「これまで接したことのない感情で、どうしたらいいか......」

 テレビカメラの前に立った宮市亮は、唐突に込み上げてきた涙を止められない様子で、その理由を説明できなかった。

 それは宮市にだけ起きた現象ではなかった。試合後のピッチでは、水沼宏太が抱擁を重ねるたび、泣きじゃくっていた。喜田拓也も目を赤くし、感極まっていた。宮市の前にインタビューを受けていた西村拓真も、「(なんで泣いているのか)わからないです」と、得体の知れない何かに感情を揺さぶられるようだった。

「積み上げてきたことが、結果として出て、うれしくて。みんなのおかげで2番目にシャーレを掲げられましたが、おこがましいし、申し訳ないけど、ありがたくて......。いいことも悪いこともあったシーズンでしたが、みんなに支えられて、前を向いてやっています」

 そう語った宮市は、シーズン半ばで右ひざ前十字靭帯断裂に遭い、戦列離脱を余儀なくされていた。

 それぞれの選手が乗り越えたものがあるのだろう。それがひとつの結果につながった。歴史を作ったのだ。横浜F・マリノスのJリーグ制覇は語り継がれていくだろう。


優勝を決め、大喜びをする宮市亮をはじめ横浜F・マリノスの選手たち

 2022年、横浜FMはシーズンを通してリーグをリードしてきた。

「優勝は確定」

 ほとんど独走態勢で、シーズン終盤には「いつ」だけが興味の的になった。それが最終節までもつれたのは、Jリーグ優勝が簡単ではないことの証左だ。

 10月1日、横浜FMは第31節に名古屋グランパスに敵地で0−4と大勝を収めたあと、慢心とは言わないが緩みは出た。翌週のトレーニングは、ふわふわしたところはあったという。そして降格圏で喘ぐガンバ大阪、ジュビロ磐田に本拠地で連敗を喫した。

「(連敗した試合は)ちょっときれいにやろうとしすぎたかもしれません。崩しきれず、ミドルとかを打つ工夫もなかった。ただ、連敗はしましたが、(浦和)レッズ戦で盛り返したのはあったので、今日はいい形で臨めたかなと」(水沼)

 迎えた11月5日、最終節のヴィッセル神戸戦では、立ち上がり、やや硬さが見えた。

全得点に絡んだ水沼宏太

「選手が硬くなるのはわかっていたので。"キーパーはどんと構えて"と思っていました。選手はすぐにアジャストしましたし、その対応力も今シーズン、身につけたことかなと思います」(高丘陽平)

 前半7分、横浜FMは決定機を迎える。岩田智輝が強烈なミドルを放つと、ポストを叩く。跳ね返りに水沼がすかさず反応し、ゴールに向かって蹴り込み、GKともつれたところでアンデルソンロペスが押し込んだかと思われたが、VAR判定で取り消された。審判はこれに6分もの時間を要する不手際で、誰よりもこの一戦に緊張していたかもしれない。

 これで試合のリズムがやや緩慢になったが、26分、水沼が右から鋭い球筋のクロスを送る。相手は後ろ向きでのクリアが精一杯。中途半端にエリア内でバウンドしたボールをエウベルが頭で決めた。

 その後も横浜FMペースだったが、追加点を決められず、アディショナルタイムにツケを払うことになる。

 神戸は大迫勇也、武藤嘉紀、酒井高徳など、W杯日本代表経験者を先発に揃え、ベンチにはアンドレス・イニエスタも擁していた。戦力的にはJリーグ屈指。チームの方向性が見えなくても、一発があった。前半終了間際、右サイドで酒井がボールを持った時、下がってから左足でクロスを送る。守備を崩してはいなかったが、アーリークロスは完璧なタイミングと軌道で、それに武藤がヘディングで合わせ、同点弾を決めた。

 ただし、横浜FMも選手の顔ぶれでは負けていない。アンジェ・ポステコグルーが植えつけたスタイルも土台にある。つまり、本来のプレーができたら、負ける相手ではなかった。

 停滞しかけた攻撃に火をつけたのは水沼だ。

 後半8分、左サイドで得たFKを水沼が蹴る。壁一枚の守りに対し、抜け目なくニアサイドに際どいシュートを打ち込むと、敵GKがはじくが、こぼれた球を西村が鮮やかに蹴り込んだ。

 水沼は今シーズンのJリーグMVPに値する活躍を見せた。右サイドを中心にプレーリズムを変化させ、決定的クロスを送った。その精度はJリーグトップ。スピード、パワーに利点が出るアタッカーが多くなった陣容で、緩急をつける"気がきく"プレーは異彩を放った。32歳で日本代表に初選出されたのも当然だった。

 後半28分、水沼はさらに違いを見せる。右サイドの裏へ抜け出すと、ゴールラインまで深みをとって、マイナスのパスを交代出場の仲川輝人にお膳立て。技術、ビジョン、判断、どれも群を抜いていた。

 1−3とリードを広げると、神戸が急速にパワーダウンし、2019年以来の優勝が決まった。

「ホームで優勝を決めたかったですが、自分たちにベクトルを向け、1年間やってきた成果を見せられました。このチームの選手はみんな仲間思い。正当な競争があって、真摯な取り組みで、それぞれが成長してきました。自分自身、これまでのキャリアは順風満帆ではなかったですが、プロに入って初めてのトップ下で、プレーの幅が広がりました」(西村)

 横浜FMの選手たちは共闘精神とプロフェッショナリズムを土台に、それぞれの事情を抱えながら優勝に挑んでいた。幾多の苦難を乗り越え、最後に本当の輝きを放った、とも言える。それぞれの涙に、横浜FMの優勝の理由があったのだ。