現役内科医が断言「寝たきり老人の胃ろうは保険適用外にすべき」という主張は完全におかしい
■極論に惑わされず正確な情報収集を
少し前、「『寝たきり老人の胃ろうに保険適用しません。飯が食えない老人は自費で生き残るか諦めてください』と言える政治家が必要になります」というツイートが話題になりました。
「胃ろう栄養」とは、口から十分な食事ができなくなった患者さんに対して、手術で腹部に小さな穴を開けてチューブを通し、胃に栄養剤を入れる方法です。他に鼻からチューブを挿入して胃や腸まで通し、栄養剤を注入する「経鼻栄養」があります。経鼻栄養のほうが手術は不要ですぐに行うことができるという利点があります。一方、胃ろう栄養のほうは口からの食事をしてみることもでき、鼻の違和感やチューブ交換のリスクを減らすことができるという利点があります。胃ろう栄養や経鼻栄養などを「経管栄養」と言います。
冒頭の言葉は極論だと思いますが、「高齢者の医療費のせいで増大する勤労世代の負担を軽減すべき」という名目によって世代間対立があおられたためか、賛成意見も多く見られました。ただ、かなり誤解もあるようです。賛成にせよ、反対にせよ、より正確な情報に基づいて考えることが望ましいと私は考えます。そこで今回は医師の立場から、この問題について考察してみたいと思います。
■北欧を目指すなら医療費を増やすべき
寝たきり老人の胃ろうへの保険適用反対は、スウェーデンをはじめとした北欧型の医療政策をモデルとしているようです。しかし、北欧型の高福祉高負担の政策を目指すのであれば、むしろ保険料なり税金なりを増やして、医療につぎ込めと主張しなければならないはずでしょう。
スウェーデンで終末期の高齢者に対し胃ろう栄養を行わないなどの抑制的な医療が行われているのは事実ですが、勤労世代の負担増を止めるためにそうしているわけではありません。後述するように欧米では高度認知症に対する経管栄養は医学的な利点に乏しいと考えられていることや、本人やご家族の死生観といった文化的な背景があります。
また一般的に「欧米では胃ろうを造らず自然な死を迎えるので寝たきり老人はいない」という話も聞きますが、「少ない」ならともかく「いない」は誤りです。欧米諸国でも差があり、たとえば、アメリカ老年医学会のガイドラインには「認知症が進行した老人施設入居者の34%が経管栄養を受けている」という記載があります。
当然のことですが、「高齢者」「寝たきり」というだけで胃ろうを造らない非倫理的な医療制度を採用している先進国は、私の知る限り存在しません。
■高度認知症と寝たきりは同じではない
一方、「アメリカ老年医学会、米国アルツハイマー協会、ヨーロッパ臨床栄養代謝学会は、高齢者や認知症患者への胃ろうは反対しています」というツイートもありました。
確かに海外のガイドラインでは、高度認知症の患者さんに対し、胃ろう栄養や経鼻栄養を開始しないことが推奨されていますが、これも経済的な理由からではありません。主な理由は、高度認知症患者に対して胃ろう栄養をはじめとした経管栄養を行っても、生活の質の改善や生存期間の延長はないと考えられているからです(※1、2)。
そして、ここで注意が必要なのは、胃ろうが推奨されない対象は「高度認知症患者」であって「寝たきりの高齢者」ではないことです。この区別をあいまいにしたまま海外の学会を引き合いに出して「寝たきり老人の胃ろうに保険適用しない」と主張するのは問題があります。認知機能を保ったまま寝たきりになる高齢者もいるためです。
寝たきりの高齢者に対して、一律に胃ろう栄養の保険適用を止めると、こうした患者さんが口から食べられなくなったとき、認知機能が保たれたまま餓死することになりかねません。
※1 American Geriatrics Society Feeding Tubes in Advanced Dementia Position Statement
※2 ESPEN guidelines on nutrition in dementia
■日本の胃ろう栄養の効果や安全性は高い
「そうは言っても、日本で行われている高度認知症患者への胃ろうは無駄だ」という意見もあるかもしれません。これまで日本で胃ろう造設が多かったのは事実ですが、高度認知症患者に限っても、胃ろう栄養の是非は議論になるところです。胃ろうを造る群と造らない群にランダムに振り分ける臨床試験は行われておらず、エビデンスは不確実です(※3)。
実は、海外の学会の主張と異なり、胃ろうが生存期間や誤嚥(ごえん)性肺炎の予防に役立つという日本発の研究は複数あります(※4、5)。さまざまな条件が異なりますので直接比較はできないものの、胃ろう造設後の死亡率が日本では低いというデータもあります(※6)。欧米と比べると、日本のほうが胃ろう栄養の効果や安全性は高いようなのです。
欧米と日本で胃ろう栄養の治療成績が異なるのはなぜでしょうか。日本人は胃がんの発生率が高いこともあって、もともと欧米と比較して上部消化管内視鏡のレベルが高かったことに加え、胃ろう造設の症例を積み重ねることで技術が進歩したのではないかと考えます。胃ろう造設および管理の技術が高い日本においては、欧米のガイドラインをそのまま適用することには慎重になるべきです。
※3 Is tube feeding futile in advanced dementia?
