やりたくない仕事は、その人ができない仕事 - 赤木智弘
※この記事は2017年10月22日にBLOGOSで公開されたものです
ホリエモンこと、堀江貴文氏が「保育士の給料が低いのは?」という問に対して「誰でもできる仕事だからです」というツイートをしたことが、職業軽視として取り上げられている。(*1)
まず、堀江氏のこのツイートを見て、僕は「ああ、理想上の労働市場の話をしているのね」と思った。つまり、待遇という「価格」は需要と供給のバランスによって決定されるのだから、誰でもできる保育士という職業の賃金が安いのは当たり前の話だよということをいいたいのかなと。
しかし、この考え方は間違っている。ハッキリ言えば、需要と供給のバランスによって価格が決定されるという理想的な労働市場は、日本には存在しない。
たしかに経済学の授業で教わる理想的な労働市場は、需要と供給のバランスによって価格が決定される柔軟な労働市場だ。しかし、現実の労働市場には、市場が失敗する、つまり理想的な労働市場にならない要因があちこちに転がっているので、そのような市場は理想としては存在しても、とても現実のものとは言えないのである。
労働市場が失敗する原因はさまざまだが、その最も明確な1つとしては、ごく一部の資産を潤沢に保有している富裕層を除けば、大半の労働者は働くことを辞めることができないという点である。
本来であれば、労働者は自分の利益のために働くのだから、その働きによって得られる利益が割に合わないと感じられれば、仕事をしないという選択ができる必要がある。しかし「働かない人間は人にあらず」を是とする日本社会、すなわち働かなくても社会保障で生きていく道が存在しない日本社会では、働かないということを選択できない。すると、結果として辛くても働きたくない企業でも、働かざるをえない人というのが出てきてしまう。それを上手く利用して利益につなげているのがブラック企業である。
ブラック企業で働いている人の不満に対して「辞めればいいのに」と言う人がいるが、人が仕事を辞めるというのは、決して楽なことではない。ブラック企業は長時間労働かつ、給料が極めて低いことが多く、転職のための情報集めの時間も無ければ、転職時に発生する賃金のゆらぎに耐えるだけの財力もない。いくら待遇に不満があっても、目先の生活のために働かざるをえない状況があるからこそ、人々はブラック企業であっても働き続けるしか無いのである。
そもそも、求人が全ての国民に等しく公開されているということもなく、労働者が全てのスキルを企業に完全公開しているということもないのだから、理想の労働市場というのはあくまでも架空の存在なのである。
ただ、とはいえ「原理原則としてはそうである」とは言えるので、堀江氏のツイートに理を見つけるのであれば、そこしかなかったのである。
しかし残念ながら、堀江氏の続くツイートでそうした理解は間違いであると知ることになる。
残念ながら堀江氏は「ちなみに俺子育て2年ぐらいしてたよ笑 」(*2)とツイートしてしまったのである。堀江氏は労働市場の原理原則の話をしているのではなく、本当に自分ならできると思っていたのである。
ハッキリ言えば、普段月イチで草野球をやっているだけの人が、プロ野球の解説席に座り「俺も野球をやっているから」といってプロ選手にケチを付けるくらいのマヌケさである。
こうした勘違いは決して珍しいことではなく、一家の主婦が毎日料理をしているからと言って「自分もシェフの仕事ができる」と勘違いしたり、掃除好きの人が清掃業者の仕事ができると思いこんだりするのと同じであるなまじ経験があるから、自分の経験がプロの場でも通用すると思い込んでしまうのだ。
しかし、自分の子供に対する子育てと、仕事として他人の子供を預かることは大きく違う。何が違うかと言えば、そこにかかってくる責任がまったく違ってくる。
もし親が自分の子供の怪我をさせたなら、子供を病院に連れていけば済むことだが、業務として他人の子供を預かって怪我をさせれば、もちろんその責任を問われることになる。それが謝罪で済めばいいが、時にはそれでは済まないこともあるだろう。
自分の子供であれば、親はある程度無責任であっても、子供の心傷はともかく、世間的な問題は生じない。しかし、他人の子供を預かって問題を起こせば、当然責任を問われることになる。
確かに、子供を預かる仕事というのは、概ね誰にでもできる仕事だろう。やろうと思えば僕だってできるかもしれない。しかし、それをやりたいかと言えば、僕であればやりたくはない。とても他人の子供を預かるというプレッシャーに耐えられそうもない。
やれるけど、やりたくない仕事というのは、実際には「できない仕事」である。実際、堀江氏は保育士としての仕事などはやっていない。やっていないのだから「できない仕事」である。
やりたい人が少ないのに、子供を預けたい人が多ければ、本来の市場原理に従って、その仕事に対する待遇は上がるべきなのである。にも関わらず上がらないから問題にしているのだ。堀江氏はそのことを曖昧にしか理解できていないからこそ、こうしたツイートをしてしまったのだろう。
保育士に限らず、日本では「やりたい人が少ないにも関わらず、待遇の悪い仕事」というのは山ほどある。一方でみんながやりたがっているのに、待遇のいい仕事というのも山ほどある。
そしてみんなのやりたい待遇のいい仕事に運良くありついた人達が、やりたがらない仕事をやっている人に対して上から目線でエラソーに物申すのが、今の日本のさもしい労働観である。
さて、このように保育というケア労働を見下す、収入が多いだけの人たちは本当にそんなに立派な仕事をしている人たちなのだろうか?
何をやっているかわからない堀江氏の仕事よりも、多くの子供の面倒を見ている保育士の仕事のほうが、よほどまっとうで尊い、重要な仕事であるように思えるのだが。
*1:堀江貴文氏「保育士は誰でもできる仕事」発言に対し賛否分かれる(ライブドアニュース)http://news.livedoor.com/article/detail/13754848/
*2:ホリエモンの「保育士は誰でも出来る仕事」に反論相次ぐ フローレンス駒崎氏「研究者などの専門家が、誤解訂正すべき」(BLOGOS キャリコネニュース)http://blogos.com/article/252962/