真中満が眥顛淡禊篤弔北笋Ε筌ルト初リーグ3連覇へのプラン。三番・山田哲人、四番・村上宗隆は「変えない」「優越感があるふたり」
郄津臣吾×真中満 新春対談 最終回
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2022年、東京ヤクルトスワローズをセ・リーグ連覇に導いた郄津臣吾監督と、元ヤクルト監督でプロ野球解説者の真中満氏が対談。最終回は、2勝1分けからの4連敗に終わったオリックス・バファローズとの日本シリーズの戦い、そして2023年シーズンの展望について語り合った。
対談したヤクルト郄津臣吾監督(右)と真中満氏
真中満(以下、真中) さて、2022年日本シリーズの続きを伺います。2勝2敗1分、五分で迎えた第6戦からは本拠地・神宮球場での開催となりました。第5戦ではオリックス・バファローズの主砲・吉田正尚からの手痛いサヨナラホームランを受けての試合でしたね。
郄津臣吾(以下、郄津) ちょっと悪い流れのなかでの試合でしたね。でも、大阪から移動して本拠地に戻ってきた。ここで流れを変えなくてはいけないとは思っていたけど、結局は神宮でも連敗を喫して、4連敗で終わってしまった。一度向こうにいってしまった流れを再び取り戻すことは本当に難しい。あらためて、それを痛感しました。
真中 神宮に戻ってきてから、選手たちはリセットされていましたか?
郄津 個々にはリセットされていたと思いますね。僕自身も、いろいろと頭のなかを整理して反省して、土曜日からまた頑張ろうという思いにはなっていました。
真中 シリーズ序盤の戦いを見れば4勝1分で終わる可能性もありましたからね。
郄津 短期決戦の難しさを本当に痛感しました。ペナントレースとはまた違った一球の重みとか、ひとつのアウトの意味とか、すごく浮き彫りになってきますね。短いスパンだからこそ見えてくるもの、感じられるもの。これは今後に生かさなくちゃいけないなと思いました。
真中 2022年日本シリーズに関して言えば、郄津監督はペナントレース同様の戦い方に徹したと感じましたね。
でも、その一方で第2戦の内山壮真の殊勲の代打同点スリーランホームランもそうだし、第3戦では小澤怜史を起用したり、余裕という意味ではなく、若い選手たちに少しでも多くの経験をさせようという強い意志が感じられました。この点はいかがですか?
郄津 もう、まさにそのとおりですよね。むしろ、もうそれしかないという感じです。本当に緊迫する日本最高峰の試合を経験するか、しないかというのは、選手にとってとても大きなこと。
2023年はもちろん、3年後、5年後を見据えたときに必ず生きてくる。だからこそ、できるだけ多くの若い選手を、こうした舞台で起用したかった。その思いはすごくありました。
真中 それは当然の考えだと思うけど、なかなかできることじゃないですよ。僕だったら、ドキドキして仕方がないし、第3戦の小澤を見ていて、「もう代えたほうがいいんじゃないの?」ってずっと思って見ていましたから(笑)。
郄津 あれ、かなりドキドキしたよね(笑)。結局、(スコット・)マクガフを準備させることになってしまったし。
真中 前年日本一に輝いたものの、2022年は日本一にはなれなかった。この悔しさは、今後どのように生かしていきますか?
郄津 そうそう、本当にこの経験は絶対に生かさなくちゃいけない。ある意味、「せっかく負けた」のだし、「せっかく悔しい思いをした」のだから。これは、日本シリーズという大舞台に立った者だけが経験できること。
この舞台に立てない者は決して経験できないことだから、せっかく経験したのならば、それは必ず2023年以降に生かさなくちゃいけない。その思いはとても強いです。
真中 現役時代の郄津監督は日本シリーズでは1点もとられていないし、11試合連続無失点で8セーブの無敗を誇っていますから、なおさらですね。
郄津 そうなんですよ。そもそも、日本シリーズって点をとられるものなんですか(笑)?
