※この記事は2017年11月02日にBLOGOSで公開されたものです

学校での不適切な指導によって、児童生徒が自殺をすることは「指導死」と呼ばれている。10月14日、シンポジウム「きょうだいらが語る指導死」が開かれた。主催は「指導死親の会」。同会によるシンポジウムは7回目。これまで、自殺した子どもの親が話をしてきたが、きょうだいや部活動の先輩が話をしたのは初めて。4人の話を2回にわけて掲載する。

先輩が語る大阪・桜宮高校バスケ部体罰自殺と学校や部活動の体質

2012年12月22日、バスケットボール部の顧問をしていた男性教諭がキャプテンの2年生に体罰を与えて、翌23日に、生徒が自殺をした。調査によると、バスケ部では顧問による体罰が常態化していたことが、橋下徹市長のもとで明らかにされた。自殺した生徒も前夜には30~40回、殴られていたという。

結局、自殺した生徒が出たことで、顧問だった男性教諭は懲戒免職。13年9月、大阪地裁(小野寺健太裁判長)は元顧問に懲役1年、執行猶予3年の有罪判決を下した。また、16年2月、東京地裁(岩井伸晃裁判長)は、体罰と自殺の因果関係を認め、大阪市に対して、7500万円の損害賠償を命じた。市は元顧問に対して、延滞損害金を含む賠償金(約8720万円)の半額(約4360万円)を負担するように求めて、大阪地裁に提訴する方針だ。9月市議会で議案が可決した。

部活動の2年先輩だった谷豪紀さんは「高校に入る前では体罰があることは認識していなかった。中学時代に『高校では厳しい環境に身を置きたい』と思ったが、実際の高校での部活は衝撃的だった」と、部活の体質に違和感を覚えた。この問題について、卒業後も考え続けており、自身のウェブサイトでも発信している。

「何かミスをすれば連帯責任。ビンタが痛いから辛いわけではない」

谷さんによると、高校に入学すると、体育学科では1年生が3年生とキャンプ実習をしていた。一緒のテントで過ごすことで、トップダウンのコミュニケーションを刻み込まれることになる。直立不動であいさつをし、校歌を歌ってからお風呂に入るといった生活を過ごすことになる。

バスケ部の体罰については「平手打ちが一番多い。悪いことをした時というよりも、指導したようなプレイができないときに殴られた」と話す谷さん。しかし「それは手段の一つでしかない。何かミスをすれば連帯責任となり、正座をさせられた。ビンタが痛いから辛いわけではない」と、体罰は、部活管理の一手法だったことを明かした。

実は11年にはバレーボール部顧問の男性教諭が体育館倉庫や更衣室で部員6人に約250回、平手打ちや体を蹴るなどの体罰を行なっていたことも公益通報によって発覚している。

「殴られた生徒が違和感を覚え、声をあげ、外部の大人に報告した。当時は、(報告した生徒は)教師からも他の生徒からも『何をしているんだ!』とか『部活をしたくないのか!』と言われ、相当除け者にされた。このとき、バスケ部の体罰は隠蔽された。顧問は『お前ら、教育委員会に言ったりしていないだろうな』と言っていた。部活で勝ちたいという思いに対して足を引っ張るなということだろうが、私は違和感を覚えた」

「学校を辞めれば人生の終わり。自殺と同義という感覚」

では、どうして部活をやめたり、別の部活に行かないのか?という問いもあるだろうが、「子どもたちにとってはビンタの痛みというよりも卒業できない恐怖がある。桜宮では、水曜日に部活が単位に組み込まれている。部活をやめるということは単位が取れないことを指す」という。部活をやりたいという気持ちの問題だけではなく、システムとして部活をしないといけない体制になっていた。

他の部活に移籍はできないか。「バスケ部員が許してくれるのか、他部活の部員が受け入れてくれるのか」という不安に駆られているという。さらには学校をやめるという手段もあるだろうが、「高校生は世界が限られている。そこから抜けるのは勇気がいる。学校をやめれば人生の終わり。自殺と同義という感覚であり、私もそうでした」と振り返った。

谷さんはこう続けた。「思っている以上に、子どもたちは大人のことをよく観ている。ルールを破り、理不尽に尊厳を傷つける大人を軽蔑している。そして、強い憎しみを持って監視している。私が在校していた時も、体罰をしていた顧問が同級生や後輩に同じことをしてないか監視をしていた。ただし、自分自身が強い部活動に入りたいという気持ちもある。周囲の気持ち、期待もある。簡単に、体罰をやめれば、勝利を目指さなければ解決するという問題ではない」

愛知県・刈谷工業野球部パワハラ自殺 亡き兄や両親への思いを語る

部活の体罰は一校の努力でなくすこともできるが、本質的には多忙な教員、部活動で名を売る学校、地域社会の期待、勝利至上主義など、個々の問題ではない面も大きい。愛知県立刈谷工業高校の野球部顧問によるパワハラ自殺にも同じことが言える。11年6月、同校の野球部に所属する山田恭平さん(当時16)が自殺した。このことについて、妹さん(現在、高校3年生)が話をした。

