岩内線と興浜北線が廃止された日 延伸・全通の夢半ば -1985.7.1
37年前の7月1日、北海道の国鉄路線「岩内線」と「興浜北線」が廃止されました。
分岐元の路線も廃止&廃止間近
かつて岩内線が分岐していた函館本線の小沢駅。発着ホームが残る(画像:写真AC)。
今から37年前の1985(昭和60)年7月1日。北海道の国鉄ローカル線が2つ、歴史に幕を閉じました。岩内線と興浜北線です。
岩内線は、函館本線の小沢駅(共和町)を起点に、日本海側の港町、岩内駅までをむすぶ14.9kmの路線でした。1912(大正元)年に開業し、人口1万4000人の町民の小樽・札幌方面への交通手段のほか、貨物輸送も活発であったといいます。
かつては、北海道の日本海沿岸へ伸びるローカル線はいくつもありました。南から順に松前線、江差線、瀬棚線、岩内線、留萌本線、羽幌線です。このうち現役なのは留萌本線のみです。
この岩内線、最終的には日本海沿岸を南下し、寿都町を経て黒松内駅に接続する計画で、事業も一部進められていました。しかし国鉄の経営悪化に伴い凍結され、一転して全線廃止が決定します。
なお、小沢駅の南隣の倶知安駅からも、別の路線が分岐していました。羊蹄山の麓をかすめながら、室蘭本線の伊達紋別駅までをむすぶ「胆振線」です。岩内線廃止の1年後に同じく廃止となっています。そして、分岐元であった函館本線自体も、北海道新幹線の開業にあわせ、長万部〜小樽のいわゆる「山線」の廃止が決定しています。
興浜北線は、浜頓別町と興部町をむすび、オホーツク海沿岸部を縦断する路線の一部として、1936(昭和11)年に開業。やはり今はなき天北線(南稚内〜音威子府)からさらに分岐する路線で、浜頓別駅から30.4km南の北見枝幸駅まで伸びたままとなっていました。
オホーツク海沿岸にも、かつては国鉄路線が延々と伸びていました。天北線、興浜北線、興浜南線、名寄本線、湧網線、根北線……いずれも国鉄と運命をともにする形で廃止となっています。
やがて一体となるはずだった「興浜南線」のほうも、興浜北線の廃止の2週間後、7月15日に廃止を迎えています。この興浜南線も、やはり今はなき名寄本線から分岐する路線でした。
岩内線、興浜北線とも、新たな鉄道ネットワークの実現を果たせぬまま、時代の流れとともに歴史を終えた路線でした。