「鎌倉殿の13人」泉親衡とは何者か?北条義時・和田義盛の開戦前夜…第40回放送「罠と罠」予習【上】

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鎌倉殿をお飾り(大義名分)に祭り上げ、我が意のままに政(まつりごと)を専横する北条義時(演:小栗旬)。その一方で、古き良き坂東武者の意地を見せるごとく義時と対立する和田義盛(演:横田栄司)。

広元「絵に描いたような坂東武者」
義時「随分と少なくなった」
広元「やがてそれもいなくなる」

……かつて武士の世を切り拓くため、平家討伐に立ち上がり、力を合わせ戦ってきた御家人同士の殺し合い。

梶原景時(演:中村獅童)を粛清し、比企能員(演:佐藤二朗)を粛清し、畠山重忠(演:中川大志)を粛清し……残っているのは、北条氏と三浦一族(だけではありませんが……)。和田義盛は三浦の長老です。

雌雄を決するに当たり、三浦義村(演:山本耕史)がキーマンとなるのは必定。果たして彼は長老と盟友のどっちを選ぶのでしょうか。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、第40回放送のサブタイトルは「罠と罠」。これは義時が和田一族を挙兵(謀叛)に追い込むための「罠」と、もう一つの「罠」が何を意味するのか、が来週までの宿題となります。

今回は建暦3年(1213年)、和田一族が挙兵するキッカケとなる「泉親衡の乱」を中心に紹介。鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』を読み進めていきましょう。

関与する者200名!発覚した謀叛計画

時は建暦3年(1213年)2月15日、御家人の千葉介成胤(ちばのすけ なりたね。千葉介常胤の孫)が一人の僧侶を生け捕りました。

天霽。千葉介成胤生虜法師一人進相州。是叛逆之輩中使也〔信濃國住人逭栗七郎弟。阿靜房安念云々〕。爲望合力之奉。向彼司馬甘繩家處。依存忠直。召進之云々。相州即被上啓此子細。如前大膳大夫有評議。被渡山城判官行村之方。可糺問其實否之旨被仰出。仍被相副金窪兵衛尉行親云々。

※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)2月15日条

「こやつが謀叛への加担をそそのかして来おったのじゃ!」

捕らわれたのは阿静房安念(あじょうぼう あんねん)、その身柄は二階堂行村(にかいどう ゆきむら。二階堂行政の子)に引き渡され、訊問にかけられます。

そして翌日、安念の供述によって出るわ出るわ共謀者が実に130余名。関与している者は実に200名にも及ぶ大規模な謀叛計画でした。

天翎。依安念法師白状。謀叛輩於所々被生虜之。所謂。一村小次郎近村〔信濃國住人。匠作被預之〕。籠山次郎〔同國住人。高山小三郎重親預之〕。宿屋次郎〔山上四郎時元預之〕。上田原平三父子三人〔豊田太郎幹重預之〕。薗田七郎成朝〔上條三郎時綱預之〕。狩野小太郎〔結城左衛門尉朝光預之〕。和田四郎左衛門尉義直〔伊東六郎祐長預之〕。和田六郎兵衛尉義重〔伊東八郎祐廣預之〕。澁河刑部六郎兼守〔安達右衛門尉景盛預之〕。和田平太胤長〔金窪兵衛尉行親。安東次郎忠家預之〕。礒野小三郎〔小山左衛門尉朝政預之〕。此外白状云。信濃國保科次郎。粟澤太郎父子。逭栗四郎。越後國木曾瀧口父子。下総國八田三郎。和田奥田太。同四郎。伊勢國金太郎。上総介八郎甥臼井十郎。狩野又太郎等云々。凡張本百三十余人。伴類及二百人云々。可召進其身之旨。被仰國々守護人等。朝政。行村。朝光。行親。忠家奉行之云々。此事被尋濫觴者。信濃國住人泉小次郎親平。去々年以後企謀逆。相語上件輩。以故左衛門督殿若君〔尾張中務丞養君〕。爲大將軍。欲奉度相州云々。