真中 もちろん、とられるものですよ(笑)。
郄津 あ、そうなの? 点なんてとられないものだと思っていたし、投げたら「0」になるものだと思っていましたよ(笑)。
真中 本当に日本シリーズでの郄津さんは頼りになりましたからね。それにしても、2年連続で本当に面白い日本シリーズでした。ヤクルトは負けたけど、それでも本当に紙一重の戦いで、野球の醍醐味にあふれていましたよね。
郄津 負けてこんなことを言うのはダメだけど、「これでいいのかな?」という思いもありましたね。これが野球の面白さであり、僕らも「よし、もう一度頑張ろう」と思えた。この思いが、2023年にさらに大きく飛躍するきっかけとなるんじゃないのかな? 現時点では、期待も込めてそう言っておきたいと思います。
真中 僕が監督で、郄津監督が一軍投手コーチだった2015年の日本シリーズでは福岡ソフトバンクホークスに対して手も足も出なかった。どの観点から調べても、相手のほうが上回っていましたから。
福岡のニューオータニのお風呂で、いつも悔しさを噛み締めていた思い出しか残っていない(苦笑)。それに比べれば、2022年の悔しさは2023年以降につながるものだと思いますね。
郄津 あの時は、相手にならなかったですよね(苦笑)。だから、交流戦で2021年、そして2022年と2年連続でホークス相手に3連勝したときはうれしかったな。王貞治会長が「ヤクルトのようなチームを目指せ」と言ったということも聞いて、あれは本当にうれしかった。
真中 郄津監督が就任してから、若い選手が順調に台頭してきているけど、2023年シーズンも同様に、若い選手を上手に使いながら戦っていくことと思います。すでに、具体的なプランやイメージはあるんですか?
郄津 若い選手がたくさん出てきてくれたらうれしいけど、ひとりでもふたりでも、「これが今年の新しい戦力だ」という若手を見つけて、新しいシーズンを迎えたいとは思っていますね。
やっぱり、ヤクルトをずっと強いチームにしていくためには、ベテランを適度に休ませながら若手を起用して次世代の主力を育てていくことが理想だと思っているので。秋季キャンプでも、「この選手はどこで起用すれば生かせるかな?」と思いながら見ていました。そういう選手が出てこないとチームは変わらないですから。
真中 これまでもずっと「四番・村上宗隆」にこだわってきましたけど、そのスタンスは2023年も変わらないですか? 僕なんかは、三番で起用したら面白いなんて、思ったりもしましたけど。
郄津 変わらないですね。確かに三番にしたほうがいいのかなと思ったこともありますよ。でも、変えないでしょうね。たとえば、シーズン終盤にタイトル争いがかかっている場面で、少しでも打席が多く回るように一番で起用したりするじゃないですか? でも、村上に対しては最後まで四番で起用したと思うし、「四番でタイトルを獲りなさい」と言っていたと思います。
真中 郄津監督は「三番・山田哲人」にもこだわりを持っていますけど、山田に対してもそういう思いですか?
郄津 そうですね。「三番・山田、四番・村上」がすごくマッチしていると僕は思っています。変な言い方になるかもしれないけど、僕はこのふたりを並べて監督できることに優越感を持っています。「うちの三番、四番はこのふたりなんだぞ」という思いはすごく強いです。
真中 僕もつくづく「僕が監督の時に村上がいてくれたらな......」って考えますよ(笑)。監督にとっては山田と村上を本当に誇りに思っているんですね。
郄津 誇りはあります。哲人に出会えたこと、ムネに出会えたこと。すごく縁と運は大事に思っています。こんなすごい選手に巡り合えるなんて、僕は本当にラッキーだと思っていますね。
真中 「監督と選手」という立場で、山田、村上と接していたら、本当に楽しいでしょうね(笑)。2023年はチーム初のリーグ3連覇もかかっていますが、その点は?
郄津 チャンスであることは間違いないので、狙いたいし、狙わなくちゃいけないのは確かだけど、ただ今のレベルではできないです。
ピッチャーも整備しないといけないし、哲人には復調してもらわなければいけないし、これから春季キャンプを通じて、しっかりと適材適所を見極めつつ、新戦力も育てつつ、やるべきことはとても多いです。
真中 郄津監督に対して、選手がしっかりついてきているのでその点は安心ですね。
郄津 いやいや、選手たちに引っ張られていますよ。ぜひ、真中さんも2023年も優勝予想してくださいね(笑)。
真中 もちろんですよ。2連覇中の古巣チームを優勝予想しないと、みんなから怒られるし、出入り禁止になりますから(笑)。ぜひ、2023年シーズンも楽しみにしています!
郄津 もちろん頑張ります! 今日はどうもありがとうございました。
終わり
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【プロフィール】
郄津臣吾 たかつ・しんご
1968年、広島県生まれ。広島工高、亜細亜大を卒業後、1990年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。守護神として活躍し、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年、MLBシカゴ・ホワイトソックスへ移籍。その後、ヤクルト復帰や、韓国、台湾のプロ野球、独立リーグ・新潟アルビレックスBCを経て、2012年に現役引退。ヤクルトの一軍投手コーチや二軍監督を務めたのち、2020年から一軍監督に就任。2021年は日本一、2022年はリーグ連覇を達成。
真中満 まなか・みつる
1971年、栃木県生まれ。宇都宮学園、日本大を卒業後、1992年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。2001年には打率.312でリーグ優勝、日本一に貢献した。計4回の日本一を経験し、08年に現役引退。その後、ヤクルトの一軍チーフ打撃コーチなどを経て、監督に就任。15年にはチームをリーグ優勝に導いた。現在は、野球解説者として活躍している。