東京五輪の閉幕から1年も「負の遺産」は消えない。今後も国民に負担がかかる経費問題をあらためて検証する
「After TOKYO」
オリンピックを考える(1)
東京五輪が閉幕してから1年が過ぎた。開催に関してさまざまな議論があった祭典の記憶は薄れつつあるが、いまだ多くの問題が残っている。オリンピックの在り方を検証する連載の第1回。開催前から疑問の声が挙がっていた経費問題について、当初の予定から大幅に膨れ上がった理由や経緯をあらためて振り返る。
当初の予定から経費が大幅にオーバーした東京五輪
「東京2020大会公式報告書」で公表された1兆4238億円。パラリンピックも含めた約4週間の"お祭り"の開催料としては、決して安くはない。しかし「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」は、6月末の組織解散の会見においても、55%の公費を含んだこの巨額経費を意に介す様子はまったくなかった。逆に、見通しとして公表していた額を下回ったと、自らを評価する有り様だ。
なぜならオリンピックの予算というものは、単なる数字の遊びに過ぎないからである。
2011年から始まった東京の招致活動では、ロンドン五輪の成功に倣い、成熟した都市のインフラストラクチャーを利用し、「低予算でコンパクトなオリンピック」を謳い文句にした。当時の猪瀬直樹都知事は「誤解する人がいるので言う。東京五輪は、世界一カネのかからないオリンピックなのです」と豪語していた。2013年、国際オリンピック委員会(IOC)に提出した立候補ファイルには、大会組織委員会予算3013億円、非大会組織委員会予算4327億円と記されている。
非大会組織委員会予算について、IOCは「直接オリンピック開催に関係がないモノの費用」と定めている。しかし、なぜかそこには競技のために新設される競技場、選手村、MPC/IBCと呼ばれるメディアセンターの建設費も含まれる。それらは開催都市が"勝手に"建設するもののため、費用は組織委員会やIOCではなく、開催都市が負担することとなる。
それでも公費を含め計7340億円が招致段階の予算だったが、組織委員会としては最終的に倍増しようとも責任はない。7340億円はあくまでも、すでに解散した「東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会」が立てた予算であり、組織委員会のそれではないというロジックである(言うまでもなく、組織委員会は招致委員会の仕事を引き継いでいる)。予算倍増のカラクリ
組織委員会にとっては、2016年12月に発表した「V1予算(IOCへ提出する第1回目の予算。2回目以降はV2、V3、V4...となる)」、組織委員会予算5000億円、その他予算1兆円の計1兆5000億円が予算のベース(予備費1000〜3000億円を除く)。彼らにしてみると、開催延期や感染症対策、無観客など、想定外の問題が起こりながら、当初のベース予算を下回ったのだから、「大成功」と胸を張れる結果なのである。
招致から開催が決定したのちに突然、予算が倍増したことにもカラクリがある。そもそも立候補ファイルには、すべての大会予算を計上していない。IOCが指定する基本的な項目の予算のみで、新設する競技場も本体工事費を提示するだけ。実際に大会を開催するために必要な設備費、運営費等は含んではいない。東京五輪では、9つの競技場を仮設で計画していたが(最終的な仮設競技場は6施設)、立候補ファイルに仮設競技場にかかる費用は「0円」と記されていた。
さらに、213億円と立候補ファイルに提示した「輸送」は、V1予算では1400億円、187億円だった「セキュリティ」は1600億円へと、桁まで増やした項目も少なくない。結果として総額が倍増してしまったということではなく、招致の段階から7340億円でオリンピックは開けないことを、組織委員会もIOCも東京都も理解していたということである。
現にV1予算が発表されるまでも「2兆円を超す」「3兆円になるだろう」など当時の森喜朗組織委員会会長、舛添要一都知事の、見通しとしての発言はあった。経費超過の批判が大きくなりはじめると、組織委員会は、8000億円で立候補し、開催決定後、2兆1000億円の予算に膨れ上がったロンドン五輪の例を引き合いに出し、これは決しておかしなことではないと説明していた。
つまり「世界一カネのかからないオリンピック」という言葉は、誤解でも何でもなく、まったくの偽りであり、「東京都には4000億円もの基金がある」との猪瀬都知事のアピールも、何ら意味はなかった。それだけの基金があろうとも、開催にはさらに1兆円以上が必要とされたからである。