※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)2月16日条

捕らわれた主なメンバーがこちら。

一村小次郎近村(いちむら こじろうちかむら)籠山次郎(こみやま じろう)宿屋次郎(やどや じろう)上田原平三(うえだはら へいざ)父子3名薗田七郎成朝(そのだ しちろうなりとも)狩野小太郎(かのう こたろう)和田義直(わだ よしなお。四郎左衛門尉)和田義重(よししげ。六郎兵衛尉)渋河兼守(しぶかわ かねもり。刑部六郎)和田胤長(たねなが。平太)礒野小三郎(いその こさぶろう)保科次郎(ほしな じろう)粟澤太郎(あわさわ たろう)父子青栗四郎(あおぐり しろう。安念の親族か)木曾瀧口(きそ たきぐち)父子八田三郎(はった さぶろう。八田知家の親族か)和田(実名不詳、義盛の親族か)奥田太(おくだた。太郎の略記)奥田四郎(しろう。奥田太郎の親族か)伊勢国金太郎(いせのくに きんたろう)臼井十郎(うすい じゅうろう。上総介八郎広常の甥)狩野又太郎(かのう またたろう。前出の小太郎親族か)

……などなど。彼らの取りさばきは小山朝政(演:中村敦)・二階堂行村・結城朝光(演:高橋侃)・金窪行親(かなくぼ ゆきちか)・安東忠家(あんどう ただいえ)が奉行することに。

君側の奸、義時討つべし!(イメージ)守川周重筆

謀叛の張本人は信濃国の住人・泉小次郎親衡(いずみ こじろうちかひら。泉親平)。一昨年(建暦元・1211年)から叛逆をたくらんでおり、亡き源頼家(演:金子大地)の遺児・栄実(えいじつ。千寿丸、父の死に伴い出家)を担ぎ上げて義時を滅ぼそうとしていたとのこと。

「これほど多くの反感を買っていたとは……慎重に対応せねばなりませんな」

義時はもちろんのこと、源実朝(演:柿澤勇人)や大江広元(演:栗原英雄)にも緊張感が走ったことでしょう。

志を果たすまでは……薗田七郎かく語りき

さて、そんな中、捕らえていた薗田七郎成朝が脱走しました。

囚人之中。薗田七郎成朝遁出預人之家逐電。今夜先向于祈祷師僧〔号敬音〕。坊。談日來子細。坊主勸云。今度叛逆衆。皆不可破四張之網。只今一旦雖遁出。始終定難成安堵之思歟。須遂出家者。成朝答云。与力事者勿論。但依時儀令逃亡者。上古有名譽之將師等所爲也。而無左右遂素懷者。頗似無所存。就中年來有受領所望之志。不達其前途者。不可及除髪云々。僧甚笑之。無再言云々。其後聊盃酒。臨半夜退出。不知行方云々。

※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)2月18日条

「冗談じゃねぇ、このまま終わってたまるかよ!」

追手を掻いくぐった七郎は、日ごろ懇意にしていた僧侶・敬音(けいおん)の元へ逃げ込みます。

「それは大変でしたな」

七郎をねぎらいながら、しかし敬音は諭しました。

悪いことは申しませぬ……出家を勧める敬音(イメージ)

「このまま逃げても逃げ切れるものではないし、よしんば逃げおおせたとしても常に追手を恐れて暮らさねばならぬ。ここは堂々と弁明するか、あるいは潔く出家された方が御身のためとは存ずるが……」

しかし、七郎はこれを撥ねつけて言い放ちます。

「断る。此度の謀叛は紛れもない事実。とは言え事破れた者がいっとき身を退くのは恥ではない。かねて国司になりたいとの志を持っており、出家してしまったらそれも叶わぬ。きっとそれを叶えるまで、それがしは死ぬことも出家もせんのじゃ!」

