※この記事は2017年09月15日にBLOGOSで公開されたものです


「円生と志ん生」が10年ぶりに再演

井上ひさしによる戯曲を上演する「こまつ座」が、「円生と志ん生」を10年ぶりに再演した。新宿・紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAで9月8日~24日(以後、兵庫・宮城・山形にて公演。作・井上ひさし 演出・鵜山仁)。

古今亭志ん生と三遊亭円生、落語史に輝く昭和の名人が、敗色迫る戦中に(酒につられて)関東軍の慰問で満州へ。しかし敗戦による混乱により「満州~大連」で長い足留めを余儀なくされ、ものものしい日々に放り込まれる。

2005年初演/2007年再演では、志ん生=角野卓造 円生=辻萬長
そして今回の2017年版は、志ん生=ラサール石井 円生=大森博史

なにしろ落語ファンにとってはとくべつな存在である名人ふたりの物語だ。少しでも気にかかることがあれば、思い入れの強い落語ファンは、
「えぇ、志ん生というものはァ~」
「テヘッ、どうもこの円生てぇことになるてえと~」
と、なにかしら一過言が止まらなくなりそうだ。残された映像や音声でしか二人を知らない自分ですら、その末席に加わると思う。

「円生と志ん生」今公演が初見の自分は、そんな思いを懐にしのばせ劇場へ。芝居とはいえ、今や逢うこと叶わぬ先人の息遣いに触れたい思い、もしもイメージが違っていたらという心もとなさ、ないまぜのまま幕が開く。

志ん生の役作りで丸刈りにしたラサール石井が登場するなり、「あぁ、志ん生の頭だ」・・・・ふくらみかけた角餅のようにもっこりとした鉢が志ん生を思わせ、クスッとさせられる。石井は志ん生独特の口調も体に入れ、台詞の所々にまぶしている。それを押しすぎない塩梅もいい。

思い返せば石井は「なりきり」という引き出しで、ある種の器用さを持ち続けている。石井光三社長に始まり、「こち亀」の両津勘吉、そして今回は古今亭志ん生だ。(レッツゴー三匹のリーダー正児というのもあった・・・)

いずれも、ほどよくズングリムックリな体型が石井の「なりきり」にアドバンテージをもたらしている。太りすぎず痩せすぎず、背は高すぎず低すぎず、典型的な昭和日本人の中庸フォルム。今回の志ん生も「お毛がなくっておめでたい」坊主頭だけでなく、体型もいい感じでハマっていた。

外側からアプロ―チする石井に対し、円生役の大森博史は内側から役に向かっているように見えた。ご婦人がほっとかない、そんな円生の「色気」をどう獲得していくか。公演を重ねるにつれ、その「らしさ」は醸成していくだろう。井上ひさしのホンが羅針盤として行く先を指し示していた。

「円生と志ん生」、開幕前に抱いていたもやつきは杞憂に終わった。

落語ファンの願望を抽出したような台詞の数々

志ん生を「アニさん」と呼ぶ円生、円生を「松ちゃん」と呼ぶ志ん生。十歳違いの二人が歴史に翻弄され、大連の地で「居残り」となる。いつ来るかわからない引き揚げ船を待ちながら、この混乱期を二人がどう生き延び、その経験が後年の芸にどんな萌芽となったのか。井上ひさしが描く落語ファンタジーに「さもありなん」と度々うなずく中で、印象的だったのは「火焔太鼓」の場面だ。「火焔太鼓」はのちに志ん生の十八番となる噺だが、この一席がいかにして世界観を深めたのかが、こんなシーンで描かれる。

――日々の暮らしにあえぐ志ん生は、流れ流れて中国人街のあばら屋でガラクタに囲まれ、ソ連軍の監視を逃れるように潜んでいた。そこを探し訪ねた円生が、以前に二人が世話になった置屋の女性達の身に不幸が続いたことを知らせる――

<「円生と志ん生」井上ひさし(集英社)より>
孝蔵(志ん生)・・・・明日の朝、どっかそのへんで、うんといい紙を拾ってさ、お見舞いの手紙書こうよ。

松尾(円生) そうしましょう・・・・、

二人  ・・・・手紙!

孝蔵  古いものがお望みならば、小野小町が伊豆大島に流された鎮西八郎為朝に送った見舞い状なんかどうでしょう。うちの自慢の品ですがね

松尾  三蔵法師が天竺から沢庵和尚に送った詫び状がありますが、これは古いですよ。うちが秘蔵する逸品ですよ

孝蔵  古道具屋の噺だな。

松尾  『火焔太鼓』

孝蔵  やっぱりな。

松尾  天才少年はなし家なんて囃されてたころ、そう、十四歳のとき、三遊亭遊三じいさんから稽古をつけてもらいました。

孝蔵  あたしに稽古をつけてくだすったのも、その初代遊三師匠だよ。この噺にはどっか見どころがあるね。工夫すればいいものになる。それで今、せこい古道具屋の店先にいかにも並んでいそうな、せこい古道具を、あれこれ考えてたとこ。

松尾  あたしも同じことを考えていた! 兄さんと長い二人旅をしているうちに、むやみに短い落とし噺がしたくなってしまって。ほら、パパーッと行って、ストンと落とすやつ。

孝蔵  あたしもね、松っちゃんの長い噺を聞いているうちに心を決めたんだ。人情噺のような長いものは、いまのところ松っちゃんに任せて、落し噺を練り上げた方がいいってね。

