彼を知っている。ポルトでは私のもとでプロデビューした。私はポルトを去る時にこう言ったんだ。『君が25歳になったら、君の監督になりたいね』ってね。そして、今の私はここにいる!」と再会を喜んでいた。

マタイス・デリフト(現バイエルン)

17歳と225日でオランダ代表デビューを果たした大器ディフェンダー。

アヤックスらしいモダンなCBとして17歳でプロデビューすると、瞬く間に代表に引き上げられた。

若手を多く登用してきたアヤックスではラファエル・ファンデルファールトやクリスティアン・キヴら若いキャプテンが誕生してきたが、デリフトも19歳にしてキャプテンに就任。

代理人だった故ミーノ・ライオラ氏も「デリフトは普通の選手ではない。自分自身を批判するときにも非常に正直だ。生まれながらのリーダーであり、自分とグループのために決断を下せる。国すらも動かせるだろうね。すでに私よりイタリア語もうまい」と惚れ込んでいた。

23歳になった現在はバイエルンでプレーしている。

パトリック・ヴィエラ

アーセナルなどで活躍した元フランス代表MF。

ガナーズでもキャプテンを託されたが、生まれつきのリーダーシップと決断力のおかげでサッカー選手として成功できたと自ら語っている。

実際、ミランに移籍する前に所属したカンヌでは19歳にしてキャプテンを任された。

本人は「(故郷のセネガルから)フランスに来て、14〜15歳頃にクラブでプレーすることが自分の仕事だと気づく機会があったし、サッカーも下手ではなかった。カンヌでは楽しめたので、自分の選択は間違っていなかったと思った。監督は自分をリーダーとして見ていた。話し方ではなく、ピッチ上での振る舞いでね。自分は若い時から常にそういうものを内に秘めていた。成功できたのは、そういう意欲や決意があったからだと思う」と話している。

小林祐希(現北海道コンサドーレ札幌)

日本代表経験もあるレフティ。

名門である東京ヴェルディユースで育成されると、10番を背負った2012シーズンにはクラブ史上最年少の19歳でキャプテンも託された。

ただ、同年夏にジュビロ磐田に移籍(当初はローン)。キャプテンとして背負いすぎてしまったとも明かしている。

30歳になった今季から札幌でプレーするが、背番号は上限がなくなったために99番を選択した。

ちなみに、同じ「こばやしゆうき」である小林裕紀とも小林友希(現セルティック)ともチームメイトだったことがある。

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なお、代表キャプテンでいうと、クリスティアン・プリシッチは弱冠20歳と63日でアメリカ代表キャプテンに指名されている。