本来オリンピックは、非政府組織のIOCが主催する非公的イベントである。チケットの売り上げや、スポンサーから集めた前述の大会組織委員会予算だけで行なわれるモノ。既存の競技場、選手村に使える施設などを借り、3013億円の運営予算で大会をやりましょう、というのが今回の東京五輪だったのである(立候補ファイルには「競技場賃借料」なる予算項目もきちんとある)。
しかしIOCは立候補都市、立候補国政府に、五輪開催に際し「財務保証」を求めている。万が一、大会組織委員会が資金不足に陥った場合、管轄当局が補填することを約束させている(万が一は毎回起こり、それを前提に都市選考が行なわれているわけだが......)。「組織委員会の予算に不足があれば、東京都が補填し、都が補填しきれない場合は、日本国政府が補填する」と立候補ファイルに明記し、東京都は開催都市を勝ちとった。政府は「経費の必要性の十分な検討」を条件に、2011年には財務保証を閣議了解。2013年には、当時の菅義偉官房長官がIOCの評価委員会に対し、国の財務保証を約束している。
東京都とIOCとの「開催都市契約」には、オリンピックにおけるいかなるコミットメントに関しても、東京都、日本オリンピック委員会(JOC)、組織委員会は履行義務を負い、そこには財務保証を行なう政府も含むとある。単なる約束、声明であったとしても、それが守られない場合、IOCは一方的に訴訟を起こすことのできる契約になっている。つまり、五輪の経費というものは、何兆円に膨らもうとも最終的には、都民もしくは国民が支払わなければならないものだったのである。
開催都市選考で最も評価された「85%の競技会場を選手村から半径8km圏内に配置」したコンパクトな計画も、数字遊びの予算管理でどこかへすっ飛んでいってしまった。経費削減のため、IOCは「オリンピック・アジェンダ2020」で、開催都市以外での競技実施を認め、東京都は都政改革本部にオリンピック・パラリンピック調査チームを設置した。
それらの"努力"の結果として、競技会場は全面的に計画が見直された。静岡県、埼玉県など都外の既存設備の活用が見直しの中心となり、自転車トラックやバスケットボールなど12の会場を変更した。5000億円と予想された施設整備費の削減には貢献したが、競技会場は分散。コンパクトを評価されながら、お金のためにコンパクトさを失ったオリンピックとなった。
総経費としては、2017年発表の「V2予算」以降は1兆3500億円に落ち着いた。開催の1年延期で、V5予算(2020年)は1兆6440億円と再び増加したが、延期ののち観客のいない大会となった東京五輪は、収入のみならず支出も減り、冒頭の1兆4238億円という最終報告となった。
7340億円で開催すると言われたオリンピックに、なぜ1兆4238億円もの経費がかかったのか。疑問を感じ批判の声を挙げても"馬耳東風"である。東京都と国が財務保証をしているため、組織委員会は予算管理を積極的に行なってはこなかった。まして何がどうなっても損失を被ることがないIOCは、そもそも経費の数字に興味はないだろう。
招致段階での予算はほとんど無意味な数字であること、過去の大会も経費は大幅に超過してきたこと、どこまでを大会経費と見るか定まっていないことなどは、オリンピック産業の関係者には以前より知られてきた。6月に公表された「東京2020公式報告書」にも、経費に関する考え方、変遷について書かれてはいる。
しかし2013年、アルゼンチン・ブエノスアイレスで、当時のジャック・ロゲIOC会長が「TOKYO!」と開催都市を発表した時、どれだけの国民がオリンピックの経費に関して知っていただろうか。
1兆4238億円のうち、5965億円(42%)は東京都、1869億円(13%)は国が負担することになっている。国民には知る権利があるにもかかわらず、組織委員会や東京都、JOC、スポーツ庁を含めた政府組織も、招致活動からここまで十分な説明をしてきたとは言い難い。1兆4238億円以外にも、国立競技場をはじめ新設した7つの恒久施設のほとんどは毎年、計30億円以上の損失を生み出すことはわかっている。まして1兆4238億円でも、「大会経費のすべては計上されていない」という指摘も、会計検査院をはじめ国内外の機関から上がっている。
閉幕から1年が経っても五輪経費の実態のすべては明らかになってはいない。組織委員会は解散し、今後は東京都と国が経費の検証を行なうしかない。しかし、不透明な五輪経費の説明を怠ってきたスポーツ界、東京都、政府組織に、東京五輪の"負の遺産"の検証が期待できるだろうか? 偽りの言葉で五輪を招致し、莫大な公費を投入した責任は誰が取るのだろうか?
さらに、2030年冬季五輪の札幌への招致活動が始まり、再び五輪経費の不透明さを「スポーツのため、未来の子供のため」という曖昧な言葉で覆い隠そうとしている。日本のスポーツ界は、東京五輪の"負の遺産"の検証もなしに突き進むことに何も疑問を持たないのだろうか。