松尾  すると・・・・・おたがいが、おたがいの師匠だったというわけですね。

孝蔵  うん、そういうこったな。
このあと二人はバカバカしい古道具を言いあって「火焔太鼓」のイメージを広げていく。劇中において「落語」「噺家」を強く感じさせる場面だ。もしもふたりがこんな芸論を交わしていたら・・・・、いや、きっと交わしていたに違いない・・・・、そうして井上ひさしが綴った台詞の数々は、落語ファンの願望を抽出し、同人誌創作にも似た「想像の喜び」にあふれていた。 観劇後、関連の書籍をひもとく。志ん生は当時を振り返ってこんなエピソードを語っていた。
<「なめくじ艦隊」古今亭志ん生(ちくま文庫)より>
そうしていると一月十二日――(※筆者注/昭和二十二年)
日本向けの船が出るという知らせがきたんですよ。あたしたちをのせて帰る船が来たというしらせです。うれしかったの何のって、たれもかれも躍りあがって喜びましたよ。その時分は話といえば、いつ自分たちの順番が来るかてえ、帰るはなしばかりですからね。

(中略)

初めのころのことですが、待ちきれないもんが、御承知のように密航船、あれに随分だまされました。小さな船には乗せるには乗せるのですが、途中で妙なことになっちゃうのが多いらしい、お金だけとられてね。あたしなどもある時すすめられましてね、どうしようかと随分考えましたが、どうにも思案にあまった時は昔のあたしのくせで丁と半できめるのですが、その時も丁半でやって見たんです。丁と出たら帰る、半と出たら乗らねえ、半と出てあたしは密航船にのらなかったんです。もし乗っていたら日本の土はふめなかったでしょうよ。

井上作劇ではこの体験談は採りあげていない。逆に志ん生を密航船に乗せている。志ん生は円生に大金を借りて密航船に乗り込むが近くの島に捨て置かれて大連に逆戻り。スッカラカンで修道院の炊き出しに並ぶ身へと落ちぶれていく・・・・。

芝居後半の骨格を成す「志ん生らしさ」を表す展開だ。だが、志ん生本人が語った「丁半」に命運ゆだねるサイの目まかせの成り行きも「志ん生らしさ」に満ちている。もはや、井上作劇も志ん生実話も、虚実どっちに転んでも志ん生らしいのだろう。虚実どちらも呑み込む、志ん生という存在の生き様のうわばみぶりが、なんだか、なんとも、たまらない。

2019年のNHK大河ドラマで志ん生は誰が演じる?

志ん生と言えば――、再来年2019年に放送される宮藤官九郎脚本によるNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」に、志ん生登場が発表されている。

<NHK「いだてん~東京オリムピック噺~」公式サイトより 2017・4・3リリース>
ドラマの語りは、稀代の落語家・古今亭志ん生。架空の落語『東京オリムピック噺』の軽妙な語りにのせ、“笑いの絶えない”日曜8時のドラマを目指す。また、志ん生自身の波乱万丈な人生もドラマに挿入。生粋の江戸っ子である志ん生の目線で、明治から昭和の庶民の暮らしの移ろい、“東京の変遷”を映像化していく。

いったい、2019年の志ん生は誰が演じるのだろうか。主演は中村勘九郎と阿部サダヲだが、ナレーション役は一年を通じて番組を引っ張る大役だ。NHKから番組概要が発表になった今年の春先、この話題で落語家某師と立ち話をした。

「大河で誰が志ん生役をやるのか、せーので言いあってみましょうか?」 そう持ちかけて、ためしに言いあってみた。「せーの、〇〇〇〇〇」。

双子のリアクションのように声がそろって、同じ俳優の名前が挙がった。名前は五文字。答えが重なり合ったことで、そうあってほしいなという願望が彼しかいないだろうという確信に替わる。

生きることがそのまま芸風と重なった稀代の落語家・古今亭志ん生――、落語と酒とびんぼう、にじみ出るおかしみ。そんな芸人の雰囲気を醸し出せる役者は限られている。いずれこのキャスティングも公式発表されるだろう。もし予想がはずれていたら・・・・、志ん生の「宿屋の富」よろしく「うどん食って寝ちゃう」。

<追記>

舞台でドラマで、志ん生は時空を超えて降臨を続ける。だが年月の経過と共に、志ん生が生きていた時代に間に合わなかった志ん生を知らない世代で日本は埋まっていく。自分もそのひとりだ。遠い存在、だけどとても近い存在。志ん生のことを考えているうちに口ずさんでいた70年代フォークな替え歌で、おあとと交替です・・・・

♪「志ん生を知らない子供たち」
志ん生が終わって僕らは生まれた
志ん生を知らずに僕らは育った

焼き場に向かって歩きはじめる
道中づけをくちずさみながら
噺の名前を覚えてほしい
志ん生の十八番の「黄金餅」さ

線香が終わって二百文なら
けころの若い衆かなしすぎるなら
今の私に残っているのは
涙をこらえて直してもらうだけさ
噺の名前を覚えてほしい
志ん生の十八番の「お直し」なのさ

「替り目」が好きで「妾馬」が好きで
「三軒長屋」で「らくだ」な人なら
誰でも一緒に聞いてゆこうよ
「火焔太鼓」の鳴り響く音を
僕らの名前を覚えてほしい
志ん生を知らない子供たちさ