磐田に続く清水の降格は結果にすぎない。「サッカー王国の伝統」が静岡には見られなくなっていた
17位・清水エスパルスと、18位ですでに降格が決まっていたジュビロ磐田。勝利(勝ち点3)が必須な清水は、最終節、北海道コンサドーレ札幌とアウェーで、打ち合いを展開していた。
後半33分、ホナウドのゴールで清水が2−3とリードした時、磐田は清水と降格を争う京都サンガをホームに迎え、0−0のスコアで踏ん張っていた。このまま終われば、清水が昇格プレーオフ(モンテディオ山形対ロアッソ熊本の勝者)を戦う16位で、京都が磐田とともに自動降格となる。
ところが清水は、そこから札幌に4−3と逆転を許す。結局、京都戦を0−0で終えた磐田とともに、J2に降格することになった。
最終節でJ2降格が決まり、呆然とする清水エスパルスの選手たち
磐田はシーズン当初から、降格が危ぶまれていた。サッカーの中身がJ1のレベルに達していないことは、開幕して何試合か見た段階で明らかになっていた。この顔ぶれのまま大きな戦力補強をしなければ降格必至。実際、そうなったわけだが、手をこまねいたままJ2に降格する姿に、クラブとしての体力のなさが見てとれた。
降格が決定したのは最終節を1週残した第33節だったが、その1週前、第32節の清水戦で決まってもおかしくない状況だった。後半の追加タイムに入った段階で0−1。このまま終われば降格という状況を迎えていた。一方、相手の清水は、この試合に勝利すれば湘南ベルマーレを抜き、13位まで浮上するはずだった。
"骨肉の争い"となったこの静岡ダービーに、両軍の情けなさは集約されていた。
まず磐田。敗れれば、その段階で降格となる試合であるにもかかわらず、最初から後方に5人を並べ、引いて守った。前半34分、清水に先制点を奪われ、絶体絶命な状況となってもまだ5バックを貫いた。4バックに変え、ギアを上げたのはラスト10分という遅さだった。残留のためにほしい勝ち点は3であるにもかかわらず、だ。1点取って同点とし、勝ち点1を積み上げても、降格は時間の問題。今節の降格だけは免れるという話だ。
一方の清水は、そうした弱気なジュビロが終盤、攻撃的に出てくると、慌てた。後半47分という土壇場でジャーメイン良にあっさり同点弾を許してしまう。目の前から勝ち点3が消えた瞬間であり、降格が現実味を帯びた瞬間でもあった。
今季を象徴した清水の最終戦まさかの失点。もっといえばあり得ない失点を、清水は今季、繰り返してきた。試合運びがどのチームよりヘタなチーム。なんと言うか、勝ちパターンがない、ともすると情緒不安定に見える、珍しい体質のチームなのである。選手ひとりひとりのクオリティはJ1中位レベルにある。アシストランキングで3位タイに入った山原怜音、五輪代表チームで活躍が期待される松岡大起など、期待の若手もいる。
そしてCFに控えるはチアゴ・サンタナだ。今季はケガで大きく出遅れ、25試合の先発にとどまったにもかかわらず14ゴールを決め、今季の得点王に輝いたJリーグナンバーワンストライカーである。
先述の札幌戦でも、後半4分に叩き込んだ左足の同点弾は、まさしくスーパーゴールだった。チームはこれで勢いづき、その2分後に白崎凌兵の逆転弾が生まれると、清水は瞬間的に、自動降格圏を脱した。ところが情緒不安定な清水は、バタバタの展開に自ら足を踏み入れていく。同点弾を浴びたかと思えば、再逆転弾を叩き込まれるという今季を象徴する試合を繰り広げた。4−3という結果に驚きはない。
ゼ・リカルド監督の采配にも大いなる疑問を覚えるが、この清水の体質は、今季に限った話ではないのだ。ここ数年続く慢性的なものといっても過言ではない。静岡といえば温暖な気候で知られる。気質的にも争いごとを好まないお人好しが多いとされる。だが清水、さらには磐田に地元出身の選手は少ない。これもまた問題ではないかと言いたくなるほどだ。
清水はご承知の通り30年前、Jリーグが10チームでスタートしたときのオリジナルメンバーで、その1年後にJリーグに仲間入りした磐田も3度の優勝を誇る名門である。Jリーグ史を長年彩ってきた両チームが同時に降格することは、サッカーどころ静岡の凋落をも意味する、事件と言えば事件である。
だが磐田は2014年、15年,20年、21年と過去9年で4度、J2で戦った経験がある事実上の"エレベーターチーム"である。清水も今回が2016年に続く2度目の降格だ。J1には1シーズンで復帰したが、再昇格後も14位、8位、12位、16位、14位と低迷。降格候補としての戦いを強いられ続けてきた。そして今季は17位と、ついに耐えきれずに、降格となった格好だ。
日本の典型的な地方都市に両チームの弱体化は、ほぼ同じ歩調で進んできた。今季、突然ダメになったわけではない。サッカーどころ静岡の凋落もだいぶ前から進行していた。全国各地にサッカーが普及していく過程で、特に高校サッカーで鮮明になっていった。地域格差がなくなり、選手のレベルが均衡するのは仕方のない話である。静岡の高校生チームがインターハイや選手権で勝てなくなることには必然性がある。
しかしサッカークラブは本来、伝統がものをいう集団だ。"本場の壁"は崩しにくいものである。欧州、南米が世界のサッカーをリードする所以なのだ。そうした本来、日本にあっては十分備えているはずの伝統、文化がいまの静岡には見られないのだ。
その昔、筆者が子供の頃、清水にサッカー観戦に出かければ、スタンドの観衆がつぶやく評論性の高い台詞に、「さすが本場は違う」と驚いたものだ。その後、欧州で受けた刺激と同種の気高さや先進性を感じたものだが、少なくともいま、静岡方面から伝わってくる報道は「我々には応援することしかできない」的な、緩いファン気質を代弁したものばかりだ。欧州的でも南米的でもない、世界が遠くに感じられる、サッカーにおいては日本の典型的な地方都市になってしまった感がある。
日本の地方都市に共通して言えるのは、地元メディアに力がまったくないことだ。厳しいファン気質が決定的に欠けている。これこそが欧州とはまったく違う点である。欧州サッカーはなぜ盛り上がるか。都市国家をベースに発展してきた歴史的な背景もあるが、地方に元気があることが一番だ。
磐田、清水の降格を静岡サッカーの衰退として括るのは簡単だが、他の地域も同種の問題を抱えているものと、筆者は見る。危ない状況が見えているのに、指摘できない地方メディアの罪は重い。