未成年者の「フリーおっぱい」を法で規制するべきか - 赤木智弘
※この記事は2017年12月04日にBLOGOSで公開されたものです
動画投稿サイトのYouTubeで、女性が路上で「フリーおっぱい」と称して、自分の胸を揉ませる動画が話題になっていた。
YouTubeの投稿者の中には、いまや著名人として活躍する人がいる一方で、昨年に事件となった「おでんツンツン男」や、ヤマトの集配所でチェーンソーを振り回した男など、大した再生数も稼げないマヌケによる地獄のような配信も行われているということもある。今回の女性YouTuberも、そうした末端YouTuberなのだろう。エロを利用して再生数をあげようと考えたに違いない。
ただ、そんなしょうもない動画がここまで話題になったのは、その女性が16歳の女子高生らしいということで、問題があるのではないかとされているからである。(*1)
まず、動画を見て、自分が好んで見たい動画では無いとしても、まぁ目くじら立てるようなことではないと感じた。
撮影場所は渋谷駅前だ。通行人が多く人目につきやすいことから、フリーおっぱいという、ともすれば犯罪に身を晒しかねない行為であっても、それ以上の問題ある行為に発展しにくく、交番も近く駅もあることから、もし問題が発生しても助けも求めやすい。
それ以前に周りは動画撮影のスタッフというか、仲間の男性たちが何人かいるので、女性が合意の上で胸を揉まれる以上のことはできない状況だったと言えよう。
これを批判する人たちの中には、フリーおっぱいの呼びかけに応じた、すなわち女性の胸を揉んだ側を指して「こいつらは、普段女性に縁のない連中ではないか」と主張する人たちもいた。
しかし、仮に僕がその場に居たとして、フリーおっぱいを揉みに行くかといえば、行かないだろう。そもそもそうした人のいる往来でそのような行為をすることが恥ずかしいというのももちろんだが、この動画を取っている人達が「フリーおっぱいやってみた」から「フリーおっぱいを揉んだオッサンを尾行してみた」とか「フリーおっぱいを揉んだオッサンの動画を家族や会社に見せてみた」とか「フリーおっぱいを揉んだオッサンを脅迫してみた」に、いつ変化してもおかしくないからだ。
こうした、けっして法的にアウトと言えないながらも、道徳的に怪しい行為を行うのであれば、それは双方に信頼関係が十分にあることが必要不可欠である。そうした意味で、何人もの若い男が周りにいて、撮影もされている中でフリーおっぱいを揉みに行ける人というのは、そうした危ういコミュニケーションをくぐり抜けてきた経験のある人たちであり、むしろ女性に普通に縁がある人なのではないかと思う。
さて、結論を極めて単純に括ってしまうとすれば、あくまでも女性が納得した上で胸を揉ませているのであれば、それは本人の自由意志であり、僕としてはかまわないと思う。
もちろんこうした行為が社会的に不道徳であることも分かるとしても、それでも基本としては本人の自由意志は守られなければならないということが先に経つという立場を僕は取る。
そして何より重要なのは、その人の身体はその人のモノ以外の何物でも無いということだ。
それは、男性が女性の体を自由に性的に利用してはいけないと言うことももちろんだが、それ以上に「親や社会からも、その体は自由である」という意味を大きく含む。
今回僕が危惧したのは、一見、女性を守るかのような言動をしている人達が、彼女たちの身体を「社会のもの」であるかのようにして、この行為を批判したことである。「18歳未満の女性は、このような不道徳な行為をするべきではない」という考え方は決して間違いではないが、ではそうした行為をすること自体を条例などを利用して法的に規制して、そもそもそうした行為をできないようにしようとする考え方には呆れる。
誰かの身体は、決して他の何者かによって規制されたり管理されてはならないのである。
たとえそれが今回のようなフリーおっぱいであれ、またはリストカットのようなものであれ、それを「親からもらった身体を粗末に扱うな」などと批判することは、僕は正しいとは思わない。
そうした考え方はいずれ「誰かの身体は権力者のものである」という考え方に行き着き、多くの弱い立場の人たちを追い込むのだ。子供の結婚を親が決めていた時代は、決してはるか昔では無いのである。
僕は「青少年健全育成条例」のようなものは極めて不健全であり、子供の成長を妨げると考えているが、最近では学校教育での道徳教科化などを始めとして、子供の行動を規制や道徳で縛り付ける考え方が受け入れられつつある。そうした中で起きた、今回のような、ごく一部の子供の道徳的逸脱が、また世間の規制強化、道徳教科の声を生み出すことに危惧している。
では、法的規制もせずに、子供を自由にさせながら、一方で子供たちを守るためにどうすればいいか。
僕は子供たちに「愚行も自由であるが、できる限り賢明であれ」という言葉をかけてあげたい。
フリーおっぱいをやるなとは言わないから、「自分の顔や素性はできる限り隠しておけ。そしてやるなら危険の少ない場所でやれ」と。
そうした意味で、周りに男性の仲間が居たのは間違いではないし、渋谷駅前という場所も良かった。ただ顔出しでするべきではなかったし、注目されているのと、「私だったら注意する」とか言っている人も含めて、他人に良いようにおもちゃにされるのは、全くその意味が違うということは自覚して欲しいと思う。
あと、成人女性のセクシーなエロ動画がたくさん転がっているネット動画で、たかだか女子高生が半笑いでおっぱい触らせただけで話題になると思っているなら甘すぎるということも言っておきたい。
子供に対してそうした「やってもいいけど、やるならやるで上手くやれ」という知恵を授けるのが、本当の大人の役割であり、子供を守るためと称して法で縛るやり方は、むしろ大人の役割を放棄した、子供のリモートコントロールのような馬鹿げたやり方であると、僕は考えている。
*1:YouTuber「フリーおっぱい動画」投稿で炎上 渋谷路上で60人近くに胸もませる実験(エキサイトニュース)https://www.excite.co.jp/News/smadan/E1511848103387/