これはまた大層な心意気。野心のために謀叛に加担して何が悪い!とばかりの開き直りが心地よく、敬音は笑って七郎を見送りました。

成朝逐電之間。縡露顯。被召出件僧。被尋問之處。成朝申状之趣。悉以言上。將軍家聞食之。受領所望之志事。還有御感。早尋出之。可有恩赦之由云々。

※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)2月20日条

そんなことがあって2日後、七郎の脱走が発覚しました。2日間も気づかないって、一体どんな監視体制だったのでしょうね。

「彼奴めはかくかくしかじかと申しておりました……」

敬音からの報告を受けて、実朝は感激。

「気に入った!その心意気に免じて罪を赦し、国司の願いを叶えてやろう。ただちに探し出すのだ!」

え、いいんですか?……義盛の願いは叶えられなかったのに……周囲の御家人たちも困惑したことでしょうが、その後、七郎が姿を見せることはありませんでした。

辞世の和歌に感激した実朝、渋河刑部の罪を赦免

また、こんなこともありました。

囚人澁河刑部六郎兼守事。明曉可誅之旨。被仰景盛訖。兼守傳聞之。不堪其愁緒。進十首詠歌於荏柄聖廟云々。

※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)2月25日条

「渋河刑部(六郎兼守)につき、明日の明け方に処刑すべし」

安達景盛(演:新名基浩)からの命令を聞いて、兼守は深く悲しみました。

「しかし、今さらジタバタしても始まらぬ。この思いを辞世に詠み、同じく無実の罪で太宰府へ流された天神様(菅原道真公)にお聴き願おう」

というわけでさっそく十首の和歌を詠み、それを荏柄天神社に奉納させます。

荏柄天神。今も多くの人々に崇敬される。

と、ちょうど参籠(さんろう。祈祷のためお籠り参拝)明けの工藤藤三祐高(くどう とうざすけたか)がこの和歌を見つけて実朝に献上。

翎。工藤々三祐高。去夜參籠荏柄社。今朝退出之刻。取昨日兼守所奉之十首哥。持參御所。將軍家依賞翫此道給。御感之餘。則被宥其過矣。兼守愁虚名奉篇什。已預天神之利生。亦蒙將軍之恩化。凡感鬼神。只在和哥者歟。

※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)2月26日条

「こんな美しい歌を詠める者が、謀叛など企んだり加担したりなどするはずがない。ただちに処刑を中止し、罪を赦免せよ!」

……とのこと。こうして兼守は命拾いしました。「およそ鬼神を感じせしむは、ただ和歌にてありや(凡感鬼神。只在和哥者歟)」とはよく言ったものです。

しかし薗田・渋河両名の事例を見ると、実朝も結構豪快と言うか軽卒な面があったようで、ちょっと心配になってしまいますね。

霽。謀叛之輩。多以被遣配所云々。

※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)2月27日条

そんなこんながありながら、謀叛の発覚から12日が過ぎた2月27日、判決の出た者たちからそれぞれ配流先へと送られていったのでした。

張本人・泉親衡は鎌倉を脱出、行方不明に

天翎。今度叛逆張本泉小次郎親平。隱居于違橋之由。依有其聞。遣工藤十郎被召處。親平無左右企合戰。殺戮工藤并郎從數輩。則逐電之間。爲遮彼前途。鎌倉中騒動。然而遂以不知其行方云々。

※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)3月2日条

ところで、これほどの大騒動を惹き起こしておきながら、張本人の泉親衡はどこへ行ったのでしょうか。

月が替わって3月2日、どうやら親衡が筋替橋(違橋)の辺りに潜伏しているとの情報が入ってきました。鶴岡八幡宮から徒歩3分、鎌倉御所から徒歩5分ほど、めちゃくちゃ燈台下暗しですね。

さっそく現場へ工藤十郎(くどう じゅうろう)らが派遣されたものの、敵もさるもの。親衡は果敢な抵抗によって十郎ら郎従数名を殺害、包囲を突破して鎌倉を脱出。

泉親衡の追捕に急行する工藤十郎ら(イメージ)

「追え、逃がすな!」

必死の捜索もむなしく親衡はそのまま消息を絶ち、歴史の表舞台から姿を消します。こうして泉親衡の乱はスッキリしない幕切れとなったのでした。

【下へ続く】

※参考文献:

石井進『日本の歴史(7) 鎌倉幕府』中央公論社、2004年11月五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 7頼家と実朝』吉川弘文館、2009年11月笹間良彦『鎌倉合戦物語』雄山閣出版、2001年2月細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月三谷幸喜『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 完結編』NHK出版・2022年10月