同部では体罰や暴言が常態化していた。恭平さんへの暴言はあったが、体罰はない。ただ、体罰のあるムードを嫌っていた。小学1年生から野球をしていたが、6年生のときに、怒鳴るコーチが就任したことを理由に、少年野球をやめたことがある。恭平さんは怒鳴られていないが、他の部員が怒鳴られているのを見るのが辛く、続けられなかった。

今では児童虐待の「心理的虐待」の中に「面前DV」が含まれている。本人が暴力を受けなくても、暴力を受けたのと似たようなトラウマとなる。家庭内ではDVだろうが、野球での指導でも同じような心理状態になる可能性がある。また、共感性羞恥、あるいは観察者羞恥という言葉がある。他人が恥をかく(かいているように見える)場面で、自身が羞恥心を覚えることをいう。恭平さんの中にもこうした心理状態があったのかもしれない。

恭平さんは高校の野球部でも、小学校の頃と同じ思いをしていた。そのためか、1年生の3月ごろから、母親に「たるんでるとか、そういう理由で殴る」「止められないのも嫌だ」などと言っていた。そのため、担任と母親に退部の相談をした。しかし、監督は「逃げているだけだ」と退部を認めなかった。

そんな時、5月のテスト期間中、5人の部員が部室横でトランプをしていたことを知った、副部長が数日後に、その5人に体罰を行った。それを恭平さんは目撃。帰宅後、「すげー、嫌なものを見た」と母親に言った。さらに、5月下旬には2軍監督から「ユニフォームを脱げ!消えろ!」と怒鳴られ、以後、練習には行かなくなっていた。

6月6日、副部長がキャプテンを通じて恭平さんを呼び出した。体罰を予感したのか、恭平さんは友人に<ビンタ、タイキック、グーパンチ覚悟>とメールを出した。ただ、翌日の呼び出しには応じなかった。その二日後、廃車置場で見つかった。妹は当時小学6年生だった。

「人の死を理解できなかった」が、遺体を見て「初めてもう話せないんだと思った」

自殺前日の夜、妹は恭平さんの部屋に物を借りに行った。その時に交わした何気ない会話が最後になった。その後、恭平さんは帰宅しないことで、妹は「両親は慌てていたが、事態がつかめないでいたが、なんとも思っていなかった。むしろ、兄がいなくなればイライラすることがなくなる」と感じていた。

10日、妹が学校から帰宅すると、警察が家に来ていた。母親から「恭平くん、死んじゃった」と言われて、妹は「へえ、そうなんだ」としか言えなかった。妹は「人の死を理解できなかった」と言い、両親が泣いているのを見て、「人はあんなに泣けるんだ」と思っていた。そして、兄の遺体を見て、「このとき初めて、もう話せないんだと思った」と言葉を詰まらせた。

部活での過剰な配慮 「大事な部員としてではなく、かわいそうな子として扱われた」

妹はその後、地域の中学校に通う。そこでは過剰な配慮をされる。「私が入っていた部活の顧問は他の部員と同じように怒ってはくれなかったし、無断欠席をしても理由を聞かれなかった。怒られない私は、大事な部員としてではなく、かわいそうな子として扱われた」と、大人の過剰な優しさを嫌がった。と同時に、顧問に対して「2年間も気を遣わせて申し訳なかった」との思いも語った。

中2になると「何もかもがめんどくさい」と不登校だった。自殺が話題になり、いじめで首吊り自殺をした子どもの話を読んで、感想を書くという配慮のない授業が行われた。「そのとき、『自殺はダメだと思いました』と書きました。なんでそう書いたのかはわからない。そもそもそんなものを読みたくなかったし、感想文を書きたくなかった。自殺に関わりたくない一心で逃げていた」。

恭平さんの死後、部活の保護者が家に来て、「殴られるのはあたり前」という話をしていったという。自殺した恭平さんや母親を責めていた。それを見て妹は「大人への尊敬はなくなった」と同時に、「死ぬほど怒れたと思うのに、冷静に向き合った母と、弱音を吐かずに仕事に向かった父。この頃から二人を尊敬するようになった。両親の対応こそ、あるべき大人の対応だと思った」と、両親への思いも述べた。

妹は死にたいと感じたことがあると話してもいた。「人と話すのは難しい。自分自身を好きになれないし、大人には相談できない。このまま辛いだけの人生ならずっと死にたいと思っている」との気持ちも明かしつつも、「でも、私には大切な人がいる。悲しいとき、欲しい答えが必ずしも返ってくるわけではない。その人の存在だけで救われている」とも、大切な人、つまり母親の存在が大きいことも話していた。

(続く)