※4 Tube feeding decreases pneumonia rate in patients with severe dementia: comparison between pre- and post-intervention
※5 Long-term prognosis of enteral feeding and parenteral nutrition in a population aged 75 years and older
※6 『日本老年医学会雑誌』49巻2号「胃ろう栄養の適応と問題点」
■高齢化より医療の発達が医療費増大の原因
そもそも欧米のガイドラインを持ち出して「寝たきり老人の胃ろうに保険適用しない」と主張しても医療費削減にはつながりません。欧米では胃ろう栄養を推奨しない代わりに丁寧な食事介助などの個別対応が求められています。ゆっくり時間をかけないと誤嚥する高齢者の食事介助は大変です。胃ろうを造ったほうが介護側は手間が省けて、人件費も安く済みます。
欧米のガイドラインを参考にするなら、胃ろう以外の食事介助や嚥下(えんげ)リハビリ、口腔(こうくう)ケアなどにお金をかけましょうと主張すべきです。こうしたケアの医療費すら削らないと日本社会が維持できないのなら、欧米のガイドラインを引き合いに出してうわべを飾ったりしないで、日本は高齢者を支えられないほど貧乏になったと正直に言うべきです。
それに実際、日本の医療費全体をみると、胃ろう栄養にかかるお金はそれほど多くないのです。ずいぶん前から日本でも胃ろう造設の件数は減少しつつありますし、2014年に胃ろう造設術の診療報酬が約10万円から約6万円に削られたことも影響し、胃ろう造設にかかる医療費総額は以前の6億円超から3億円以下になっています(※7)。胃ろうの管理や延命による医療費増額を合わせて考慮しても国民医療費に与えるインパクトは大きくありません。
医療経済学では、国民医療費増加に寄与するのは高齢化よりも医療の進歩が大きいとされています。たとえば抗がん剤の新薬は月あたり数十万円以上するものもあり、国内の売上高が1000億円を超える薬もあります。高齢者の胃ろう栄養だけを目の敵にして世代間対立をあおると発信者は注目を集めて利益を得ることができますが、日本の医療財政の健全化にはつながりません。
※7 『日本老年医学会雑誌』53巻1号「レセプト情報からみた高齢者医療」
■胃ろう導入前には意思確認が行われる
胃ろう栄養に対してネガティブな意見が多いのは、以前の日本で医療機関やご家族が食事介助の手間を省くことなどを目的として、患者さんの意思を考慮せず行われたケースがあったからでしょう。もしかしたら今も地域や医療機関によってはあるかもしれません。ただ、それは胃ろう栄養が悪いのではなく、患者さんの意思をくみ取った医療を提供できないことが悪いのです。
ただ、現在では患者さんご本人やご家族の同意なく、胃ろうの造設はできません。実際に私は要介護度の上がった高齢者が集まる病院に勤務していますが、経口摂取が不十分で医学的に胃ろう造設の選択肢がある場合は、まずご本人の意思を確認します。ご本人に十分な認知機能が残っていた場合は、現在の病状や胃ろうや代替手段について利益と害を説明してご理解いただいた上で、ご本人の意思決定を支援します。同意が得られない場合は、胃ろうを造りません。
