※この記事は2017年08月19日にBLOGOSで公開されたものです

牛乳石鹸のWebムービーが大炎上をしている。

内容としては「家族や子供思いの優しい父親」であることにふと疑問を覚えた父親が、子供の誕生日であることを分かっていながら家に帰らず、怒られていた部下を飲みに誘ってしまい、怒られるという内容だ。これに対して「子供の心を傷つけた」「胸糞悪い」などという批判が起きている。(*1)

自分も見てみたが、正直言うと、あまり面白いCMだとは思えなかった。芥川賞の選考委員の言を借りれば「独身の僕にとっては対岸の火事」「当事者にとっては深刻だろうが退屈だった」といったところだろうか。

「家族や子供思いの優しい父親」であるということに対して、ふと疑問を抱いてしまった父親の迷いを描いているということは分かる。 その結果として、家族優先、子供優先の場所になってしまった家に帰るのが億劫になり、つい部下が上の人に叱られてたのをいいことに、部下を飲みに誘って相談を聞くフリをしてしまう。部下は怒られた上に誕生日ケーキを持った上司の言い訳のついでに飲みに誘われて、さぞキツかったことだろう。部下こそ風呂で洗い流して貰いたい。

そして致命的なのは、このCMがまったくもって牛乳石鹸のブランドイメージに貢献しているように思えない点だろう。入浴シーンで牛乳石鹸というブランドを思い出してほしいというメッセージは見えなくはないが、ただこのCMでの入浴は、気持ちのいい入浴というよりは、辛い入浴だ。子供や家族から少しでも逃れたい彼の入浴シーンには、ご丁寧に子供用のアルファベット表が貼られている。一人になれるお風呂場ですら、彼は家族や子供にから逃れられないのである。

入浴にいいイメージがないというのは、牛乳石鹸のCMとしてはあまり上手くはないと思う。

さて、このCMが炎上している理由としては「家族や子供思いの優しい父親」という、翼賛される父親のあり方に疑問を呈したと言うことが最大の理由だろう。

もし、この内容を母親で描いたらどうだったろうか。そうだとすれば、よくある「子育て疲れ、家族疲れ」の表現であり、母親だって家族から離れたいときもあるよねと、同情されこそすれ、母親として無責任だなどと叩く人は少なかっただろうし、叩いた側が批判されていただろう。

しかし父親の子育て疲れ、家族疲れはここぞとばかりに叩かれる。そこには「女性はもっとたくさんの子育てや介護をしている」という強い固定観念が存在している。

CMでは決してどちらがどれだけ子育てをしているかという度合いは描かれていないが、少なくとも世間一般には子育ては母親の仕事。父親の子育ては補助程度という固定観念がある。そうした認識があるからこそ、(たくさん育児をする)女性が育児に疲れるのは仕方ないが、(少ししか育児をしない)男性が育児に疲れるのは甘えという考え方に至るのである。

だが、それもまたジェンダーロールの別の側面にすぎないのではないだろうか?

男は仕事、女性は家庭というジェンダーロールが強く批判される中で、男が家庭の面倒を見て、女性が仕事をすることが翼賛される傾向がある。そうした中で「家族や子供思いの優しい父親」は転倒した、逆サイドのジェンダーロールとして機能していないだろうか? このCMを性差別的な観点で批判している人は、その点を考慮しているだろうか?

ジェンダーロールの悪いところは、性別によって役割を付与してしまう部分にある。家族の役割は家族の間で話し合って決めるしかない。このCMに描かれた家族の姿は、よくある「話し合いの足りない家族」の姿であろう。家族の事を雑事であるかのように扱い、自分の自尊心を仕事をしていることや家族を愛していることに預けてしまえば、当然、このような家族の形ができあがる。

すると結論は「洗い流そう」じゃなくて「ちゃんと話そう」である。家族と向き合うことでしか、家族の関係は変わらない。これでは、ますます牛乳石鹸のイメージとは全く関係なくなってくる。

今回はこうして騒ぎになっているし、また炎上するのも、より多くの人にCMを見て貰える機会だと考える人がいるのも分かる。しかし、元々のCM自体に魅力がなければそれは単なるお騒がせの失敗CMである。

批判をする人たちはあまりにジェンダーの問題について考えが浅すぎると思うが、だからといってこのCMが面白いとも思わない。それがひとまずの結論である。

*1:「牛乳石鹸」広告が炎上、「もう買わない」の声 「意味不明」「ただただ不快」批判殺到(J-CASTニュース)
  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170816-00000010-jct-soci