ルポ・生きづらさを感じる人々4 両親の喧嘩中に聞いた言葉から見捨てられ不安に “父親”に甘えたいと育ち直し ~沙織の場合~ - 渋井哲也
※この記事は2017年08月02日にBLOGOSで公開されたものです
政府は新たに「自殺総合対策大綱」を閣議決定した。2026年までに人口10万人あたりの自殺者数(自殺死亡率)を30%以上減らし、他の先進国並の数値に近づける目標とした掲げた。若者の自殺については、過労自殺を防ぐために長時間労働を是正を図るとしている。ただし、虐待以外で、家族関係に要因があった場合はなかなか具体的な方針を示しにくいにも実情だ。
両親が喧嘩中に発した「子どもがいるから別れられない」という言葉を聞いた沙織(24、仮名)は、このときから見捨てられる不安が高まっていく。不安が増すと、うつ状態になったり、自殺願望が高まったりする。はけ口として、自傷行為をしたり、夜遊びを繰り返す。そんな中で日常とのバランスを保っている。現在は恋人を“理想の父親”と見立て、「育ち直し」をしている。
夫婦喧嘩のなかで発せられた一言から見捨てられ不安に
「自分なんかいなければいい」
沙織が最初にそう感じたのは3歳の頃だったという。両親の夫婦喧嘩が原因だった。喧嘩の理由はなんだったのか。
「母親のお金の使い方だと思います。もともと母親は家事をしない。料理らしい料理は出てこない。洗濯物がたためない。家の中は散らかり放題でした。でも、買い物ばかりしているんです。今から考えれば、母親は発達障害の傾向があったのかもしれないです」
直接、沙織が何かを言われたわけではない、喧嘩を見たことによるトラウマでもない。幼い沙織には、理由はともかく、夫婦喧嘩の中で、両親が「子どもがいるから別れられない」と言っていたのを記憶している。そのために、自分がいなければいいと思った。
家族内での居心地はよくなく、見捨てられ不安が強くなった。そうした感覚は、沙織自身の恋愛がうまくいかないときにこそ影響し、死にたい感情が強まっていく。沙織の見捨てられ不安は家族、もしくは家族に近い関係性の人との間柄で生まれることがほとんどだ。そのため、小学校時代のいじめではそうした感覚を抱かなかった。
「友人に重きを置かないないのでしょう。小学校時代のいじめでは、“なにくそ!”と思ったくらいで、深刻にはならなかったんです。気がつくと、友だちとの距離ができていましたが、“寂しい”とは思いませんでした。すでに距離の取り方ができていたのかもしれません」
家族よりも遠い存在の友人からのいじめでは、見捨てられ不安を感じるほどの距離感ではなかったということなのだろう。
死を意識してリストカットを始める
死にたいー。沙織が自殺を強く意識するようになったのは中1の終わり。この頃、自傷行為をするようになった。近所のドラックストアで100円で購入したカッターが一番切れ味が良かったのを覚えている。なぜ手首を切るということで、死を意識することになったのか。
「後から考えれば、手首を切ることと、自殺は違うことはわかります。でも、当時は同じと思っていました。ただ、死にたいとは思うのですが、明確な自殺の手段ではありませんでしたね」
中学時代といった思春期には、こうしたリストカットなどの自傷行為は、周囲に影響を与えることがある。もしかすると、誰かが切っていて、それに影響された可能性はないのだろうか。
「当時は、手首を切っている子はいっぱいいましたよ。私が影響された方ではなく、させた側かもしれません。実際、『沙織が切っていたから切るようになった』と言われたことがあります」
沙織はリストカットをすることで死を意識したものの、そのうち、「リストカットでは死ねない」と思うようになり、目的も変わっていく。
「父と喧嘩をし、怒られた次の日に切ったりしていました。そのまま登校していたんです。深くは切っていませんでした。死ぬことよりも、その時の辛さを緩和することが目的になっていきました。父親に甘えたかったんです」
父への違和感と母親への感情
父親に甘えたいのなら、素直な感情を父親にぶつけるという手段もあるだろう。しかし、実際には父親を他人のように感じている。その意味では、理想化された父親像というものが別にあるのだろう。
父親への違和感は、夫婦喧嘩を見ていたせいもある。母親への感情はどうなのだろうか。母親は精神科に通院し、カウンセリングを受けていることがこの頃わかっている。
「母親はネグレクトだとわかっています。そのため、私自身も育ちきれていないのです。病院に行くまでは、父親だけが悪いと思っていました。病院で母親の話をしていると、母親の発達障害傾向や私に対する影響に気がつきました」
沙織が精神科に行くまでは、父親の無理解による喧嘩ではないかと思っていたようだ。成長していけば、周囲の事情も見えてくるので、感覚も変わる。ちなみに、沙織は中学からリストカットを始めたが痛みの耐性があるようで、切っても手首に痛みを感じない。
「毎日のように切っていました。切ってないところを探さないといけないくらいでした。理由は、(家族関係からくる)慢性的なストレスです。それに、恋愛がうまくいかないこと。毎日が辛かったんです。整理もできないし、糸口がない」
リストカットをしている人を取材していると、痛みに対する感覚がその人によって違うことがわかる。沙織のように、痛みを感じない人は、意識が乖離していることもある。
「血が止まらないくらい切ったことがありますが、痛くはない。骨折直後は痛くないのと同じかもしれません。乖離していたのかもしれない」
この頃の、沙織のストレス発散の方法は、SNSの「モバゲータウン」で日記を書いたり、質問広場で悩みを書き込むことだった。似たような書き込みを探したりもしていた。共感やつながりを求めていた。
高校生になっても両親の喧嘩は止まない。沙織は両親の目の前でリストカットをしたこともある。喧嘩を止めるためだろう。両親の喧嘩が激しいとき、子どもはある役割をする。仲裁役だ。沙織は、問題行動を両親に見せることで、喧嘩の仲裁をしたことになる。
恋人に言いたいことが言えずに.....
