箱根駅伝でエース区間を走った湯澤舜は初マラソン時に痛感。「大学でやってきたことだけじゃ無理だな」
パリ五輪を目指す、元・箱根駅伝の選手たち
〜HAKONE to PARIS〜
第7回・湯澤舜(東海大―SGホールディングス)後編
前編はこちら>>箱根駅伝で「2区でいくと言われてもうれしくなかった」
2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、箱根駅伝に出場した選手たちへのインタビュー。当時のエピソードやパリ五輪に向けての意気込み、"箱根"での経験が今の走り、人生にどう影響を与えているのかを聞いていく。
※ ※ ※ ※
2022年の東京マラソンで日本人3位。MGCの出場権を獲得した湯澤舜
「自分はロードが好きだし、地道に努力するタイプなので、マラソン向きだと思っていました。大学でも距離は踏んでいて、月平均で750キロ、夏合宿では1000キロ以上走っていました。月間の走行距離は部内で必ずトップ3に入っていたと思います」
チーム内が箱根での優勝の余韻に浸るなか、湯澤は2月の熊日30キロロードレースと3月の東京マラソンに向けて始動した。マラソンに向けての練習は決して十分ではなかったが、大学4年間で培ってきた力がどこまで通用するのか。実業団でいいスタートをきるためにも自分の現状を把握したかった。
「東京マラソンは、スタートからしびれました(苦笑)。自分は準エリートだったので、スタート30分前にスタート地点に移動したんです。でも、その日は大雨でめちゃくちゃ寒くて、アップもできず、ただ立って待っているだけ。スタートして10キロ走ってようやく走れるようになった感じで、これはダメだと思いました。結局初フルマラソンは2時間20分ぐらいかかってしまい、この日のレースはあまり参考にならなかったですね。ただ、大学でやってきたことだけじゃ無理だなというのは実感しました」
後半の失速対策に自重トレーニングそれから3年後、同じ東京マラソンで湯澤は2時間7分31秒で自己ベストを出し、日本人3位となって2023年秋に開催されるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)の出場権を獲得した。それは、2021年のびわ湖毎日マラソンで2時間4分56秒の日本記録を出した鈴木健吾(富士通)の走りを見て刺激を受け、コツコツと取り組んできた成果だった。
「自分は、実業団に入って後半粘れるところは一段階上げられたんですが、びわ湖での健吾さんの走りを見ているとそれだけじゃ足りないと思ったんです。記録と結果を出すためには、後半のペースアップが大きな課題でした。やっぱり35キロ付近から、みんなペースを維持するか、ちょっと落ちていく感じなので、なかなか上げられる人がいないんです。でも、そういう選手にならないと日本のトップを争うレースや世界の舞台では戦えないと思いました」
そのために湯澤は練習で走ったあとに自重を使ったトレーニングを行ない、さらにそこから足を動かす練習をこなしている。地道で苦しい練習を積み重ねた結果、レース後半にも足が使えるようになり、後半の失速も少なくなった。
それが、今年3月の東京マラソンの結果につながった。
「東京マラソンの目標は、2時間8分切りとMGCの出場権獲得でした。レースは、25キロぐらいまでキロ3分をきるペースで行ったんですが、そこまで引っ張ってきた選手が引っ張れなくなった瞬間に、みんな前に行きたくなかったのか、牽制したのか、1回ペースが落ちてしまったんです。それはもったいないと思って、30キロ過ぎにもう1回ペースを上げようと、自分は使われる覚悟で前に出たんです。そこで自分がペースを上げたと周囲の人に言われたんですけど、ペースが上がったのではなく、自分は元に戻したという感じでした。そうしたら周囲の選手が落ちて行ったんです」
そこから日本人トップとなった鈴木はさらにギアを上げて前に出ていった。勝負レースであれば遅れるわけにはいかないが、湯澤はこのレースの目的を達成することに重きを置いて自重した。