高度認知症などで意思表示ができない場合は、代理人(ほとんどは家族)が代わりに意思決定をします。ご家族はあくまで代わりに過ぎませんので、ご本人の意思が明確にわかればそちらを優先します。私は「ご家族はどうしたいですか?」ではなく「ご本人はどうしたかったと思いますか?」と尋ねるようにしています。「胃ろうは造ってほしくないと本人は言っていました」とご家族がおっしゃれば、やはり胃ろうは造りません。
■事前に医療に関する意思表示をする方法
以上のような理由で、ご自身が胃ろうを造ってほしくないからといって、胃ろうの保険適用に反対する必要はありません。必要なのは、事前の意思表示です。事前の意思表示は、通常、ご家族やかかりつけ医に対し口頭で「胃ろうは造ってほしくない」という意思を伝えておけば十分です。
かかりつけ医がおらず、ご家族が自分の意思を尊重してくれるかどうか心配な場合は、文書でリビングウィル(終末期医療における事前指示書)を残しておけばいいでしょう。「日本尊厳死協会」のウェブサイトで書式を入手できます。より詳しい情報を知りたければ、日本尊厳死協会に入会するという選択肢もあります。胃ろう栄養だけではなく、心肺蘇生処置や人工呼吸器の装着についても、考えておいてもよいかもしれません。
ただし、これらの処置をどうするかについて決断する前には、必ずかかりつけ医、または他の専門医から正確な情報提供を受けたほうがいいでしょう。また、いざ病気になってみると考えが変わることもあり得ます。健康な時に、胃ろう栄養が必要になった状態を想像するのは難しいので当然です。意思表示はいつでも撤回できます。
■「尊厳死」と「積極的安楽死」は全然違う
最後に、尊厳死を推奨している立場から寝たきり老人の胃ろうに保険適用しないことに賛成し、「寝たきりになったら管をたくさんつけられて生き永らえるよりも、潔く自然に死んだほうがいいだろう」という意見もよく見かけます。当然、「自然に死にたい」という個人の価値観は尊重されるべきです。しかし、「尊厳死」というのは自分の意志で延命処置などの治療を控えて死亡することであり、積極的に死に至らしめる「積極的安楽死」とは異なります。
逆説的ですが、ご自身が尊厳死を選びたいだけではなく、他の多くの人にも尊厳死を選ぶ権利が保障されてほしいと考えるのであれば、「寝たきり老人の胃ろうに保険適用しないこと」には強く反対すべきです。尊厳死法制化に反対する意見の一つは、尊厳死を隠れ蓑(みの)にして必要な医療が削減されることへの警戒です。
胃ろうを例にとれば、高齢者の胃ろうを保険適用から外すことで「胃ろうを造ってでも生きたいという自己決定権」が侵害されます。自費でなら胃ろう栄養を続けることができたとしても、経済的負担がかかるわけです。経済的な余裕がなくて、または家族に遠慮して、内心では生きたくても胃ろう栄養をあきらめる患者さんも出てくることは容易に想像がつきます。そのあきらめの結果である死は、本当に「尊厳死」と言えるでしょうか。患者さんが希望する医療や介護を十分に受けることができる環境が整ってはじめて、尊厳死は成り立つのです。
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名取 宏(なとり・ひろむ)
内科医
医学部を卒業後、大学病院勤務、大学院などを経て、現在は福岡県の市中病院に勤務。診療のかたわら、インターネット上で医療・健康情報の見極め方を発信している。ハンドルネームは、NATROM(なとろむ)。著書に『新装版「ニセ医学」に騙されないために』『最善の健康法』(ともに内外出版社)、共著書に『今日から使える薬局栄養指導Q&A』(金芳堂)がある。
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(内科医 名取 宏)