高校1年の後半から2年の夏にかけて、沙織は同性の恋人と付き合っていた。ただし、二人で話をしていると、本当の気持ちを言いたいが、嫌われるのではないかと本音を言いたくないとも思っていた。アンビバレントな感情が同居していた。
「自分でも何を言っているのかわかりませんでした。きちんと言語化できないんです」
そんな二人は、お互いに好き同士であったように思うが、お互いがきつくなっていった。嫌われないように、自分をオープンにできないでいたからだ。
「言っていることが支離滅裂だったんです。相手のほうは言語化する能力にたけていた。でも、私は言いたいことが見つからないでいたんです」
関係性は行き詰まった。イライラするようにもなったためか、沙織は、付き合っているときのほうがリストカットの回数が多かった。
「恋人ともめたときの弾みで、学校内のトイレで右の腰を切ったことがあります。手首は日常なので、インパクトがありません。体の右側は切らないようにしていたので、痛みを感じました」
はじめての自殺企図は、恋人との喧嘩が理由だった
初めての自殺しようとしたのもこの頃だ。校舎4階の部屋から飛び降りようとした。部室の前で、恋人ともめ、荒れていたのだ。危険を察知されたのか、担任を呼ばれて、飛び降りるのをやめた。
「校舎の下はコンクリでした。そのため、落ちれば死ぬのはわかっていました。消えたいとも思っていたのです」
“死ぬこと”と“消えること”は、取材をしていると、人によって多少、ニュアンスが違っている。沙織の場合はどういう違いなのだろうか。
「明確に死をイメージできているかどうかの差ですね。消えるは、その場から逃れて助かりたい、逃げたいという感覚です。そのときは恋人ともめすぎていたので、糸口が見えなかったんです。その状態が解決できるのなら、後はどうでもよかったんです」
大学生になると、自傷行為の頻度は減少した。大学が比較的、自由な環境で、かつ、忙しかったせいもあるのかもしれない。
「大学の頃は自傷行為をしない生活が長かったんです。無駄な抑うつ状態はありましたが、それを感じる間もないほど、大学生活が忙しかったからです」
日常生活とのバランスを取るために夜遊び
しかし、4年生になると、そう状態の波も出てきた。周囲が近づけないほどになった。
「この頃は夜遊びがひどかったんです。ハプニグバーや乱交パーティーに行きました。人と会ったり、喋ったりすることが好きなんです。こうした場に依存していました。新宿のネットカフェに泊まり、朝になると大学へ行きました」
出会い喫茶にも出入りしたり、ネットで知り合った人と会ったりもしていた。ご飯を奢ってもらったり、服などを買ってもらったりした。性行為をして金銭をもらうという援助交際ばかりしていたわけではない。
「自尊心を満たしたかったんです。でも、自分のリスクコントロールはしていました。相手のテリトリーでは会わないようにしました」
こうした遊びが、沙織の日常のバランスを取っていたのだろうか。しかし、それも限界になる。社会人一年目の4月に精神状態が悪化した。双極性障害と診断されたのだ。
「発症は16年4~6月ごろのようです。大きいうつ状態を16年の年末に経験したんですが、17年に入ってからは落ち着いている。カウンセリングもうまく行っている」
ただし、「死にたい感情」は浮き沈みを繰り返している。16年11月ごろ、初めて大量服薬(オーバードーズ、OD)をした。睡眠薬15錠を飲んだ。同棲をしている人と、寝る前に喧嘩をしたためだった。
「明確に死にたいという感情はあったけど、(このくらいの)ODでは死なないとわかっていました」
「自殺で死んでかわいそうと思われるのは嫌」
死にたい、という感情はまだついて回っているという。あるとき、沙織は銀座でヘアセットをしていた。その間に、自殺系サイトをスマホで検索した。
「自殺の方法を調べて、大変そうだなと思った。死にきれないときが嫌だなと思ったんですが、“いつでも死ねるなら、そのときは死ななくてもいいや”と思って、安心したんです」
沙織の心の中では、「死にたい感情」と「安心感」は同居しているのだろう。
「死にたい感情は常にありますが、自殺で死んでかわいそうと思われるのは嫌です。(死にたい感情の)大小はあっても、なくなることはありません。中高生のときは“消えたい”が強かったんですが、今は身に迫っているんです。(死が)現実に起こりそう」
沙織は、死が現実になってもいいように、エンディングノートを持っている。その中でも、死化粧などをするエンバーマー(遺体修復師)を指定しているという。
「(亡くなったときの)見た目は大事ではないでしょうか。です。勝手なことを言われたくない」
そんな沙織だが、今は「育ち直し」をしているという。17歳上の男性と交際をしているが、沙織にとっては理想的な甘えられる父親の側面もある。ただ、親子関係のようになったり、重荷を背負わせたくないので、そうした位置づけではなく、「足りないものを埋めてくれる存在」とだけ言っている。
「幼少期の育ち方が違っていたら、その後の人生も違っていたのかもしれません。いまの私にとっては、希死念慮を抱いたことがない人が不思議でしょがない。やはり、生育環境で左右されるんでしょうか。いまは育ち直しをしていますが、彼は向き合ってくれています」
死は迫っていると言いながらも、沙織は、育て直しをしている。死にたいという感情と、生きたいという気持ちは同居している。