「健吾さんは、オレゴンの世界陸上のマラソン代表選考があり、勝ちにいくレースだったので、前に出て行ったんですが、自分は勝負よりもタイムをきることが重要で、そこで冒険しなくてもいいと思っていました。結果的に狙いどおりにMGCを獲れたのは、すごく大きかったですね。本番までの間、いろいろ試すことができますから」
練習する姿でチームを引っ張っていきたいMGCに向けて時間的な余裕ができたので、後半のペースアップのための練習や他の課題にも注力することができる。同時にMGCを獲り、レース以外の活動も増えていきそうな感じがするが、湯澤にはイベントに出演したり、SNSで積極的に自己発信していく感じがない。東海大時代もそういうことは主将の湊谷(春紀・現NTT西日本)や黄金世代に任せていた。
「イベントも含めて表に出るのって苦手なんですよ(苦笑)。SNSも陸上のアスリートの皆さんがけっこう頻繁に発信しているじゃないですか。自分は、投稿とかしていなくて、ほぼノータッチ。自分がいいなと思ったものでほどほどにやるのがいいのかなと思っています」
SGホールディングスでは、今年から副将になった。チームのキャプテンに次ぐ立場として、選手たちをリードしたり、チームを引っ張る役割が求められる。その役割も湯澤は自分らしく全うしようとしている。
「自分は副将ですけど、言葉で引っ張るというよりも練習での姿で語っていくイメージです。自分はこれまで努力というか、泥臭くやってここまできているので、そういう部分は練習でしか見せられないと思うんです。コミュニケーションをとりつつ、練習で引っ張っていって、チームとしてはニューイヤー駅伝で勝てるようにやっていこうと思っています」
大迫傑さんのように安定した結果を今夏、湯澤は北海道マラソンを走った。コースは、昨年の東京五輪のマラソンコースをベースに、デザインされたものだった。今回は結果こそ出なかったが、湯澤は1年前、東京五輪のレースを見て、決意を新たにしたことがあった。
「東京五輪のマラソンで大迫(傑・ナイキ)さんを見て感じたのは、どのレースも安定して結果を出しているすごさです。やっぱり、どんなレースでも最低限の結果を出せるようにやっていかないと、大事なレースで自分の能力を発揮することができない。大迫さんは、マラソンでの安定感はすごい。自分もそういうところが必要だと思いましたし、東京五輪のレースを見て自分も五輪で走りたい。パリ五輪に出るという目標が明確になりました」
それ以降、大きなレースで勝つために、自分なりの強化に取り組んでいる。月間走行距離は毎月1000キロを超えており、来年のMGCに向けて、やれることは全部こなしていく予定だ。
「前回のMGCは、テレビで見ていました。設楽(悠太・Honda)選手がいきなり前に出ていきましたが、次はもっと堅いレースになるんじゃないかなと思います。みんな勝ちたいと思う気持ちが強いので、お互いに牽制するところが絶対に出てくると思うんです。そういう時、ムダな動きをしないのが大事なことかなと。自分の勝負どころをしっかりと見定めたうえで、そこで決めることができなければダメですね。まずはムダな動きをせず、35キロぐらいまで粘って、そこから勝負していければと思っています」
少し高揚した声から湯澤のやる気や本気度が伝わってくる。MGCの先にあるパリ五輪は、どういう位置づけになるのだろうか。
「五輪は、目指すべきところです。自分は2024年パリ五輪と2028年ロス五輪を狙っていますが、やっぱりパリを走りたいですね。今は、確実にパリに近づいているのを感じられているので、それが実現できるように1年やりきって、MGCに臨みたいと思います」
東海大時代も故障や後輩の突き上げなどで焦ることはあったが、努力を積み重ね、4年間でそれを芯として大きな花を咲かせた。今も自分らしく、同じやり方でコツコツと練習を重ね、力を蓄えている。勝つ可能性は誰にでもあるが、敗れる可能性が低いのは、湯澤のような選手なのだろう。爆走はないが大崩れもない。耐えるマラソンは、湯澤の真骨頂だが、練習で培ってきた後半にペースアップするレース展開で勝負できれば憧れのパリの地が見えてくるはずだ。