※この記事は2017年11月03日にBLOGOSで公開されたものです

学校の不適切な指導によって児童生徒が自殺することを「指導死」と呼ぶ。社会問題化される傾向が出て来ており、最近でも報道がされている。今年3月、福井県池田町の中学校の2年生男子生徒(当時14)が自殺した。有識者らによる調査委員会が作成した報告書によると、生徒の自殺の要因は、担任や副担任による厳しい指導や叱責が重なったことによりストレスが高まったことと結論づけたという。

そんな中、10月14 日、シンポジウム「きょうだいらが語る指導死」(主催・指導死親の会)が開かれた。(上)に続いて、残りの2人の発表を掲載する。

理不尽な指導が繰り返され、居場所を失った弟。姉が語る道立高校吹奏楽部指導死

前回は、運動部の顧問による体罰が絡んだ生徒の自殺について紹介したが、文化部である吹奏楽部の顧問による指導でも起きている。2013年3月3日、道立高校の1年生の男子生徒(当時16)が自殺した。この事件では、遺族が原告となり、北海道を相手に訴訟となっている。

亡くなった生徒は中学校から吹奏楽部を始めた。高校でも吹奏楽部が活躍しているところを選び、東日本大会を目指していた。先輩も活躍を認めてくれており、秋頃には学年のリーダーを任されるほどだった。しかし、他の部員から嫉妬されたためか、生徒の提案は取り入れないなどの扱いを受けていた。12月になると、生徒は悩み、部活動も休みがちになっていた。

13年1月、この生徒をよく思っていなかった同学年の男子部員、Aくんとメールで、部活の参加態度などを巡って言い合いになった。売り言葉に買い言葉のようなやりとりだったが、Aくんがそのときのやりとりを学校に提出。その中で「殺す」という言葉があったことが問題視され、亡くなった生徒だけが学校の指導の対象となった。反省文を書かされることになるが、Aくんから「消えろ」と言われた気持ちを弁明する機会はなかった。

「部員同士のメールトラブルで指導 なぜ弟だけが....」

部員同士のトラブルで学校組織の指導の対象になったためか、顧問は「お前は吹奏楽部の今までの功績に泥を塗った」とまで言った。そして部員全員に謝罪するように言われ、無期限でメールが禁止とされた。生徒は部活を「居場所」のように思い、続けたいと思っていたために、従わざるを得なかった。

姉は、一連のことを弟から話を聞いていた。「(メールのトラブルで)弟だけが指導を受けた。たくさんの教師が指導に関わっていたのに、なぜ、『殺す』とメールをしたのか、という背景を考える教師はいなかった。私は『部活をやめちゃえば?』と言ったが、弟は『辞めさせられなくてよかった』と言っていた。そこまでして頑張りたいものがあるなんて立派だなと思っていた」

しかし、トラブルはここで終わらない。2月下旬、Aくんが、事実とは異なる噂話を先輩や顧問に伝えた。A君は「潰す方法がわかった」と言い、先輩とコソコソ話をしていた。それを生徒は気にしていた。そして、3月2日、生徒は顧問に音楽準備室に呼び出された。Aくんの言ったことの事実確認もせずに、一方的に責め立てた。「今後部活を続けたいか?」と聞かれ、「続けたいです」と答えた生徒に、顧問は「条件がある。もう誰とも連絡をとるな、喋るな、行事に参加しなくてもいい。与えられた仕事だけしていればいい」と言われた。

「どうしてこの条件を受け入れなければならないのでしょうか。トラブルになりそうな生徒を(吹奏楽部から)辞めさせようとしていたのか。(2月の指導は学校組織での対応だったが)3月の指導は顧問の単独で行われた。少なくとも他の教員が関わっていれば、『犯罪者扱い』や嘘つき呼ばわりはされなかったのではないか。弟は顧問の指導で自尊心を傷つけられた。想像するだけでも苦しい」

「学校での所属の欲求に家族は答えることができない」

こうした問題が起きたときに、「部活をやめてしまえばいい」「学校を辞めてしまえばいい」という意見もあるだろう。しかし、3月2日の指導の話を聞いても、姉は弟に言えなかった。「吹奏楽部は弟にとっては宝物。家族はそれを奪えない。あのとき、学校を辞めさせて、病院に連れて行ったならば、弟は死ななかったのかしれない。しかし、要らない人間として扱われたことを考えなければならない。弟はすでに、3月2日の時点ですでに殺されていたんだと思う。それでも、学校に行かなきゃ解決すると本当に言えるのだろうか」

家族は弟の話を聞いていた。姉はこう続けた。

「母は弟に丁寧に関わっていたと思う。家族は悩みを聞くことはできた。しかし、学校での所属の欲求に家族は答えることができない。家族が優しくしていれは自殺をしないわけではない。部活の保護者は『親がフォローしてあげないから』と言っていたが、家族だけでは救えない。こんなことが繰り返されないように考えて欲しい」

指導死の場合、指導される理由が何かしら存在する。その理由が、教育的な立場から見て、合理的な場合も、理不尽な場合がある。先の道立高校吹奏楽部の指導死では、一回目の指導では、なぜ、トラブルの当事者の一方だけが対象になったのかは理不尽だ。二回目の指導でも、一回目と違って組織対応をせず、顧問の個人的な対応だったことは恣意的な、あるいは感情的な対応だったことを想像させる。

指導前に校舎から飛び降りた弟 兄が語る首都圏私立高校カンニング指導自殺

一方、指導そのものは合理的な範囲でも、配慮が欠けていたために、指導によって生徒が自殺する場合がある。09年5月29日、首都圏の私立高校3年生の男子生徒(当時17)が校舎から飛び降りて自殺した。

この日は、1学期の中間試験の最終日だった。午後の英語のグラマーの試験中、カンニングペーパー(英語のものではない)を持っていたことが発覚する。試験中だったために、そのまま時間まで教室に座らせていた。試験が終わると、職員室で注意や指導を受けることになった。教室は3階。職員室は2階にある。そのため、階段で降りて行った。その途中、生徒指導の教諭と偶然、鉢合わせをする。試験監督をしていた教諭が生徒指導の教諭に引き継ぎをした。

そのとき、生徒指導の教諭は生徒が荷物を持ってないことに気がついた。そのため、一人で教室に荷物を取りに行くように指示した。そのまま、生徒は3階に上がり、教室に向かった。そのとき、試験が終わったこともあり、ホームルームが行われていた。そこで、教室に入ることなく、4階に登り、廊下側の窓をよじ登って飛び降り自殺した。

「弟は恥ずかしがり屋で前に出ないタイプ。みんなから注目を浴びるのが嫌い」

兄の基哉さんは弟について「(弟が通った高校は)進学校だったが、弟は入学する時も良好ではなかった。進学のときも留年ぎりぎりだった。勉強で悩んでいたのかな?学校は休まず、好きだった。部活はバトミントン部で、友達が泊まりに来たことあった」と話す。

荷物を教室に取りに行けなかったことについては、「弟は恥ずかしがり屋で前に出ないタイプ。みんなから注目を浴びるのが嫌いだった。小学校の頃に風邪をひいて、午前中、病院に行った。途中からでも学校に行けたが、そうすると、目立つことになる。そのために、学校を休んだことがあった」と、過去に似たようなエピソードがあったことも明かした。教室内でホームルームが行われているときに、荷物を取りに行く。ましてや、カンニングの指導のために、職員室に行くためだ。明らかに目立つだろう。

「指導死は、亡くなった本人にも少なからず原因がある場合がある。弟の場合はカンニングだ。それに、『そんなことで死ぬのは、心が弱かったから』と言われ、共感されにくい。母が近所づきあいをやめたのも、批判の対象になるからじゃないかと、私は感じている。それがいじめによる自殺とは違っている。まだ社会が指導死を知らない。かつて、いじめ自殺でも、『いじめられる方にも原因がある』と言われていた時代があったが、社会の受け止め方が変わってきている」

「故意による死」として「災害共済給付金」は支給されず。だが、「弟の死は無駄じゃない」

この件で、遺族は学校と生徒指導の教諭相手に訴訟を起こしたが、和解となっている。一方、高校生による自殺は「故意による死」として「災害共済給付金」の対象外になったため、独立行政法人日本スポーツ振興センターに対し、支払いを求めて訴訟を起こしたが、最高裁で上告棄却となり、敗訴となった。

「センター相手の訴訟に敗訴したことは残念でしたが、裁判したこと自体は後悔していない。両親や私の言い分を書面にできたし、何もしないで終わるのは、両親としても嫌だったのではないか。センターはその後、(高校生の自殺でも給付金の対象になるなど)態度を変える兆候が見られることから、弟の死は無駄じゃない」

高校生の自殺は「故意による死亡」とされ、「本人の攻めに帰するべき災害であり、相互扶助の理念に基づき救済すべき災害とは言えない」とされ、災害給付金の対象外だった。しかし、前回取り上げた、愛知県立刈谷工業高校野球部の顧問によるパワハラ自殺の件で、「学校の管理下において発生した事件に起因する死亡」と認めて、災害共済給付の対象となった。

さらに、16年9月の閣議決定で、高校生でも、「いじめ、体罰その他の当該高校生らが責めに帰することができない事由により生じた心理的負担による故意に死亡したとき等」は、災害共済給付の対象となると、改正を行なっている。

弟の死後に訪れた日常の変化

基哉さんは最後に、弟の死によって日常生活が変わった点について「変わったことを上げればキリがないが、母は近所にいろいろ言われるのが嫌なので、町内会も抜けた。近所を一人で歩くことをしない」と話す。

一方、自分自身でも、『きょうだいいるの?』と聞かれたときに、どう答えていいのか困ることがある。『いない』と言えば、弟の存在を否定したことになる。『いる』と言えば、説明をしなければならない」と、他人にとっては何気ない会話でも困惑することがあることを述べた。さらには裁判を経験したことで、「事件があったからこそ、弁護士になりたいと思った。将来は子どもや学校の事件に積極的にかかわることができる弁護士になりたい」と話していた。

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シンポジウムに登壇した4人は、初めての発表ということもあり、原稿やレジュメを作成している途中で、泣いたり、思考停止したり、逃げたりしていたと、各々が話していた。眠れないこともあったという。その作業は辛い作業だ。しかし、そうまでして伝えたいことがあった。きょうだいらが体験した、あるいは感じていたものは、親と違った面も経験している。まだ十分に伝わらないこともあるだろうが、今後も発表する機会があるだろう。まだ言えずにいることも言葉にできるようになるのかもしれない。